Good English -2ページ目

ミューズの降り立つ瞬間

演奏において、ミューズが舞い降りていると呼べるときがある。それは決して熱のこもった演奏というときではなく、純粋に音楽にのみ意識を集中しているときにやってくる。朝、穏やかな気分のうちに演奏したとき、あるいは夕方、日常から解放されて楽器を奏でたとき、心に平和と調和があるとき、ミューズが舞い降り、聴く者は自分の体験を説明することができない。演奏者がそれを知るときもあり、聞き手がそれを知るときもある。決して名演奏だけが価値のある演奏ではなく、ミューズの神は音楽のあるところ、誰にでも訪れる。
演奏者は自分が普段とは違うことに気づく。聴き手は自分に生じた感情がどこからやってきたのか、理解できない。

楽譜からの解放

音楽は音の時間的な繋がりから成り立っている。演奏は楽譜という視覚的な記号から分離し、あくまでも音の繋がりとして把握されなければならない。つまり、楽譜を連想するような演奏、楽譜を意識するような演奏はまだ練習段階と思う。そこから音の繋がりとしての曲を楽譜そのものから解放する必要がある。結果として暗譜とまではいかなくても音の繋がりとして記憶する必要がある。普段から意識的にこれを目指さなければ、いくら練習してもこの地点へは至らない。
スケールとアルペジョの練習は指の空間的運動の練習として行うか、音の流れとしての練習として行うかを区別するとよいと思う。
メトロノームに合わせることが必要と考え、インテンポを正しいテンポと思うのは楽譜にとらわれすぎていると思う。テンポは音の繋がり、運動として捉えるのが正しい。従って、一般的には広がりを感じさせる部分でテンポが遅くなり、動きのある部分でテンポが自然に速くなるのが正しいテンポ感であろう。
ベートーベンの第九の冒頭の弦の刻みを正確にすべきか、曖昧にすべきかもこの点から捉えるべきと思う。
バッハの無伴奏はそうしなければ弾けない。
モーツァルトを楽譜通り弾いてもつまらないだけ。楽譜から解放し、自由に音に語らせることでモーツァルトの音楽となる。

休符とモティーフ

モティーフとモティーフの切れ目では、新しいものがやってくる、そういう質がある。休符は、そこにあった音を消し去る効果がある。ベートーベン以前は、モティーフの切れ目と休符の位置が一致していたが、ベートーベンが初めてこの二つを分けた。(ドロテア・ミーア)
エグモント序曲はその典型かもしれない。改めて考えてみると、演奏家は休符を少しおろそかにしていないだろうか。また、モティーフの切れ目ももっとはっきり意識する方がよいように思う。

Mendelssohn弦楽のための交響曲

石丸電気で安かったので買ってきたメンデルスゾーンを、mp3プレーヤに入れて聴いている。
第一番などの最初の作品はなんと12歳の頃のもの。調和に満ちたすばらしい曲集。作品番号のない習作と思って聴かない方がよい。モーツァルト以後では最高の天才、神童と呼ばれた理由も当然。
聴いていると心に活気が出てくる。これぞ音楽。

再開

とりあえず、日記モードで書いてみようかと思い、再開。
つれづれなるままに。音楽以外の話題も遠慮なく書く。
日記モードなのでそのつもりで、読んで下さい。

メトロノーム

昔の機械仕掛けのメトロノームは、相当いいものでないと正確ではなかった。でも、それで良かったのだと思う。メトロノームは決して絶対的なテンポやタクトを刻むものではない。テンポは旋律によって動き、タクトは絶対に均等な長さではないから、機械で作れるものではない。ところが最近の電子式のメトロノームは正確な時間分割を刻む。そのためにそれをリファレンスにして、メトロノームに合わせて弾くことが正しいと思ったら大間違いだと思う。
アマオケには、楽譜をすべてインテンポで弾かせるトレーナーやトップがかなり多いと思う。それは間違っている。
たとえば、モーツァルトのバイオリン協奏曲第一番の第三楽章を聴いてみよ。十六分音符が走ってよいのだ。もし、これを走らないようにと指示する指揮者がいたら、イモだ。

チューナーの使い方

一昔前に比べると、チューナーはものすごく安くなった。誰でも持っているようにみえる。ただし、アマチュアの人はチューナーに頼り過ぎないよう注意が必要だと思う。つまり、音程が合っているかどうかを機械で判断するのではなく、自分の耳で判断するようにする。チューナーはその確認用に使う。まず、音叉を使い、Aの音を覚え、それでチューニングする。納得できるまで何度も繰り返す。それで音が取れたと思ったら、チューナーで確認する。
もちろん、忙しい人は多い。だから、時には数秒でチューニングしたいと気もあるだろう。子供ではないので、自分の責任で行えば良い。

曲に向かい

演奏家は、まず楽曲に向かい会って謙虚でなければならない。これは最初から最後まで絶対に忘れてはいけないことだと思う。
言い換えれば、曲を自分のうまさを披露するための道具にしてはならないといえる。これは楽曲を勝手に解釈することも含まれる。曲に謙虚に耳を傾け、そこから流れてくるものを表現するようにする。
自分のうまさや才能を誇示する態度には優越感に対する欲求がある。優越感は演奏にも現れる。たとえば、こんなに私は上手だ、とか、私の音楽的才能はどうだ、というような演奏になる。自然に人はそういう演奏に対し、批判的になる。また、そういう演奏は聴いていても疲れ、うるさく感じる。心にすっと自然に入ってきて琴線に触れる演奏にはそういう優越感はない。人は自然に耳を傾けるようになる。

開始

おおお。
使い方がよくわからん。取りあえず、始めました。皆さん、よろしく。

音楽の話題中心に書いていく予定です。更新は不定期。
別に精神的な話題を中心にしたメールマガジンも作っているので、それもこちらへ移動する予定です。