ツィツェルナカベルト


エレバンの中心から見て西の小高い静かな丘の上では穏やかに炎が音を立てている。ここはツィツェルナカベルトの丘の上の、アルメニア人虐殺記念碑。1910年代オスマン帝国領内のアルメニア人が迫害、虐殺されたという痛ましい歴史がある。永遠の炎には花も手向けられていた。またこの近くには虐殺博物館や、世界各国から寄贈された木々の森がある。


モニュメントあたりは、喧騒から離れ静かに街を見下ろせる都市設計になっている。バスで中心からやってきたが、徒歩でも良いハイキングコースであろう。


アララト山と建設中の巨大なマンション。グラウンドも見える。


ショッピングモール。映画館付き。



フラズダン川にかかる勝利橋。中心部の西に流れるこの川はエレバン市を二分し、これより西部はスタジアム、コニャック工場(2枚目左の黒い建物)、虐殺博物館、ショッピングモールなど巨大施設が並ぶ。少し下流には人工湖であるエレバン湖がある。


 アルメニア人虐殺とは

もともとアルメニアの範囲は今よりも広く、いまのアルメニア共和国はその東の一部に過ぎない。西アルメニアは長らくオスマン帝国領だった。アルメニア人はオスマン帝国内でのキリスト教民族の一つとして、イスタンブールなど帝国中に多く住んでいたが、帝国が衰退していく中でイスラム主義を掲げたトルコ民族主義勢力が台頭し始め、しばしアルメニア人住民が襲撃されるようになった。さらに第一次世界大戦が始まるとアルメニア人男性に対する過度な徴兵、そして弾圧が発生し、また残った女性や子供は故郷よりとおくアラビア半島への強制移住を強いられた。過酷な道のりの中で多くの人が亡くなったようだ。