今日は母校の大学病院で眼の検査。
軽い網膜剥離がみつかり、
月1で経過をみている。
特に進行はしていないとのこと。
一安心だが、
視野の欠損がいつも気になってしまい、
ゆううつ。
大学のキャンパスは、
桜が散り始め、時に花吹雪。
工事に次ぐ工事で、
風景は様変わりしてしまったが、
比較的当時の面影が残っている
ところを見つけては、
デジカメに納めていく。
まことに奇跡的なのだが、
吹いている風は同じ。
匂いも、皮膚を過ぎる感じも、
まぎれもなくあの頃の風である。
県立図書館に寄る。
宇都宮芳明監訳のI・カント「純粋理性批判」の
気になっているところを開き、
しばらく読む。
「超越論的原理論」の、
判断力は先天的なものであり、
それが欠如している場合、
学校は補うことができない。
学んでも獲得することができない、
というくだり。
この欠陥がことに問題となる職として、
医師と法律家と政治家を挙げる。
こういうことをサラリと言ってのける凄み。
確かに「リピーター医師」は、
考えられないようなカン違いをやってしまう。
想像を絶するカン違いなので、
周囲もあらかじめ予防策を講じることもできない。
たしかに「研修」など焼け石に水。
この点、もう少し深く検討してみたい。
それから「デカルト書簡集」
ここにあるに違いないと確信していた(根拠はない)
が、やはりあった。
デカルトが自分が斜視の女性を美しいと
感じる傾向を自覚していたが、
それが、幼少のころ、年長の斜視の女性に、
やさしくされたことがあったからではないかと
思いあたってから、消失していったと
述懐する書簡がこのなかにあるはずである。
その調べは後日することに。
なぜこのことが気になるかというと、
フロイトが、洞察による治癒というモデルの、
ヒントにしたのが、これではないかと
思うからである。
フロイトは、症状を錯誤としようとしているように思うが、
スピノザ的には誤りである。
症状にはそれ自体の合理性があり、
単なる錯誤ではない。
人が、天動説が誤りであると
理解した後も、大地が動かないもののように、
感じ続けるのと、同じように。
図書館を後にして、駅に向かう。
途中DAISOでプリンタのインクカートリッジを
2つ買う。
以前もDAISOで買ったが、問題なく使えている。
1つ218円。
イオンのリンガーハットで、
「野菜たっぷりチャンポン」の少し早い夕食。
それから、DHCの
「ビタミンCハードカプセル60日分」を買い家路に。
突然の雨に降られ、
とりとめのない1日となった。
