嫌われ松子の一生(映画版)
このまえ、『切れわれ松子の一生』を見ました!!もちろん映画ですよ!!
ドラマは、見てません。なんか評判あんまよくないそうですね。
ただ、それは、出演者や製作者側が悪いのではないと思いますね。
やっぱり、ドラマっていうのは、不特定多数の人が見るし、(その分メッセージ性が強いとも言えるけど)あんま奇抜なことはできないからじゃないでしょうか。あの話は映画ぐらいぶっ飛ばなきゃおもしろくないっすよね。
ってか、映画の話。
感想・・・単純に超おもしろかった!!ってか結構完璧!!これぞ、日本映画!!って感じでした。
それに出てくる出演者及び、撮影方法、音楽、どれをとっても超クールです!!
ただ、毛皮族の方がちょっとしか出てなかったのは個人的には、ざんねんだったかな。
あーいう汚れ系ポップ&ちょっとさみしげな役のジャンルって、今まで、下北沢演劇界の十八番って感じがあって、有名な女優さんにはできないんじゃないかなと思っていたんです。やっぱ、こうスポットライトをあたっていた人にはできないんじゃないかって。
だからこそ、シモキタ万歳みたいな。やっぱり下北サンデーズみたいな。
ただ、降参しました。松子すごかったです。やっぱり、インド放浪しちゃう女優さんはただ者じゃなかったですね。
で、話の内容なんですけど、松子はまぁだめ人間なんですけど、こういう一面ってみんな持ってると思うんですよね。何やっても失敗するし、自分の周りのすべてが、反時計回りに動いていってる人。
そこで、普通にだったら、人生無難にいく道を選ぶと思うんですよ。入れる会社はいって、まぁ平凡な人生。
でも、松子は違いましたよね。自分の思うままにカタチをぶっ壊しながら、進んでいった。これ以上やっちゃダメかなって思わなかった。使えるものは全部使った。
私には無理です。人生ぶっ壊しながら進んでやろうと思っても、やっぱ、ちょっとは地位がほしかったり、お金はこれぐらい稼がなきゃとか、あいつには負けられねーとか考えちゃいます。正直どれもてにいれてないですけど(>_<)
でも、あしたから、やりたい放題生きてみてって言われても、すいませんごめんなさいってあやまちゃいます。
ちょっと、興味深かったのが、松子が元教師だったって設定で、教師になった理由がお父さんに気に入られたいと思ってたってことですよね。
昔、ある非行問題に取り組んでいる先生の講演会に行ったときにおっしゃってたんですが、「非行に走る子は、まじめでやさしい子が多い。その子は、グレるとまじめにグレてどんどん道を踏みはずしていく。」
松子をみていて、本当にそう思いました。まじめに自分の人生をぶっ壊していく。
でも、ぐれるとか、ぶっ壊すって悪いことじゃないと思います。それができなくて、自殺しちゃったり、いじめちゃったりする方がよっぽどかわいそう。
松子のすごいところは、絶対に人生から逃げなかったこと。ダメなら、ダメで、人に嫌われてでも、自分の人生をぶっ壊し続けやりたい放題やったたこと。
あの映画のぶっ飛び具合は、この松子の生き様をちゃんとあらわしてました。監督さん万歳!!
まぁ映画の感想は何言っても自由だと思うので、書きたいことかいちゃったんですが、一回見ただけで、ここまで人の気持ちを動かすんだから、映画とか芝居とかってすごいですよね。
ちなみに、一緒に『タイヨウのうた』も見たんですが、『松子』を後に見たせいで記憶がとんでしまいました。残念。
ぼくらの親知らず戦争
今日は、歯医者に行ってきました。
にっくき、親知らずをとうとう抜かなきゃいけないみたいです。しかもでっかい病院で。゚(T^T)゚。
航空外科(飛行機の修理するところ?)っじゃなくて、口腔外科だって。
思えば、若き大学生のころから逃げてきたのに・・・とうとうつかまったか。歯医者さん。。。
ってか、この『承諾書』ってなに?
「親知らずを抜いた後に症状が起こっても俺は知らんぜよー」って意味なんだと思うんだけど。
1 多くの場合、あごやほほ、のどが腫れます。
⇒まぁそりゃそうだろうな。
2 数日血がにじみます。
⇒まぁ食事が血の味がしそうだけどいいや
3 ほほの皮膚が1週間くらい紫色になります。
⇒マジですか!!!それはあんまよくない
4 下唇の感覚異常、知覚鈍磨が2年くらい残る場合があります。
⇒やーっ!!2年も経ってから治るんですか?2年間ゴハンまずいんですか?
っと思いつつも、いつものさわやか(・・・なつもり)スマイルでサラサラッとサインしちゃいました。
まぁまだ先だから、わかんないけど。これから、ぼくらの親知らず戦争がはじまりそうです
ノッティングヒルの恋人2
今日の感想は、昨日より考えてみた結果です。
最近おもうんですけど、言葉って人を(ってか自分)を支配しますよね。
なにも思ってなくても、言葉に出してしまうと気持ちがその言葉通りに変わってしまう。
たとえば、最近話題になっている『いじめ』。最初は、何も思ってなかったのに、誰かが特定の人の悪口を言うと、仲間はずれにされまいと一緒になって悪口を言ってしまう。で、最初はなにも思ってなかったのに、だんだん悪口通りに相手への気持ちがかわってしまうんですよね。
とまぁ、これは一般論。
この言葉は支配する。ってのが一番関係するのが、誰かを好きになるときじゃないでしょうか?
たとえば、友達に紹介されたときとかが特にそう。
まったく気持ち動かなかったら悪いんじゃないかとか思っちゃって、だんだん、相談とかして口に出して言っている間に、本当に好きになってしまったような錯覚におちいる。
ただ、これが錯覚なのかどうか微妙なところで、気持ちとしては本当には好きなんだから嘘ではないのではないかとも思う。
これの逆バージョンが、本当は好きなんだけど、好きになってはいけない人だったりして、絶対に口に出さないようにする場合。個人的には、こっちの方が多い気がのかな。口に出すと、本当に好きになちゃいそうで、会って
どんなに心が動いても、隠しとおしたりしちゃう。
ここで勇気をもつべきなのか、破滅へ行くべきなのかは、まぁその人しだいですけど。
昨日の『ノッティングヒルの恋人』でいけば、タッカーがアナを振っちゃうのは、好きになっちゃいけない人だ、この気持ちを肯定してしまうと、また傷つくって言う気持ちが強すぎて、相手を否定する。で、自分の気持ちもそれに従っちゃった場合。そうすれば、相手の一言、出来事の一つ一つが、相手を嫌う方へ嫌う方へ、解釈されていくのかな。
っで、スパイクに『お前はトンマの大馬鹿ヤロー』だといわれて初めて自分でもその言葉を頭の中で言葉にしてみる。そこで、俺は、大馬鹿だったと気づく。
それ、それ以降は、ハッピーエンドだけどね。
昨日の『ノッティングヒルの恋人』をみてこんな感想を抱きました。
まぁ感想なんて、人それぞれ、そのときの状況それぞれなので、どんな感想持ってもいいよね。
でも、日常生活でもこんなことはいっぱいあるし、その状況状況で選択をまちがいまくってるな。
変わらなければ・・・