カワベ流コウイチ論 -2ページ目

カワベ流コウイチ論

勝手気ままな独創ブログです。
大統領のように働き!王様のように遊ぶ!をモットーに。



センスとは知識と環境に裏打ちされたインプット量の差!


物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの





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ん~?って人が多いと思います


世の中で秀でる為には『sense(センス)』が最終的には必要だと言っても


過言ではないと思います。


しかしセンスとはどういった・・・


ことがら? しぐさ? こうどう? ことば?




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senseは時にホワ~っとした摩訶不思議な言葉


そして誰もが隠れて求める力





じゃ 言葉にした場合どの様なカタチがあるのろうか





・ あの人は服のセンスがある!


・ 仕事のセンスがいい!





この二つを比べてみても全く違う意味がある事に気が付く





まず服のセンスは時系列に非常に偏る


去年良かったセンスは今年はもう過去の遺物


だが多少なりとも人目とメーカーに合わせた感覚が必要




ならば仕事のセンスはいつまでも変わらないかと言うと違うのかな?と


当時の事柄を糧として根本を変えず歴史が必要かと




たしかに根本のセンスには独自性や個性と置き換える事がありますが


自分で『0(ゼロ)』から作り上げるセンスと


選択肢としてのセンスがあります




過程としてはセンスは先天的なものだと考えるが


自分自身が考える後天的な要因が最も可能性がたかい


と、感じます


10年前に過ごした人生が、その後の人生でどこまでアンテナを広げたかで


かなりの開きがあると思います




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なんか厄介な言葉でつづったが


センスとは、そこまでして厄介な言葉


(自分が語るのもおかしいが…)




感じるに、時としてセンスは直感的なものであり


その直感的なものは経験的なものから生まれるものであり


経験を選択するのは環境であり


環境に慣れ親しむには知識である


と、考えます。・・・








なんだ?そりゃ?って感じですが・・・




逆算の方式で考えると最終イコールは直感で吐き出すものだが


直感は経験を積まないと成り立たないし


経験を蓄積する環境が必要だが


その環境には知識のない人は受け入れられない










センスは時代により変化します


それは受け入れるオーディエンスのよるものだが


それだけのものでもないと感じます


古いや、新しいはバリュの違いであり


時系列の差でしかないものも事実です


去年誰にも伝わらなかったセンスが


来年広がるセンスかも知れません


それを発信するのもセンスですね




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人によってセンスの磨き方はそれぞれだと思いますが


誰に伝えるのか?


誰に認めてもらいたいのか?


では!なく、 自分自身の限界解釈を高め


もう少し、いつもより少し先を考え


身の周りの人の評価を半分だけ信じ


いつもと違う考え方の違う人とディスカッションし


自分自身を一回リセットできるフォルダーを作成し




そして・・・・↓↓↓↓








書道家 金田石城先生に書いていただいた


この言葉が最も自分自身が信じる加点です




個性=センスと解釈されるのならば


それは広め、誰もが容易に使えるものし


センスの解釈を自ら消すものであり


決して個物のものではない




個性=センスは、ヒッソリと孤立するものであると考えます


大海の一滴


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すべてがうまく成功するか否かはわからない。


けれども世界には何も不可能なことはない。


人はただこれを実行する手段を発見しさえすればよいのだ。


                              byヘルマン・オーベルト










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毎年、1週間くらい失踪します


とは言ってもキチンと仕事の段取りをしてから失踪します(^^ゞ





これは誰にも分からない自分だけの決め事として


1年にあったなんでもいい事柄を深く自分なりに掘り下げて


整理整頓して妄想する時間が必要と思ったからです。





誰もが、【忙しさや】 【力のなさ】 【無知】などにより


思い向かうべき方向とは、違ったりしたことが


多々あると思います。





個人の範囲で処理できるズレなら我慢で乗り切れるが


これが団体の認識だと もー!大変・・・





そういった意味でも常に平常心を装う、失敗しない野心家として


居続けなければならないから










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よく最近、時代の変換期なのか


辛そうな人たちが続出している気がします


自分は悩みがない人間に見られるのか・・・?


よく相談を受けたり、八つ当たりを受けたりします


(まれにですよ?あくまでも自分の見解)




その話の多くは2分割されている事に気づきました




【悩み事が多く辛い】


【もがけば、もがくほど辛い】




両者とも自分も経験した【辛い】ですが


全く意味が違います




【悩みが多く辛い】は


まだ他人に話す段階じゃなく


もがく選択の段階であり


誰にも分からない【辛い】と




その一方


【もがけば、もがくほど辛い】は


悩みの選択がズレているか


よっぽど大きな目標に向かっているか


だと思います。


こちらの相談や経験話の方が


聞いていても楽しいし


何より自分の為にもなります








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集団生活していれば何よりも


色々な事があります


自分の思い通りにならない事の方が


7割占めるのが当たり前


その割合をなるべく自分の意の方に


引き寄せる手段が


【もがく】 であり


経験値をもっとも獲得する事柄なのではないでしょうか?




