うちは、寛解からある程度の日数。

年単位で様子をみてきて 治ったのかな?と感じているぐらいなので

完治とは思ってはいないです。

 

寛解になって通院と服薬が終わっただけで自分が完治したという方もいるし

完治したというわりに再発してしまっている方もいるし

何を基準に完治と判断してしまっていいのかもわかりませんし、

完治という言葉自体にもこだわりはありませんので

完全ではないかもしれないが治った、でも気を付けるところは油断しないように。

そういう気持ちで今もいます。

 

気持ちの落ち込みもありませんし

何かをしたり外出したりという意欲もありますし

悩まされていた体の不調はありません。

人混みの中を歩いても苦しくなることはなくなりました。

 

一般的な奥様が当たり前にやっているであろうことが出来て

当たり前に自分の感情を喜怒哀楽で表現出来て

心因性発声障害で出せなかった声が普通に出せて

会話で人とのコミュニケーションがとれて

自分と娘と三人で笑ってそれなりに平穏で平凡な暮らしをしている。

そんな感じです。

 

やっぱりちょっと疲れやすくて、

それでもお義母さんのお世話を妻の出来る範囲で頑張っていて

娘の事でちょっとイラついたりカリカリしたり心配したり

週末はお昼まで寝ていたと思えば早起きして黙々と何かをしていたり

疲れたらゴロゴロしていつのまにか寝てしまっていたり

そんなものですよ。

 

なんでも願いが叶えられますよ的な非現実的な理想論の完治後でもなく、

SNSで見栄を張って誰かに羨ましがられて有頂天になっているような

お花畑が掲げる幸せを叶えているわけでもなく、

 

只々、

 

うつ病で苦しむことや支障になるようなことがなく暮らせるようになりました。

 

そんな、『治った。』 です。

 

頑張らなくてはならないこともあるし

頑張らなくてもいいこともあるし

叶えたいと思うものもあるし 叶えられることもあるし 叶わないものもあるし

将来のために現在進行中のものもあるし

 

「 あ~辛くて死んでまうよ。」 なこともあるし

そんなものですよ。

 

それが僕が願って考えて叶えられた幸せなのでもう十分。

頑張ることも、辛いことも、しんどいことも、叶えたいけど叶わない

こともあるから面白い。

 

馬の鼻先にぶら下げたニンジンみたいなお花畑な幸せは

結局雁字搦めになって再発しそうなのでうちはパス。

 

そんなのでも治ることもありますので、

気負わなくて こだわらなくて 上手くいかないことがあっても大丈夫です。