子どもたちを連れて、親子で参加する実験イベントに行ってきました。


会場で、偶然小1の息子と同じクラスの男の子に会ったんですね。


その子は「あ!ニコニコニコニコくん!」と声をかけてくれました。


でも息子は、気まずそうにうつむいたまま、返事ができませんでした。


外で会うと、声が出なくなる


息子は場面緘黙があります。


外で知り合いに会うと、たとえ仲の良い友達でも、挨拶ができなくなります。


私は息子の代わりに

「おはよう〜!偶然だね!」とその子に声をかけ、


息子には「恥ずかしいよね〜」とだけ言って、何事もなかったようにその場を過ごしました。


でも、心の中はざわざわ。


一緒にいたその子のお父さんに

「同じクラスなのに、なんで挨拶もしないの?」

「どうしてしゃべらないの?」

なんて思われていないかな。


声をかけてくれた男の子は、嫌な気持ちになっていないかな。


そんなふうに、人の目を気にしている自分に気づきました。



「普通」ってなんだろう



頭では「その子らしくいればいい」と思っているのに、

いざこういう場面になると、他の子との違いをまざまざと感じて落ち込んでしまう。


同じクラスならもっとしゃべるべき。


挨拶くらいするべき。


まだまだ私の中に「べきねば」がたくさんあります。


つい、

普通の子になってほしい。

普通の対応をしてほしい。


そう願ってしまう。


その根底にあるのは、


子どもに傷ついてほしくないという思い。


そして、私自身も傷つきたくないという思い。


でも後からふと考えました。


「普通」っていったい何だろう。


“これが普通”なんて、人によって違うんじゃない?


じゃあ、誰に合わせるの?

どこに合わせるの?

何のために合わせるの?


もしかしたら、誰も息子のことを

「普通じゃない」なんて思っていないのかもしれない。


言葉だけが「関わり」じゃない


声をかけてくれた男の子は、

息子が返事をしなくても、特に気にしていない様子でした。


帰り際、その子が

「今日は友達はできなかったけど、もともと友達がいた!」


と嬉しそうに言っているのが聞こえました。


関わることって、

言葉を交わすことだけではないのかもしれない。


子ども同士の世界は、

私が思っているより、もっと豊かで、もっとあたたかいのかもしれない。



あの頃の自分へ


そういえば、私自身も子どもの頃、

外でクラスメイトに会うと固まってしまう子でした。


そのたびに母から

「挨拶しないと!」と言われ、


そんな自分をずっと責めてきました。


でも、本当に責められるようなことだったのかな。


そりゃあ挨拶したほうがいいに決まってるけど、

どうしてもできない時あるよね…


大人になった今、

あの頃の自分に優しい言葉をかけたいと思いました。


だれにもわかってもらえなかった、あの頃の私を受け止める。


もしかしたらこれは、

息子を通して、あの頃の自分を癒すチャンスなのかもしれません。


息子は、息子のままでいい。


そして、あの頃の私も、そのままでよかったんだな。