自分の不甲斐なさを隠す為に


他人のせいにする時間より




誰にも分からない場所と時間で


思いっきり自暴自棄になり


自問自答してみて


いつものステージに帰り


【もがく】方がよっぽどカッコイイと思います。








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先日は1週間 種子島~屋久島に一人で


フラ~っと行ってきました




目的は【はやぶさ2】のロケット打ち上げ見学と


以前行けなかった 屋久島散策




はやぶさ2は昨年、JAXAの開発担当者と会う機会があり


いろいろな秘話を聞くことから興味を持ちました


とは言っても小学生の時から宇宙には興味があり・・・




毎回3時間の話に何故没頭出来たかと言うと


宇宙関連は 完全な理数系だからでした




【答えと、目標は一つしかない】


手順や順番は多数あっても


やり遂げる先は小さな点でしかない


またその点も次の点に向かう為の


通過点でる。


かなりの感銘を受けました























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2014年ももうすぐ終わります




消費税UPやら師走選挙やら国際紛争やら・・・


いろいろな事が毎年ありますが




今置かれている立場は誰のせいにも出来ない


自分が決めた事


大いに悩んだ時期もあり


滅茶苦茶もがいた時期もあり


ボケ~っと過ごした時期もあり


何となく振り回された時期もある




それらも全て終わったこと


時期とは【過去】を表す言葉




次の目標点への無駄のない


【時期】に捨てがたい【経験】に


していきたいと思います。


先日ある講演会に行った時に聞いた話です


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うちの家には猫がいます


この猫は『チー』 と 『ミー』 という名前ですが


自分が名前を呼んでも来ません(ノ_・。)




家族からは


『普段家にいないからだよ!慣れてないの!』って


言われますが・・・


絶対違います・・・違うはず









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養老孟司さんの講演会に行った時に


判明しました☆




犬や猫は人間の単語の名前で呼ばれるのではなく


音程で呼ばれるらしいのです


いわゆる絶対音感が動物にはあるらしいのです




人間と動物は古来よりずっと一緒にいるのに


動物は人間の言葉を覚えず


人間は動物の言葉が分からない




それは絶対音感があるか?ないか?


の違いだそうです


納得!




世界には約8000もの言語があり


それらにはまた多種多様の方言があります


そして人によっては何か国語も話せる人もいます




ならば先ほどの動物の絶対音感に例えるのならば


何か国語も話せる人は 絶対音感を捨てざる負えない


と、いう事になりますね




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また 逆に例えるのならば


動物は絶対音感を維持するために


人間がもつ【違い】と【概念】を捨てた


つまり絶対音感は絶対音感であり


それ以上の進化はないのである




養老孟司さん曰く

【感覚】はこれとこれは【違う】ということがわかること。




【概念】はこれとこれは【同じ】と決めること。

その【感覚】と【概念】が重なり合う部分に


【ことば】がる




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自分は自慢にならないが


人の顔を覚えるが、名前は本当に


覚えない・・・


いや!覚えないとは語弊で


名前の前に、その人の


【話し方】 【共通点】 【個性】 【行動】 


などを気にしすぎて 肝心の【名前】を


忘れてしまう・・・人として失格




簡単にいうと


【絵画】と【俳句】などの相違に関係する事です


双方とも会い交わった見解で表すことが出来ません


【絵画】を見せることなく、他人に言葉で現すのは


ほぼ伝わりませんし


【俳句】によって幻想的な【絵画】を人々に統一の


イメージを植え付ける事も出来ません




どちらかを真剣に解釈しようとすると


どちらかの概念が退化する








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人間が物事をよく見ようとすると


感覚の違う人間同士では


全く違う概念になります




【自在感】をもつ発信者と


【疎外感】をもつ受信者では


全く違うベクトルで時間が動きます




しかし、前文の様に地球上で唯一


絶対音感を捨て 【概念】と【感覚】を


備え【言葉】という手段で共通項目を模索したのだから




世の中にある


世界各国に多数ある


【言葉】をいつでも自分の【感覚】で


相手と時間に合わせた【概念】で


数億もの【感情】で表せる


相対音感を




ここを大事にしたいと思います