お金。
沢山あることに不満を抱くものは誰一人としていないと思う。
あればあるほど喜びを与え、笑顔を生み出すのがお金の魅力、それがお金というものの価値ではなかろうか。
じゃあ逆に、お金より大切なものってなんだろう。
家族?
友情?
愛?
果たして、自分にとってお金より価値のあるものはあるのだろうか。
私自身の答え。
それはNOだ、しかも即決で。
お金があれば保つことの出来た愛、救うことのできた仲間、苦労をかけずに済んだ家族。
そう、お金さえあれば。
母子家庭で育った21年間。
母は2度、過労で倒れた。2度も倒れるほど働きお金を稼ぎ、私を育てた。
何故母が倒れたか。
今になって言える事、それはお金がないからだ。
高校2年の秋に母が倒れた時は2ヶ月以上休みなく朝から晩まで働き、身体は限界を迎えていた。
今すぐ働こう。
そう思ったのは、このとき既に3度目を迎えていた。
中月卒業と同時に土木関係の仕事に就こうと進学を希望しない旨を当時の学校側には伝えていた。母の負担を少しでも減らしたいと15歳の無鉄砲な私は強い意志でその発言をした。
ただ、働くことの意味、意義はなにも理解していなかった。
母は酷く反対し、半ば強引に高校へ進学。
私に変化が現れたのはこの高校への進学だった。
反抗期を終え、なぜか人格者と呼ばれる部類の人間へと大幅に成長した。
精神面の話だ。
周りなんて、他人なんて、
そう考えていた15歳の悪ガキから
誰かのために、人のために、
なんて考えるガキに成長していった。
高校での3年間が私を大きく変えた。
ここの話はまたいつか書くことにするよ。
何故高校に行けたか、母がお金を稼いだからだ。
1日も休まずにね。
親というものは偉大だなって少しバカにしつつも実は尊敬していた部分でもある。
お金を消費していくだけの子供のためにお金を稼ぐ。
今の私には到底出来ない。
だって、バカだとは思わないか?
せっかく稼いだお金を自分のために使わないなんて。
恐らく母にとってお金より大切なもの、価値のあるもの、
それが私の存在なのだろう。
母を21年間見てきて感じた。
そう、それはお金より価値のあるものを見つけること。それが大人になるという事なのだと。
20歳を越えれば成人。大人。
それは間違っている。
20歳は学生のガキ、少し社会に出てお金を稼ぎ大人になった気でいるガキ。
ガキばかりだ。
もちろん大人にふさわしい価値を持った人もいる。しかし、それは稀な話だ。
お金を超える価値のあるもの。
これを手に入れることが大人になるということだと私は思っている。
まだまだ私はガキだ。
なぜなら、冒頭でもいったように
お金を超えるものは見つけていないからだ。
大学生活は残り1年。
お金を超える価値を見つけるために私は沢山お金を使おうと思う。
就職してから見つけるなんて。
そんなダサい真似はしたくないなって。
人によって大人への価値観、お金への価値観は異なるが私にとっての大人とお金の関係は、
お金<???
=大人
という不思議な方程式によって成り立っている。
その答えは1つではないだろう。
だから私はこの世界にある沢山の
???を探し続ける。
この先の長いようで短い、
私だけの人生の中で。
#偽ビジネスマン