今までは
パーカーに毛玉がついていても
(多分普通の人の5倍くらい)
「着心地がいいから〜」とか
「汚れてもいい日用〜」とか
思って、雑巾みたいな服を残していたし
それを、着ていた。
でも、同級生のあの子ならどうだろう。
公園へ行く日もキレイめカジュアルだろう。
会社で汚れる日があれば
お気に入りを粗末にしないために工夫をしたり
丁寧に汚れを落とすだろう。
着心地が良くてお気に入りを着るだろう。
私は毛玉パーカーを
『汚れても放置できる服』として
着ていただけだったんだ。
大切にしていたからじゃない。
長持ちで物を大切にしていたからじゃないんだ。
痛めつけても平気だから着ていた。
そんなことに気づく。
ごめん。パーカー。
それはつまり、
パーカーのことも大切にしていないし
そんなパーカーを着る自分のことも
大切にしていないということ。
そのパーカーを着ていた日に
スーパーで同級生の男の子を見かけた日は
『絶対にこんな姿見られてはならぬ』と
忍者のように帰ってきた日もあった。
そんな残念な姿だと
自分自身感じているにも関わらず
そのまま世の中を歩くなんて
どれほど自分を自分で残念にしていたか。
誰に頼まれたわけでもなく
毛玉が似合う女に自らなっていた。
毛玉総理大臣に自ら立候補して
天下統一しようとしていたわけだ。
人の目を気にしないというのは
すごく楽だったけれど
それで心が
嬉しかったり楽しいと感じたことは
1度もなかった。
さて、春色を持って帰ってきて
鏡の前でズボンを履いて
足元を見るだけで嬉しくなる感覚を
思い出したところで
クローゼットから
毛玉総理とその内閣がこっちを睨んでいる。
『あの中』にお気に入りの春色を
いれるわけにはいかん。
そうして【最後の断捨離】が始まる
