絶望の反対は?
今日の、一条佳代先生との、セッション練習。全てをひっくり返されて、今、とても安心して幸せな気持ちです。クライアント役に指名され、、、正直、今の状況、弱って絶望している心の状態を語ることは、避けたいことでした、、、語ればより痛むんじゃないか、、、後悔するんじゃないか、、、そんな心の働きが動いていました。夏から体調を崩したまま、生徒指導に精神を病み、降りる選択をして、お金がなくなり、残り千円。コーチングそのもの自体を、降り、そろそろ諦めてしまおうかとすら思っていました。努力や思いが全く報われなかったという徒労感に無力感。自分のような無価値なものが、人の役に立って喜んでもらい感謝されることなんか、どう頑張ってもできない。前向きが嫌キラキラがしんどい自分だけが取り残された感じ結局何をしても変わらない、変われない。そのことがしんどい。自分の中に根本的に、否定されるべき何かがあって、その上に何を積み重ねても、満たされない。そんな状態で何をやってもうまくいかないし、そんな状態を自分で抜け出すのは、なりたくもないし、半分諦めと苦痛。ですので、反動的に、ハイテンションというか「躁」状態で、「絶望塾」をつくるんだという構想を5分間、喋り続けたわけですが、、、笑さて、私のようなクライアントがいたら、どういたしますか 笑私もコーチとして、そんな人が出てきたら、まあ、表面的な「そんなことないよー」なんて慰めは何も言わず、「ああ、わかるよ」とうなづきながら徹底的に話をさせ、「まあ、一緒に飯でも」で一緒にいると思うんですね。コーチ役の方は、傾聴に徹してくださったおかげで、ただ話すだけで、胸のつっかえが半分くらいはおりました☺️ちゃんと想いをジャッジされない場で表現する、それだけで、人って前に進んでいくことができる、、、のですが、佳代先生のフィードバックは予想を超えたものでした。勢いに任せて、全てを聴いて受け止める、、、だけでは終わらせない。今の私の心の状態、それは、「自分を守るエゴ、自我」が激しく反応している状態。全てのことが自分にとっての重荷になる。恐れ、戦っている。自分を守ろうとして、向き合うのを避けて逃げようとしたり、怒ったり、固まったり、反動的にハイになったり。表面的なコミュニケーションだけとって、根っこの部分が取れないまま、我慢して、耐えてやり過ごす。だけど、その奥にある「真我」につながると、一気に視界が広がってくる。晴れ渡ってくる。具体的にどんな言葉をかけられたか、どんなやり取りをしたかは、ついさっきなのに、すっかり忘れてしまったのですが 笑どう言語化したらいいかわからないのですが、とにかく、私の中に、そして、セッションの場全体を有機的に大きな大きな働きが働いて、かかっていた雲が一気に晴れ渡った、ことは確かです。すげーーーーコーチングすげーーーーーー!これって、単なるメソッドとかマニュアル、じゃないのよ。私は、本や文字で「学ぶ」タイプの人間なのですが、場数で感覚を掴むこと、言葉をこえた、雰囲気だけで、ばっとその人を変えてしまう。「絶望」自体は「否定」しませんし、その対義語が「希望」だなんていうことは私は安易に言いませんが、敢えて名付けるとするならば、「大安心」笑私たちが絶望するのは、偽物の「なりたい自分」になろうとして、それを正解だと思い込んで、その重荷が絶えず自分を裁いてくるから。それはエゴのつくりだしたもの。その奥にある、「本当の気持ち」に繋がれた時、人は大安心を得る。これも安易に、「本当はどうなりたいの」「どうしたいの」っていうテンプレ的な質問じゃ引き出せないと思う。コーチングは、マニュアル通りに行くことなんてない。というよりも、普段の会話や飲み会の場でこそ、前提のない場で、相手が変わっていく対話が目指されるべきもの。場数を何度も踏んでいくことで、言葉やマニュアルをこえた、実体験、肌感覚がわかってくると言います。ただ一つ言えることは、あの10分で、私の中に、変容が生じたことは確か、です。大切なことは、学びよりも実践、そして実践を通した変容。それまで、「在り方」がわからなかった。「なりたい自分」を意識しているようで、それは実は本当のものではなかった。新年度から、「コーチング」を取り入れた塾の教室長になる予定、です。ただ、一つだけ「こうしたい」と思ったことは、今回のようなことを起こせる人で在りたい、ということです。ですが、「コーチング」という言葉はNG。「師匠」や「有名人」の話も出さない。横文字や専門用語を使わない、そういう縛りなのですが😅これは、逆に、大大大チャンス。絶望の奥底にある、大安心に戻っていく、そんな体験を生み出せる場をつくる人になっていよう。