と世間ではよく言われる言葉ですが、
それは本当でしょうか?
素直さは何なのか?
ということを考えてみた時、それは心のプレートに書いてあることが大きく影響しています。
ここで「心のプレート」の裏側がどんな結果をもたらすか、一例をあげてみましょう。
ある時、師匠が弟子に言いました。
師匠
「お前の欠点は自分に素直でないところだ、もっと自分の心に素直にならなければ自分自身を見失ってしまうぞ!」
「自分の心の声をよく聞いて、その声に素直に従いなさい。わかったな。」
弟子
「ハイ! これからは心を改めて、心の声に素直に生きます」
師匠
「よし!それでいいんだ!」
と言い残し、師匠は前を向きしっかりとした足取りでスタスタ歩いていきました。
すると突然後ろから「ブスッ」と音がして振り向いたら、
弟子が刃物で師匠の背中を刺していました。
師匠はすかさず
師匠
「血迷ったか、コラー! 何するんだー!」
すると弟子は
弟子
「自分の心の声に素直に従っただけです!」
「昔からこうしたかったんです!」
師匠
「クッソー、無念!」
この弟子の心のプレートには
「自分の心に素直に生きるということは、自分の心から湧きでる感情に純粋に従うことである」
と書いてあったのです。
このプレートの数も大量にあったためにこのような行動ができたのです。
これを「裏プレート」と言います。
一見素晴らしい内容のようですが、所詮これは裏なのです。
これからみても、裏をそのままにしていては感情垂れ流し状態になり、大変まずいことがわかります。
それではこのプレートをひっくり返して表にしてみたら、そこに何が書かれているか見てみましょう。
表になった心のプレート
自分の心は監視しなければ間違いだらけである。
充分にコントロールできないまま、自分の心に忠実に生きることは、大変な不具合を生むことになる。
人を傷つけ、人をだまし、人を馬鹿にし、人のプライドを踏みにじり、人を思いやることもなく、感情が高まれば暴走し、全てこれが自分の心に忠実な成果である。
自分の心ほど放っておけば暴走しやすいものはない。
自分の心をどこで舵を取るか、という判断力が大事なのである。
判断力を日々養いつつ、人生を楽しんでゆかなければならない。
判断力をどう磨いてゆくかというと、あらゆるところで反省を使っていかないと、判断力は養えないのである。
例えば「これいけなかったかな? これまずかったぞ!人の気持ちを考えなかったな~ この言い方は人を傷つけたかもしれない。これは人のやる気をそいだな、とか、自分の言葉使いのどこがいけなかったんだろう」‥
とにかく反省のない判断力ほど恐ろしいものはない!
従って、反省を磨かなくて判断力は一生養われないのである。
自分の気持ちに素直になることのみ考えては、人は成長しないのである。
充分にコントロールできないまま、自分の心に忠実に生きることは、大変な不具合を生むことになる。
人を傷つけ、人をだまし、人を馬鹿にし、人のプライドを踏みにじり、人を思いやることもなく、感情が高まれば暴走し、全てこれが自分の心に忠実な成果である。
自分の心ほど放っておけば暴走しやすいものはない。
自分の心をどこで舵を取るか、という判断力が大事なのである。
判断力を日々養いつつ、人生を楽しんでゆかなければならない。
判断力をどう磨いてゆくかというと、あらゆるところで反省を使っていかないと、判断力は養えないのである。
例えば「これいけなかったかな? これまずかったぞ!人の気持ちを考えなかったな~ この言い方は人を傷つけたかもしれない。これは人のやる気をそいだな、とか、自分の言葉使いのどこがいけなかったんだろう」‥
とにかく反省のない判断力ほど恐ろしいものはない!
従って、反省を磨かなくて判断力は一生養われないのである。
自分の気持ちに素直になることのみ考えては、人は成長しないのである。
というような内容が書かれていました。
裏と表ではどちらがいいのか一目瞭然です。
とにかく悪い考えが浮かんできたら、
「こんな自分じゃいやだー! ひっくり返って表が出て来い!」
と強く思うことで裏が出ているプレートはひっくり返り、しっかりとした次元の高い考えが書かれた表のプレートが現れるのです。
こういった気づきが多いほど人生は豊かになり、充実してくるように作られているのが人間なのです。
ただ嫌だな~、とか、何とか変わりたい!と思ってみてもプレートが表にならない限り一生変わりません。
心のプレートを積極的に表にひっくり返すことは、自分を変えていくための最強の方法なのです。