うちの妻はうつ病になって、しばらくしてから

今度は心因性発声障害で声が出なくなりました。

 

元々、一番最初に心療内科を受診して診断されたのは『気分変調症』です。

その心療内科へは2、3ヶ月ほど通院しましたが、

そこの主治医の先生の知り合いに良い精神科の先生がいるということで

精神病院を紹介して頂き、うつ病が寛解するまでその病院へは通院を続けました。

 

心療内科へも精神科へも、妻はちゃんと自分で受診に行きました。

薬もちゃんと服薬していました。

行きたくない、飲みたくないということはなかったです。

 

そんな妻でも、心因性発声障害のときは違いました。

診断された日はずっと泣き続け、今まで見たことがないぐらい落ち込んでいました。

 

もう声も出ない。うつ病も治らない。薬も飲みたくない。通院もしたくない。

 

声にならないガギグゲゴの言葉でどうにか話す妻へ

きっと良くなる。きっと治る。なんて不確かな言葉は言えませんでしたね。

 

まずは漢方薬が2週間分処方されていましたので、

「とりあえず2週間飲み続けてみて、声が少し良くなるかどうか様子を見てみよう。

もしそれで少しでも自分で効果を感じられるのであれば

治療を続けることで声が出るようになっていくかもしれないよ?

もしダメなのだったらその時にまた別の何かを考えよう。」

 

そんなの当たり前な言葉しか僕には掛けてあげられなかったでしょうか。

そうやってゆっくり時間を掛けて諭し、服薬を続けてみる気持ちを引き出す

ぐらいの事しか出来ませんでしたね。

 

結果からいえば漢方を飲み始めて一週間、

妻の中でほんのわずかですが効果が感じられたようで

声が少し出るようになってきたのかもしれないと

服薬をもう少し続けてみようと思う前向きな気持ちを話してくれました。

 

話といってもガギグゲゴの濁音で蚊の鳴くような声しか出せませんから

何を言っているのかよく聞こえませんし理解出来ないような言葉にしかなりません。

そんな程度の 少し良くなったかも? でしかありませんでしたが

妻の中にほんの少しだけ明るい兆しが持てたようだったので

それが一番だったと今でも思います。

 

そこから色々な事があり色々な事に時間を掛けてきましたが、

うつ病も寛解しそこからさらに今は落ち着いて

声も元通りにちゃんと出るようになっています。

 

 

服薬も通院も、病気が良くなるための義務的なものと感じられてしまうと

本人の中にそれを続けていく意味が見えなくなってしまうかもしれませんね。

 

でもそこに、

 

『少し症状が和らいだ気がする。少し落ち着いたする気がする。』 

『効果があるように感じられた。なんとなくマシに思える。』

 

良くなるような兆しがほんの少しでも実感することが出来たら

その治療を続けていく意味を感じ、続けていこうという気持ちが湧いてくるかもしれません。

それを少しずつ引き出し繋いでいくのも身近で支えている人が出来ることではないでしょうか。

 

そのために気休めのお奇麗な言葉を並べ立てた理想論で希望を持たせるのではなく

何の変哲もないそんなの当たり前だろうというような普通の自分の言葉で、

相手がそれを納得するまで何度も事実を話し掛け諭していく。

そいういうことも大事になるのかなと僕は思っております。

 

相手にこちらの話を聴いてもらうためには

こちらも相手の話をちゃんと聴けないといけませんし、

話し聴き合える関係が築けていなければこちらの思いも伝わらないかもしれませんね。

関係があまり築けていないのであればまずはそちらから先に取り組めていないと。

 

そんな事前の付箋があって問題には辿り着けるのではないでしょうか。