うつ病は治療をもの凄く頑張ったから治るものではないと思いました。

支えることも、支える側がもの凄く頑張ったから相手が治るものでもないと思いました。

 

治療も支えることも、その頑張りというのは報われるべき

とても大事なことだとは思いますけど、

極力本人に負担にならないもののほうが良いと思いました。

 

個人的には、物凄く知識を持っている人や色々なことをやろうとしている人のほうが

結局はいつまでも引きずって迷走して縛られて治っていないように自分には見えます。

 

自分も妻がうつ病になってから治った今までの十数年

片時も頭から離れず色々なことを考えてきましたけど、

結構自分の考えてきたことはなんだか人とは違うんだなと思いました。

 

そんなに色々とめんどくさいことを考えてやらなくてはいけないのかな?

それが正直な感想ですけど、そんなにそれが重要なことなのでしょうかね。

 

治療中は治療している途中。

減薬中もまだ減薬をしている途中。

支えている途中もまだまだ途中。

 

上手くいくことや上手くいかないことがあってもまだ続けている途中です。

その途中で、それが成功なのか失敗なのか、何が正解か不正解かなんてわからないですよ。

 

色々なものを強制して自分に取り入れようとするのはとても大変になることで、

それなら自分にすんなり入ってくるもののほうが本当に必要としているものでは

ないだろうか? そんな風に思うわけです。

 

自分も妻もなかなかよい年齢になってきましたけど、

未だに知らないことも沢山ありますし

出来なかったり間違えたりすることもまだまだありますよ。

最近出来るようになったことも、つい最近初めて知ることもまだまだ沢山ありますね。

 

そうやって少しずつ寿命を迎えて死ぬまで成長して

そうやって日々成長していく中で病気が治ったり支えることが報われたり

出来ればいいなと思ってやってきました。

それが半年、1年で済む人がいていいし、5年10年の人だっていい。

成長は人それぞれ自分のペースがあるのだから。

 

うちはそうやってきたから今の安定がある。そう思っています。

 

 

今は、

 

こう思えるようになれば病気が良くなる。軽くなる。

これが出来れば良くなる。楽になる。

こうすれば治る。

 

治るためには出来なければいけないものが誰かに決められてしまっていて、

自由だとは言うけれど結局は自由ではない。

自分が成長していく中でそこで初めて学んだことで徐々に解放されていくことでもなく、

勉強のように答えや方法を知っているか知らないか。

誰にそれを習うか習わないか。

 

そういうものが重要と言われてしまっているように見えます。