誤嚥性肺炎で入院した

95歳を越えているけど
ついこの前まで自分でしっかり食べていた
認知症もなく
しっかり意思を貫いていた

医師から家族へ突然電話で
今の様子と今後の選択肢を話してきたらしい

家族から私に電話があった
『先生から電話あったんだけど、何言ってるか分からない。痰が飲み込めないって。だから、いろう?ポート?何やら言ってきたけど、よく分からないから教えてほしい。』

誤嚥とはどういう状況か
今後、何が選択肢としてあるのか
胃ろう、経鼻経管栄養、高カロリー輸液
何も希望しないという選択肢もあること
それぞれのメリットデメリット…

家族が何を望み、本人が何を望み
そして私たちが今後何を提供させてもらうことができるのか

それを一つずつ伝える



その医師、コロナだから電話での説明を基本としているらしい

それはそれでよい
それも大切だ

でも、それならば 顔が見えない分
もっと時間をかけて説明する必要があるのではないか
もしくは、その説明を分かりやすくサポートする看護師なりソーシャルワーカーなりをおくことが必要なのではないか

何事も
説明とは
相手が理解して初めて成り立つものだ
理解してもらうまで言葉を選びながら伝えるものだ

そこに時短は許されないと思う

ことばを交わすことを大切にしたい
その先に何が待っているか分からないけど
ことばを交わせば交わすだけ何かがみえるはずだから