最近、仕事や私生活において、自分の言葉で話さないといけない場面で、言葉につまってしまうことが増えた。

 

「どういう発言をすれば相手は満足するだろう」っていう視点が染みついてしまってるんだろうなーと思う。

 

職業病というか、悲しい性とでも言うべきか…。

 

自分は何が言いたいか、どう思ってるか、そこのところをアウトプットする際に、色んなフィルターがかかるのよね。

 

相手の考えや背景がはっきりしない状況で、良いのか悪いのか軽はずみなことが言えなくなったんだ。

 

そういう意味では、ここにメモ帳代わりに文章を書けるのは、誰もいない草原で寝転んでるみたいに気楽なんだよな。

お久しぶりです。

(日記を書くのが好きだった自分に対して言ってる)

 

物事はなかなか長続きしないもので、ただでさえ三日坊主の自分は案の定4年間もアメブロを放置しておりました。

(さすがに4年は長いね)

 

もともとは病気休暇中の暇つぶしとして始めたブログだったけど、なんやかんやあり復職して普通に働いているので、このブログを更新する意味はなくなって、いつのまにかこんなに月日が経ってしまいましたね。

 

たまに、ノートに書いていた日記を含む自分の手記を見返してみると、そのときの出来事や気持ちがはっきりと思い返されるので、やっぱりすごいなぁと。文字で残すことの価値を再認識しました。

 

今は写真や動画があるから、わざわざ文字で残さずとも思い出は保存できるけど、複雑で深い人の気持ちは文字でない残せないような気がします。

 

このところ、仕事でも私生活でも考えさせられることが多くて、それなりに感情が揺れ動かさされることがあります。

 

だけど、喉元過ぎればという言葉もありますが、時間がたつとどんなことでも輪郭がぼんやりとしてしまうものです。

 

あとで取り出そうと思ったはずなのに、それがうまくできないのはもどかしいものですね。

 

なので、また、日記を書くことにしました。

 

悲しいことも楽しいことも忘れたくないし、人生をより豊かにというと大げさだけど、もっと自己実現をするために、日記はきっと役に立つと思いました。

 

気が向いたときにメモ代わりに、という心持ちで。

 

ふとカレンダーに目をやり今日が21日であることを確認すると、休暇中の身でありながら給料日だなぁと思う。

休みの間でも給料が満額でるというのはありがたい半面、申し訳ない気持ちがある。

 

一般的に公務員の病休制度は、90日間であれば給料は満額がでるようだ。

今の自分の状況は、正確には有給休暇を消化している状態であるから、医師の診断書が職場に受理され、正式に病気休暇とならなければ、給料うんぬんよりも、そもそも休暇の大義名分がない。

そこで近々、精神科あるいは心療内科を受診したいと思う。

医者にはありままの自分の状態を話すとしても、はたして療養が必要だと判断されるか心配だ。

 

このようなことを考えているとき、良心の呵責のようなものを感じる。

世間には新型うつという言葉もあるし、職場に行けなくなることは甘えだとされる風潮もある。

他者への責任転嫁によって自分を正当化し、症状を隠れ蓑にしたいだけではないかと自問自答してしまう。

客観的に見て今の休暇の大義は正当なものなのかというのが分からずにいる。

 

自己肯定感や自信がすっかりしぼんでしまっているから、自分の中の芯というのがスカスカであるように思ってしまう。

何を拠り所に生きているのか、目に見えないそれを確かめたい気持ちになった。

そんなことを思っている中、新渡戸稲造の「武士道」という本に出会い、今まさに読み進めている。

 

新渡戸は主に明治時代を生き、日本の思想を外国に伝え、外国の思想を日本に普及させようとした人物だ。

ドイツ留学中に尊敬する教授から、宗教教育のない日本における道徳教育について問われ、またアメリカ留学中に出会い、その後、国際結婚した妻から、日本人の思考や習慣に対する疑問を投げかけられた。

これらの問いをきっかけとして、日本人である自分自身や日本という国を見つめ直すこととなり、武士の世界から脈々と受け継がれてきた掟が日本人の倫理観を育んだということを論じた「武士道」を執筆するに至った。

「武士道」では、日本人の理念の芯の部分(例えば、義、勇、仁、礼など)が個人の行動規範となっていることなどが書かれている。

(外国人向けに解説されたものなので英語で書かれており、日本国内向けには翻訳されたものが出版されている)

 

自分の存在意義が揺らいでいるような今の自分にとっては、改めて信念が必要だと感じている。

この「武士道」が信念の持ち方の教科書となること、あるいは迷い中から抜け出す道しるべとなることを信じ、引き続き読み進めていきたい。

今年も梅雨明けは平年より遅い。

もう宮城は梅雨明けしたのか、そうでないのか正直分からずにいる。

 

最近世間のニュースをほとんど見てない。九州や東海ではここ数年と同じように豪雨による被害が出た。

直接被害のあった人たちを思うより、災害対応に追われたであろう公務員に憐れみを感じるのは、役人の性なのだろう。

 

