正解
「型」とか「マニュアル」っていう「正解」が、自分の外にあって、それに自分をあわせることだとか、他の人から認められることがが「正しい」っていう意識を、ずっと持たされてきたし、そもそも「教育」って半分、いや、ほとんどそういう側面がある。そして、自分も「正解」に怯え、「正解」の目を気にし、「正解」にあわせ、あわせさせることを、刷り込まされ、自分に刷り込み、人に刷り込もうとする営みをずっとやってきていた気がする。そのことに気がついて、息が詰まる。たくさんの、「教科書」や「法則」や「公式」に、人生を当てはめようとして、一喜一憂し、自己研鑽に励む。「正しさ」にがんじがらめに されて、だけど、それは決して「自由」ではない。そういう意識が、個人の中に根を張り続けている。でも、「気づく」ことはできる。そして、自由な選択は、実は、可能なのだということを知ることは多い。心はどんな感情を持って、身体はなんと言っている、腹は何を感じているのか。その声に素直に従って、生きていけたら、「私自身」を「私の人生」を取り戻そう。