こんばんわー。 さて 今日もお休み となれば 例によって 三種目まんべんなく使って 脱力で動くという世界の探検 満喫してまいりましたニコニコ

 

先日 友人から 来年三月の IM70.3に挑戦するつもりだというメッセージが入っていて 昨日 私がバイクの研鑽積んでるときに 私を見掛け ”普段 どれくらいトレーニングしてるんですか? と質問されました。

 

実は私 この質問よく聞かれるんですが 最近 此れ 返答に困る質問なんですよねキョロキョロ というのも この友人に伝えたように 私いま 一般的にいう 体を鍛えるという意味での トレーニングって ほとんど全くやってなくて より楽に動くという研鑽を 時間 体力 氣力が許す限りひたすら積み上げているだけ何で そうとしか 言いようがないわけなんで。

 

で 友人へのメッセージにも ”うーんこれは変に聞こえるかもしれませんが” と書いていたんですが 私のように 何年も こんな取組みだけしかしてない トライアスリートって 恐らく ほとんどいないんじゃないかと思っていて こんなこと書いても 恐らく ほとんどの人に 意味が全く分からないんじゃないかと思うんですよね。(実際 数年前だったら 私自身 今の私の取組み 意味がさっぱり分からなかったかもしれないと思いますし。 まあ すくなくとも 8年前の私には 完全なイミフなのは間違いないですが爆  笑

 

で なんで そんな変わった取り組み方してるかというと そうでもしなきゃ 私の場合 脱力で動く世界なんて 追いかけられるわけがないという事が 漸くハッキリしてきてるからなんですよね。 よく考えて見れば 脱力という極意の世界って 友人の 律動法の療法者で 若い頃 ハーフマラソン 65分辺りで走れるランナーだった 青木さんですら 10数年 ほぼ毎日 1-2時間 摺り足を繰り返して 追いかけたとか そんな世界の話しなんで 私ごときが スイム バイク ランをしながらおいかけようとしてること自体 思いあがりも甚だしいとか そういう話かと思いますし。 

 

ちなみに 私は 運動選手にしては 歩きの中での研鑽も 積んでる方かとは思いますし 以前よりは ペースとか 距離とか そういう結果にしか過ぎない部分 気を取られなくなってきてるとはいえ 10年以上ほぼ毎日 1-2時間摺り足を繰り返して 脱力の世界を追われた人と比べると まだまだ 掘り下げ方というか 取り組みの姿勢 あますぎるんだろうなーとはおもうんですよね。 

 

そういえば 此れも8年くらい前なんですが 日本のコナアスリートのブロガーの方が 毎朝 歩くより遅いくらいのスローペースでの 一時間くらいのジョグを日課にしていると書かれてて 当時 このレベルの人が こんなことしてる意図がさっぱり分からなかったんですが 結局 私の取り組みも そういう方向に向かっていっているように思います。 

 

よく考えて見ると 私も今 バイクは 恐らく 世界で最も遅いペースまで踏み込んで 自分でなにもせず 坂を上る練習を積み上げているんですが このペダリングでは 自分がどれだけ何もしないかが 磨きどころなんで 正直 今の時点でペースがどうこうって あんまり 関係ないんですよね。 というのも これ 漕ぎ方の仕組み そして 精度が全ての世界で 今の段階でも フラットに来ると 50キロ制限のとこでは 車相手にムキになる癖が また出てきてるんで 漕ぎ方さえ 紙が触れるだけで切れてしまう研ぎ澄まされた日本刀レベルまで 磨き上げ解けば 恐らく ほとんどの人間 ランパートに気兼ねなく 瞬殺できるんじゃないかと思うんで。 (なんせ 自分でいかに何もやらないかが 勝負のペダリングなんでグラサン)なので 多分 上のコナアスリートの方が ランで ペース気にせず 磨きあがているのも 自分だ何もしないランを磨き上げ解けば ペースの方は勝手に出るようになるからなんじゃないかと 思いはじめています。

 

