生きている意味が分からない。


だからといって死にたくない。

私は、今生きていることが当たり前だと調子にのって思っているので、それが贅沢なことだと知ってはいても、自分が死ぬのは考えられないから。


“生きている意味が分からない“とは、最近、呼吸するたびに虚無感が心を食い尽くすことだ。


その孤独感、喪失感から逃れるために、ネットサーフィンやテレビ、読書、酒で脳を停止させて現実を忘れるのを待つ。


だが、シャワーを浴びるとき、バイトから家に帰るとき、ふとした時。

空しい現実を肌で感じる瞬間に、私は自分の心に大きな穴がぽっかりと空いているのを思い知る。


いったい何のために動いているのか、息を吸って吐いて、生を全うしているのか分からなくなる。


スーパーで半額になった弁当を持ち陸橋の上をトボトボと一人で歩いていると、陸橋の下で帰路を急ぎスピードを上げる車達の中に、いっそのこと飛び降りたい衝動に駆られる。


車に勢いよく跳ねられるのは痛いのだろうか。

そうは思ってもそう易々とは死ねない。

自分の痛さを遠のけたい私は、毎回その衝動を抑えて、重いスーパーの袋を抱え陸橋を渡りきる。


自殺する勇気もなければ、そのまま怠惰に生きる勇気もない。

なんとも情けない、私らしい毎日。


嘲笑を誘う愚かな生き方。


とても苦しい。


死ぬのが嫌なのに、生きるのも嫌なんて、馬鹿馬鹿しい。


私は、きっとすごく贅沢なのだろう。


生きることに意味なんかないのに、意味を持たせようなんておこがましい。


だけど、ただ一つでも、私がいま生きるのが楽しいと思わせてくれる何かがあれば、すごく救われるのに。


こんな年にもなって、生きる意味をいちいち考えるなんて、私はつくづく寂しい人間。