—なにが適応障害や、世界が俺に適応(あ)わせろよ。
どうもこんにちは
今年で25歳、社会人3年目に突入しそうな私です。
なんですけれども
この度2024年8月に…
適応障害になってしまいました~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
ていうか適応障害って~![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
適応障害とは、生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対処することができない結果、抑うつや不安感などの精神症状や行動面に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気のことです。
ICD-10(世界保健機関の診断ガイドライン)では、原因となるストレスが生じてから1か月以内(米国精神医学会のDSM5では3か月以内)に発症し、ストレスが解消してから6か月以内に症状が改善するとされていますが、ストレスが長く続く場合には長期間続くこともあります。
適応障害の症状はうつ病や不安障害などと類似していますが、その症状がそういった既存の精神疾患の診断基準に明確に当てはまる場合は、そちらの診断が優先されます。たとえば、明瞭な環境変化があり、その状況に“適応”できずにうつ状態になった場合でも、症状や持続期間などがうつ病エピソードの診断基準を満たすのであれば、診断は適応障害ではなく、うつ病になります。
小難しいこと言うんじゃねえ!!!!!!!!!!!!(コラッ‼引用に怒らないの‼)
私の症状をもとに簡単に説明すると、
労働中の先輩のいびりに耐えられず元気喪失
泣きながら働く
ベッド入っても涙出て寝れん
普通に仲が良いはずの社員からも責められている気がする
マジで病気だわコレ
ってことですね。
まあそんなこんながあり8月に休職、年を跨ぎ3月ということで7ヶ月ほど休んで今に至るということですね。
「あれ?上の引用に『適応障害は6ヵ月以内に治る』って書いてなかった?」って思った奴いる?
思った奴、いる!?!!!???!?!?!!?!?!?!?!?!?!?!?!!?
人には人の、休職期間があんねん
病気といえば医療分野の人々がたくさんデータを集めて体系的に分析していくものです。
病気の中でもこころの病気は今も解き明かされていない部分が多く専門家でも難しい領域でしょう。
だからこそ私はこころの病気の当事者であるにも関わらず適応障害やうつ病を語る気にはなかなかなれませんでした。少し経験したくらいで全てを理解できたわけじゃない。私は他の精神疾患患者より症状が軽いかも。
「自分の病気に自信が無い奴」ってことですか私は?変なやつですね。
それでも語ろうと思ったきっかけは、名越康文先生の黛灰との対談について感想を語る動画を見たからです。
「黛灰は、あくまでも『自分のうつ』としてうつ病を語る。精神科医としてはあくまで体系的なうつを語るが、うつの症状は人それぞれ違うもの。『自分のうつ』を語ることはとても良いことなのではないか」
…的なことをおっしゃっていたんですよ!(詳しくは名越康文先生のYouTubeチャンネルをご覧ください)
このお話を聞いて気が変わったわけです。そうか!私だけのうつを語ってもいいのか!
じゃあ語ろ!ブログで書いたろ!
私のうつを聞け~~~~!!!!!!!!!!!!!(病んでるけど勢いを失わないシェリル・ノーム?)
ていうかアンタ『適応障害』なの?『うつ病』なの?どっちなのよ!って思ってる人がもしかしたらいるかもしれないけど、そこら辺はあいまいにしています。自分が病んだ理由が労働だけなのかはっきり判断できないためです。
前座がクソ長くて申し訳ありません
やっと詳しいおはなしが始まるよ![]()
5月・6月:健康を失い、募っていく職場への不満
2024年。
社会人1年目(新卒)を無事終え、2年目に突入した私。
少し前から責任ある仕事を任され始め、今まで一人もくもくと仕事していたが色んな人と連携することが必要になってきた。後輩も増え、仕事の質が変化したと感じたが、それも自分が今までより大きな仕事を任されているからこそと責任感に燃えていた…。
その中で働く形態が違う人(いわゆる正社員でないひと、派遣や業務委託など非正規社員のひと)とは連携が取りづらかった。2年目の私にも容赦はなく成長を待つという視点はない。同じ職場にいるが専門分野が違う。なんなら部署が違うのでお互いのことを深く理解することもできず。すれ違いを実感してとても辛かった。
…てのはまあ良いんよ。(いいんだ)
派遣の人なんか私の成長に関する責任ないし。私の仕事内容知らないし、正直何やってるか知らんけどこっちの仕事に影響出さないでよね~くらいなもんよね。そう割り切れば別に納得できないことも無かったし、むしろ正社員として責任あるのは私の方だよね。派遣の人が派遣という雇用形態の中で十分な働きができるよう私がサポートできるようになるべきだよねとすら思ったよね。
