ピンポーン!来た!「海の精」がやって来た。宅配で1年に1回頼む商品が届いた。
海の精 とは 一言で言わせて貰えば「気合の入った塩」
昔からの伝統的な塩作りの方法と、身体に良い塩を作り続けてくれている方々が世に送り出してくれているギフト。
届いたら「長旅ご苦労様でした。ようこそ我が家へおいで下さいました」とお出迎え。
鉄なべをよーく拭いて熱いガスコンロの火で暖める。
そこへ真っ白な「あらじお」500gの半分ぐらいを投入する。木ベラで撹拌して大きな塊を細かくする、程なくすると,ふわっと塩がまるで花開いたかのような,軽さが出て、まるでパウダースノーのようになる。
そこで米粒を少々入れて,火を弱めながらまた1分くらいかき混ぜる、美味しくなーれ,身体に良いお塩になーれ、みんなが笑顔になるお塩になーれ、と言葉に出して伝えながら,混ぜる。
火を止め、そのまま鍋に入れて少し冷めるのを待つ
待っている間に同包で頼んだオーサワのびわ茶を淹れて,味わう
初めて「お塩」について教わったのは、、、と想い出に火が灯される
あれは29歳の頃,子宮内膜症で,痛みと闘いつつ、人生負けてなるものかと、がむしゃらに仕事をして,やりたい事も全てやると身体に鞭打って常にスケジュール帳はびっしり時間刻みで予定を入れている人だった時代。
とある出会いで、身体の不調や病気は、「全て自分のせいだ、と認めることから治癒が始まります」と言われたことから,始まった。
勝ち負けの世界で、こうあるべき,なりたい自分になるための努力をしなくては、とガチガチマインドが育っていたピークの時だった。
職場で倒れてそのまま半年動けなくなり、身体が教えてくれた、マインドの自分を手放しなさいと。
医師にかかってはいたけれど、どのお医者さんも治し方は知らず、不確実な対処法しか提示出来ず,それを伝える時の苦しそうな表情から、分かった。
1年前から予約していた手術を一週間前にやめてもらった、自分の意思で。
手術をしたって,痛みなんかなくならない、と医者がいうのだから。
私は痛みが消えるのなら手術で子宮を取っても良いぐらいの思いでいたから、切実だった,痛みのない世界へ行きたかった。
でもわかった。治すための勉強をしたはずの医師ですら、確実な方法を知らないのだ,そして手術を,してもしなくても変わらない事実を乱暴に伝えてしまっただけだったのだ、直せない苦しみを医者の苦しみを感じた。
だから,,私は自分の持っている,生命力と運の良さにかけてみた。
幸い検査結果では,悪性の腫瘍とかではなかったので、治す時間はたっぷりあると,心得た。
そして、同じ病気ではなくとも、婦人科系の病気で、良くなったという人がいると、どうやって治ったのか,あるいは良くなっていったのか、話を聴いて回った。
そうして意識を、自分の積んだ病気ぐらい自分でしっかり管理せよ、この馬鹿者が!と自分に喝を入れる気合いで満たされるようになった。
そうしてなんとも不思議な人との出会いの中で、行き着いたのは、「食がひとをつくる」というシンプルな生き方だった。
そんな当たり前のことを!と言う人はほんと当たり前のことを当たり前に出来ているのかどうか?じっと振り返ってみるといい。
意外と素直な私は、よーし食から人生も体も変わるのならやってみようと思い
まず,塩,味噌、醤油、米を変えた。
「東洋医学の哲学」
「無双原理.易 マクロビオテック実用弁証法」桜沢如一 著
の2冊をじっくり何度も読み返し、これまで何にも身体について如何に無知だったかを知った。
オーサワ先生の意思を継いだ方々が世に送り出してくれている商品が
オンラインで便利に買える時代となったので、醤油も味噌も,玄米も楽に買えるありがたさよ。
当時はまだ、9センチ大のチョコレート嚢腫がお腹にあったので、玄米を主食に,ごまをふりかけたごはんをとにかく朝昼晩と食べ続けた。
時に痛みが激しくて動けない時は玄米を煎つてミキサーで細かくして粉状に予めしておいた保存食みたいなものをお湯で解いて,塩をふりお粥みたいにして食べていた。
3ヶ月ほど、内観をしつつそんな食生活を続けるうちに自然と動けるようになり,気力も出て来た。
その後7年かけて浅井ゲルマニウムカプセルやら、明日葉と、海藻の入ったサプリなど、飲みつつけて、ようやく跡形もなく私の子宮内膜症は身体から消えた。
同時に、徐々にではあるけれど,
自分の人生の中で,自分ではどうしようもないことには、争わず,ただ委ねる,自分の中のわずかな愛を信じる、
それだけだつたのだ、と。
ただ,塩、ただの塩だってこんなに思いが溢れる。
なんの勧誘でも無い、人にどう生きろとかどうしろとか言える立場でも何様でも無い。
お塩を煎る,ふわっと立つあのなんとも言えない生きてる感じがとても好き❤️
想い出話でした。