そういえば 私が 最近 バイクで意識して研鑽積んでるのか 如何に 漕ぐという動作をせずに バイクを前に進めるか。 そういうペダリングなんですよね。 まあ ここまでくると 言葉では説明しにくいんですが 所謂 回す とか 踏む というのは ペダルを動かしに行く つまり ”漕ぐ”という動作であることには 変わりがないわけなんですが 私が今研鑽積んでるのは この ”漕ぐ”という動作をいかに全くせずバイクを進めるか。 つまり ペダルを自分で動かしに行かずに ペダリングを成立させるペダリングの事なんですよねびっくり 恐らく 私が8年近く追いかけ続けてきた ”漕がないという漕ぎ方” というのは こういう意味なんだろうと 今は思っています。

 

ただ まあ このペダリングって もし ”脱力” というものが 世で言われているように”極意” なのだとしたら ある意味 当然の帰結ではあると思うんでよね。 なんせ 全身の力を完全に抜いた状態では ペダルを自分から動かしに行く。 つまり ”漕ぐ”という動作はできないわけなんで おのずと ”漕がないという漕ぎ方”にならざるを得ないかと思うんで。 

 

しかしまあ やっぱ 世に ”トライアスロンは掻かない 漕がない 蹴らない”なんて言葉があり 日本のトライアスロンの第一人者の方が ”筋力に頼らない骨ペダル” なんてものを セミナーのテーマみされているのは 伊達ではないようですね。 なんせ 自分の力に頼らず ”漕がない”つまり 自分は何もせず ペダリングが成り立つ以上 これ以上楽な漕ぎ方なんて 世のなかに存在しようが無いとか そんな世界の話しかと思うんで 前にスイム3-8キロ 後ろに真夏のフルマラソンが控える アイアンマンのバイク180キロなんて これ以上のやり方なんて あるわけないとか そんな世界の話しのようなんで。

 

ここまでくると 8年ほど前 上に書いたような”言葉のヒント”に トライアスロン取り組み始めた頃に出会えたことは 凄く幸運だったと つくづく思うんですよね。 此れ確かにトライアスロンでは 無敵というか 無双というか そんなペダリング迄 磨き上げられる可能性を秘めているとはまだまだ 先の長い今の時点でも おもうんですが ここまで来るのですら 私には この方向だけを8年とか レースの結果は全く意にも介せず 体を鍛えるという意味でのトレーニングは全くせず ひたすら追いかけ続けてくることでしか 見えてこなかったというのは はっきりしてることなんで。

 

私 二年目のIMNZのバイクパート 完走者1000人ほどのレースで バイクパート 499台抜いてるんで 元々 バイク二が手にしてたわけではないんですよね。 ただ あのころのペダリングでは あれ以上強度を下げて あの年より Aveで2-3キロ速いペースで走るのは どうみて藻不可能だったんで あの後 結果には目をつぶって ひたすら それを可能にするペダリングを探し続けてきたわけなんですが 今見えてきている方向性は 磨き上げていけば あのころ 夢描いたペダリング 十分手に入りそうなんで 最近 いつも将来の自分にウキウキしながら取り組めていますお祝い

 

しかしまあ 此れはバイクに限ったことでは無いんですが ふり返ってみると実は ここまで私 自分が積むべき努力を 積み重ねてこれているようなんですよねお祝い まあ せっかく努力を積むなら 方向性だけは まちがいたくなかったから 色々調べ 凄い人たちの 言葉にヒントで 裏を取りながら 取組みを続けてきたわけなんで 方向的に間違っていない自信はあったものの  

世のトライアスリートとは まったく違う方向だけをひたすら 追いかけつづけてきたわけなんで 不安さに負けずに 自分の信じた道を貫けてこれてほんと良かったなーと感じていますニコニコ

 

まあでも 漸く 私の取組み 軌道に乗ってきただけで 勝負はすべてここから起こること次第なんですよね。 なので 明日も 脱力で動くという トンデモナイ世界の探検を楽しみながら 一歩一歩 前に進んでいこうと思っていますニコニコ