だけども、そんな自分は役人という立場を今まさに捨てようかという瀬戸際にいる。

先月7月の3週目頃から仕事を休んでいる。そうなる数か月前から仕事に行くことが億劫でしかたなかった。

人間関係が原因だ。恐らく自分のせいでもあるんだろうなと思う。

 

周りをみると、本当にみんな人間関係をうまく成立させていてすごいなと思う。

多くの人から煙たがられている人に対してもうまくやれる人というのは存在するのだ。

到底自分はああいう立ち回りはできないと思っていたし、実際にうまくやれなかったから、こんなことになっているのだ。

 

懇意にしてくれた役所の先輩や同期には以前から相談していて、ついに人事にも打ち明けて、実際に動いてくれていた。

他人に気持ちを打ち明けたことで、気が楽になった部分や今後の環境の変化に期待する部分があったから、多少は晴れた気分で仕事ができるようになったのだけども。

少しの体調不良をきっかけとして、休みをとってしまったが最後、ずるずるとまた一日また一日と休むことで、もはや職場に行く勇気も気力もなくなってしまったのだ。

 

人間は楽な方楽な方へと向かうのが得意だ。自分は特にそうであると思う。

学生のときの学校やバイトのことを思い出してもそうだ。

学校は仮病でよくさぼったし、バイトに至っては人間関係の不調で辞めた経験があるだけでなく、所謂バックレをしたこともあった。

自分はそんな人間なのだ。

 

ただ、普通に生きていたら、逃げたくなっても本当に逃げるという選択肢をとる人は稀だ。

みんな幸せな幼少期を過ごして、両親からの愛を惜しみなく受けていたら、自己肯定感が充分に育まれるし、自分の気持ちが正常に表現できるものだから、現実逃避をしなくとも対処できるのだ。自分にはそれができる土壌もなければ根性もなかった。

それだけのことだ。

 

(初めての記事作成です。以前PCに書き留めた文章があったので、手始めにそれを記事にします)

 

 

その日は早朝6時半に小学校に来ていた。貴重な休日が選挙事務(投票事務)でつぶれる。

 

汗だくで太っちょの学校事務員。常に不自然な笑顔を浮かべているがっちりした主査。頼りになりそうでならなそうな投票管理者。

かわいい区役所の女の子。アルバイトのちょっとでしゃばり気味なおばあちゃん。

 

僕が担当の名簿対象係は投票に来た人が持ってくる入場券と手元の選挙人の名簿を照らし合わせて、

その人に投票権があるか確認する仕事だ。

 

名簿をぺらぺらめくり入場券に書いてある番号と名前を探す単純作業。

初めは緊張したけど、30分もすればもう慣れてきて少し楽しくなった。

投票所が開場するときに既に並んで待っている人がいるなんて初めて知った。

 

朝イチでばたばた流れ込んでくる人たちを捌くともう余裕が出てくるから、ぼーっと思索に耽る時間も久々堪能できた。

となりのおばあちゃんは午前10時には来場する人への挨拶を「おはよう」から「こんにちは」に変えてたし、

日の入りが午後7時くらいの今の時期だけど午後5時には「こんばんは」に変えようとしてた。

『もうこんばんはだよね?』と僕に相談してきたけど、『迷うところですね』と答えた僕の心の中では

『(暗くなる前はこんにちはだ)』という強い気持ちがあった。

だけど年配の方をたてなければいけないという、恐らく特段必要もない気を遣い午後5時半には「こんばんは」に切り替えたのだ。

 

そんなような、おばあちゃんとの間の密やかな攻防(僕の中だけの)があったのだけど、

お昼休憩の時間がたまたま重なり二人で体育館のステージの暗幕の裏に用意されたこじんまりとした机と備え付けられた椅子に

ちょこんと座ったのだった。

 

そこでおばあちゃんは今放送大学に通っていること。久しぶりに今日みたいなアルバイトをしたこと。

朝早く起きる必要がなくなったこと(もしかしたら旦那さんが亡くなったということだったのかもしれない。理由は聞かなかった。)。

いろいろな話を聞いて、僕は愛想よく静かに相槌を打った。

 

名簿対象係は投票所を訪れた人の最初の受付だから、入口のすぐそばに座っているし、その入口も開けっぴろげになっている。

曇り空で気温も低く朝からずっと寒い思いをしてた。

そんなことをおばあちゃんに話したら、持参してきた水筒に入ったホットコーヒーを分けてくれた。

それから「休憩時間短くて食べきれないから」と言って、ぶどうもひと房の半分くらい分けてくれた。

 

挨拶を「こんばんは」に変えた頃くらいに、おばあちゃんが寒がる僕にウインドブレーカーを貸してくれたときには、

なんとなくこのおばあちゃんと仲良くなれて良かったなぁと思ったのだった。