センスとは知識と環境に裏打ちされたインプット量の差!
物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの
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ん~?って人が多いと思います
世の中で秀でる為には『sense(センス)』が最終的には必要だと言っても
過言ではないと思います。
しかしセンスとはどういった・・・
ことがら? しぐさ? こうどう? ことば?
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senseは時にホワ~っとした摩訶不思議な言葉
そして誰もが隠れて求める力
じゃ 言葉にした場合どの様なカタチがあるのろうか
・ あの人は服のセンスがある!
・ 仕事のセンスがいい!
この二つを比べてみても全く違う意味がある事に気が付く
まず服のセンスは時系列に非常に偏る
去年良かったセンスは今年はもう過去の遺物
だが多少なりとも人目とメーカーに合わせた感覚が必要
ならば仕事のセンスはいつまでも変わらないかと言うと違うのかな?と
当時の事柄を糧として根本を変えず歴史が必要かと
たしかに根本のセンスには独自性や個性と置き換える事がありますが
自分で『0(ゼロ)』から作り上げるセンスと
選択肢としてのセンスがあります
過程としてはセンスは先天的なものだと考えるが
自分自身が考える後天的な要因が最も可能性がたかい
と、感じます
10年前に過ごした人生が、その後の人生でどこまでアンテナを広げたかで
かなりの開きがあると思います
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なんか厄介な言葉でつづったが
センスとは、そこまでして厄介な言葉
(自分が語るのもおかしいが…)
感じるに、時としてセンスは直感的なものであり
その直感的なものは経験的なものから生まれるものであり
経験を選択するのは環境であり
環境に慣れ親しむには知識である
と、考えます。・・・
なんだ?そりゃ?って感じですが・・・
逆算の方式で考えると最終イコールは直感で吐き出すものだが
直感は経験を積まないと成り立たないし
経験を蓄積する環境が必要だが
その環境には知識のない人は受け入れられない
センスは時代により変化します
それは受け入れるオーディエンスのよるものだが
それだけのものでもないと感じます
古いや、新しいはバリュの違いであり
時系列の差でしかないものも事実です
去年誰にも伝わらなかったセンスが
来年広がるセンスかも知れません
それを発信するのもセンスですね
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人によってセンスの磨き方はそれぞれだと思いますが
誰に伝えるのか?
誰に認めてもらいたいのか?
では!なく、 自分自身の限界解釈を高め
もう少し、いつもより少し先を考え
身の周りの人の評価を半分だけ信じ
いつもと違う考え方の違う人とディスカッションし
自分自身を一回リセットできるフォルダーを作成し
そして・・・・↓↓↓↓
書道家 金田石城先生に書いていただいた
この言葉が最も自分自身が信じる加点です
個性=センスと解釈されるのならば
それは広め、誰もが容易に使えるものし
センスの解釈を自ら消すものであり
決して個物のものではない
個性=センスは、ヒッソリと孤立するものであると考えます
大海の一滴
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