そんで部署が違う業務委託の社員さんと理解しえないの構造上仕方ないよね。だって物理的に壁で阻まれてるしね。仕事内容も違う上に顔合わす時間も少ないしね。なのに協力し合わないといけない僕ら、難しいに決まってるよね。
そう考えると、私に不寛容な正社員の先輩に腹立って仕方ないんだよね。(そっちね~)
私にはプリセプター(直属の教育係?)がいたのですが、同時にプリセプターでもないのに私の仕事に口を出してくる先輩もいたんですよね。(紛らわしいのでこの先輩のことは以下デバフ先輩と呼びます。あだ名の由来は近くに存在するだけで私の気分が削がれ能力が低下するからです。)
デバフ先輩のことは正直苦手だった。アドバイスを求めても「とにかくやれ」とかいうフワッとしたことしか教えてもらえない時もあったし、任せてもらったはずの仕事を後から粗探しされて後輩の前で怒られたりとか(じゃあお前がやれよと思った)、仲良くなろうと思って頑張って関わってみたけど翌日には態度がリセットされてる感じとかが苦手だった。
一週間フレンズかお前は。
いや一週間どころか翌日には記憶が失われとるんかお前は。
じゃあ一日フレンズかアンタ。関わりづれーよ流石に。
まあでもいくら直属の先輩で無いとは言え、一緒に仕事をしている以上私の仕事に何か問題があれば指導するのは当然のこと。そう思っていた時事件は起こる…。
その日は業務委託の人とも連携してお客様をお迎えするイベントの準備を、私が責任ある立場としてしなければならなかった。そのイベントの準備を手伝ったことは今までにもあったが、責任ある立場として私が現場を回すのはその日が初めてのことだった…。
新卒の後輩と一緒に準備をしていた。現場を回す私も初心者。新卒の後輩も現場に慣れていない。ここである予感が生まれる。これ時間通りに終わらないやつだ。
そこに本日の現場唯一のベテラン・デバフ先輩がちょうどよく現れたので協力をお願いしようと思ったところ…
デバフ先輩「なにこれ全然終わってないんだけど」
よく見たら一緒に仕事をしていたはずの後輩が消えていた。後に話を聞くと別の社員から応援を要請され私に声をかけずに行ってしまったらしい。
そんでもって予想以上に任せていた仕事が終わっていなかった。
後に「いや~ありゃ終わらないっすよ!」と言われた。(そうだね……………………)
後輩が知らん間に消えており思っていた以上に準備が進んでいなかったことにテンパるような苦笑いなような私にデバフ先輩が放った一言。
デバフ先輩「笑ってんじゃねえよ」
え?
この状況を解決できる先輩の言うことがそれ?
先輩の仕事って後輩をなじることなの?
楽な仕事だなあオイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
正直この先輩が嫌なやつだということは今に始まったことでは無かったのですが、新人同士でデカいイベント組まされて起こった事態に対してあまりに無責任な態度にかなり腹が立ってしまった…。現場に組まされてる以上先輩がサポートする立場にあるのは間違いないのに、上手く行かないところばかりに目を向け腹を立てるだけの先輩に憤りを感じた。
この日はなんだかんだあって無事終わったが、
翌日新型コロナを発症した。(急展開)
実はこのイベントを担当する前の5月、夜勤が7回もあった。
体力が限界に近づき休みなのに眠っているだけの日が増え、心の潤いがなくなった私はつい繁華街にロリータ服で出かけて一日中エンジョイしてしまった。
過酷な労働で免疫が下がっているときに繁華街なんて行ってしまったからコロナウイルスをもらってきてしまったのである…。
そして6月はたくさん休むぞと思い有給を5日申請したが2日しか反映されておらず「もうこの職場アカン」とがっつりモチベが下がっていた。そして追い打ちをかけるように先輩からの酷い対応、コロナ罹患…。
この時点で労働に対し失望、そして自分の健康が失われたことに気が付いた。
そう、2024年6月時点で新型コロナは5日の出勤停止であったが、10日経たないと私は快調しなかったのである。
インフルエンザを3日で治し残りの療養期間で遊びまくるこの私が…?
初コロナ罹患時も3日で寝ることに飽きお絵描きしまくっていたこの私が…??
この時に初めて気が付いたんですけど、健康であること・丈夫でタフであることが知らぬうちに自分のアイデンティティだったみたいで…。揺らぎましたよね、己(おのれ)。
そう…療養期間中、3日でせきや鼻水等の症状が落ち着いたのにも関わらず発熱だけが治らなかったんですよね。心当たりと言えば頭の中であの日言われた心無い言葉がリフレインしていること…
笑ってんじゃねえ…
笑ってんじゃねえ…
笑ってんじゃねえ…
んじゃねえ…
ねえ…
あああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!
