今、FBで福島出身の中学生の作文がSNSで話題になり~
新聞記事を読んで、共感致しました

私のふるさと気仙沼の家も津波で全壊でした。
その時、私は東京在住。

テレビとパソコン、タブレットで何日も見続け~
もう、津波、火事で住めない状況と思いました。

母も海の近くの病院で孤立。
後日知った事は、
病院の屋上からヘリで救出されたという事でした。

私は、その頃の記憶が定かではなく、
母も認知症のように、
津波の体験がスッポリと消えていたのです。

その母も数年後には「幸せよ」を繰り返す
記憶喪失の女主人公のように~
人生の幕を閉じました。

東京と気仙沼を何度も往復しながらの、
家の瓦礫処理は、
全国からのボランティアの方々に大変お世話になりました。

このフォトは津波の前の蔵で、
遠隔介護で毎月気仙沼に帰るたび、
このように蔵を改造して、サロンにしておりました

床も昔からの木で、裸足でも気持ちよく、
古いピアノやミシンや柱時計、臼や杵など~
昭和の思いのタップリな空間でした。

震災前の気仙沼の家の蔵の1階

気仙沼の海


記録では明治、昭和の栄えた街の様子が、
多くの記録に残っております。

この海の幸がもたらした幸せが、
一瞬のウチに~

福島の中学生の作文を読ませて頂き、
あの時の喪失感と共に、
人の優しさを思い出しております。

多くの方々の人力はお金では測れませんでした。
痛みを分かち合い、助け合いがあるからこそ、
復興があると確信しております。

共感という、人の心の痛みや喜びが分かり合う
そんな事を体験させて頂きました。

ボランティアの方々の連絡先も、
東京と気仙沼の往復、母の入退院と~
次々と派生してくる問題解決?
現実を一歩一歩進めることで精一杯の日常生活でした。

FBやアメブロを始めたのも、
そのような方々に見つけて頂き、
余裕の心でお礼を致したい気持ちがありました。
心から感謝申し上げます

さて、福島の方々に対する心ない中傷は、
人の痛みを想像出来ない事からくるのではないでしょうか。
その偏見を身に受けても、
それでも、人の心の優しさを失わない「若者の心」は、
とっても輝いて、ダイヤモンドの原石のようでもあります。
もっと、もっと磨きあげ輝いてほしいものです
これこそがお洒落な心意気ですね。

私はアナログですので、
ブログの発信の勉強中ですが、
やむにやまれぬ気持ちで、書かせて頂きました。

下のフォトはご近所の老舗です。
皆さま頑張って瓦礫処理から、
どんどん復興が進んでおります。
元に戻すことは出来ませんが、
新しい展開をしている街をご覧下さいませ。


気仙沼のご近所のお店

気仙沼のご近所のお店


http://brandnew-s.com/2017/02/02/fukushima/