70年代に20年近くにわたって行われた北朝鮮への帰国事業で
9万人以上の在日の人たちが北へ渡ったのだそうです。
当時の人種差別や貧困に苦しんでいた多くの南出身者も
政治経済の状況が不安定な韓国よりロシアの庇護のもとにある北への移住に夢を託したのです。
そんな時代があったことを知っている人いますか?
私は遊び呆けていた頃で差別のことは遠い世界の問題でした。
25年前、在日の父が地上の楽園と信じ
大事な長男を送りこんだ(移住させた)あの国。
映画では北での暮らしぶりや、結婚した女性が日本人か北朝鮮人かは明らかにされていないが、
子供を持つ父親である長男ソンホの一時帰国から始まった。
ただ呆然と車窓に流れる風景を眺めるソンホの目に映った物は・・・。
選択のない思考停止の社会で生きて来た彼は
感情さえも無くしたかに見えました。
ソンホは5年前に頭に腫瘍があることが判ったけれど、
北朝鮮の医学では治すことは不可能。
そこで日本で治療することが決定したが
出国の許可が出るまでに5年もの歳月を要した。
妹リエ、家族との再会
北から隋行した男に監視される毎日
初めはギクシャクしながらも16歳の頃に戻って
飲み交わした仲間たちとの同窓会
北での事はかたくなに話そうとしない彼は
監視の目を恐れているからばかりでは無かったのであろうか?
実は彼には別の重要な任務が課せられていました。
言うまでもない、
それは「人に会って話を聞き、その内容をすべて報告できる人物を探すこと。」
所謂スパイを探せってことですわね。
そんな中、ソンホの検査結果が出たのですが
わずか3カ月の滞在ではどうしようもないと言う医師の残酷な告知。
滞在延長を申請し、他の医者を探して・・・、
家族の思惑を遮ったのは北からの知らせ。
『明日、帰国しなさい』
もう、家族は2度と会えないかもしれない。
国の命令に逆らう事は出来ない。
治療もしないでそのまま北へ帰らなければいけないソンホは
「こうして生きて来た。これからもこうして生きて行くんだ」
そう言って、感情を押し殺したまま成田へ向かった。
あのさえないおっさん、北の監視員は
名作『息も出来ない』のヤン・イクチュン
やはり存在感半端ないですね。
ああ、映画って悲しいのね。