体長報告ついでに上司に電話で大文句
ここで私のスマホメモから出てきた、当時書いたポエムを公開しようと思います。
魔法が解けた日
たぶん限界だった。たぶん限界だったのに。寝れば元気になるから。体がちゃんと起きるから。ご飯をちゃんと食べれるから。涙が流れても悲しみ続けることが出来ないから。自分は根気があって諦めとは無縁の人間なのだと。
思っていたのだが、健康という魔法が解けたその日、涙が止まらなくなって、熱が下がらない日々が続いている。
7回も入った夜勤とか、一緒に組んだ夜勤の人からの文句とか、嫌な先輩からの余計な一言とか。回復出来ない状況の中で着実に溜まっていくストレスにより、死神が近づいていた。ストレス発散のために出かけた秋葉原で、私はコロナウイルスに罹患した。小さな鼻の奥の違和感を感じている中で、嫌な先輩に理不尽に怒られた。
いつものことだった。いつものことだったのに。涙が出るのだってもういつものことだったのに。悲しくなるのもいつものことだったのに。暑くて寒かった。
熱が出た。
5日間の休みを貰った。私はすぐ元気になるはずだった。
休みの間ずっと悲しくて、仕事のことを考えると涙が出てしまい、熱は下がらなかった。
友達に喋っても、上司に気持ちをぶつけても、やはり熱は下がらない。涙も止まらない。
大丈夫じゃない。私は大丈夫じゃなくなったのだ。今までも大丈夫ではなかったが、健康という魔法にかけられていたから、働けていたのだ。きっと何も大丈夫じゃなかった。休みを心の回復だけに充てて、何も出来ていなかった。次の労働のためだけの休みだった。回復よりも人生の充実を図ろうと思って繁華街に出たら、私の魔法は消えてしまった。きっと健全な働き方ではなかった。死んでいく体に鎮痛剤だけを打っていたような、意味のない処置だったのかもしれない。鎮痛剤はもうない。自分がまさに死に向かっていることに気がついた。もう以前のように働くことは出来ないだろう。
2024.06.08
あれ8月に休職したけど、6月の時点でもう「以前みたいに働けない」とか思ってたんだ…。この時にかなり恐怖心とか抱いてたんだ…ほーん…。
正直忘れてたな(え??)
この時にこんな追い詰められた気持ちになったのに、働き続けていた理由はたくさんあったんですよね。もう仕事は嫌だけど転職活動上手く行ってないしな、とか。貯金無いから仕事辞めてもな、とか。だから転職活動続けて、上手く行ったら別の会社にいけばいいし。転職活動上手く行かなくてもとりあえず働き続けて1年ニートできる貯金?300万くらい?貯めようかなとか。そう思って続けようとしてたんですけどね。
今思えばもう適応障害秒読みというか、もう片足突っ込んでますよね。
悪魔の7月、そして休職の8月
6月はほぼ休養で終わった私、7月はデバフ先輩から解放され別の人との縁が生まれていた。夜勤を一緒にやってくれる派遣社員さんである。
デバフ先輩から解放され一息つけるかと思いきや、この人も態度がかなりキツかった。そして態度のキツさに加えてどうしようも無いポイントがあった。
他の派遣社員が、普段と違うことが起きて仕事が正確に処理できなかったとの報告を受けたため、その専門分野の社員に相談したうえで自分一人で対処方針を決めた。そのことを夜勤の相方に報告すると、
「なんでその場にすぐ駆けつけなかったんですか?なぜ私に一番に相談しなかったんですか?」
となぜが止まらなかった。ついでに他の仕事に対するなぜも止まらなかった。
別に間違った対応してねえだろ!なんでそんなになぜなぜ言われなきゃいけないんだよ!と思ったが、まあせっかく経験豊富な先輩がいるんだしこの人の方が上手く対処できたのかな?と思い何か行動をする前に電話で連絡をして確認をとるようにしてみた。
「仕事できないんで電話してこないでもらっていいですか?」
ダブルスタンダードは人を傷つけるぜ!?!?!?!?!!?
この時点で上司に派遣社員とソリが合わないことを相談してみたが「感謝とかしてる?」と言われてしまい、まあ私の態度が悪いのかな…?と思って相手の要求を飲むと今度は他の社員から「あの人の仕事引き受けてばっかいないでこっち手伝え」と言われる始末…。
難しすぎるだろ…。しかし私はすでに一人の先輩にNGを出しシフトも組みづらくなっている身分…。私がこの人と連携できなければ現場に、ひいてはお客様に影響がいってしまう…。なんとかしないと…。手紙とか書いてみようかな!?(健気)とか考えていた最中…
私の後輩「あの夜勤の人、あなたの悪口言ってたよ」
和平交渉やーめた(^_^;)
すぐ上司に相談し、仲介してもらうことに…。
なんとか解決?にまでこぎつけたが、正直6月中のこともあって、もう限界だった。
仲が良いはずの人たちから何か仕事のことを言われるたびに、単なる指摘や提案なのに責められている気がしてならなかった…。このあたりから人の言葉を寝る前に思い出しては、涙が流れ眠れなくなっていた…。
8月は祖母の一回忌があったのに、泊まったホテルで涙が出るのは祖母のことを想ってではなく、仕事で言われた嫌な言葉を思い出してしまうから。
私は病気なんだ。微熱が出てる。こころの病気はどうやって定義されるのか知らないけれど、微熱という身体症状が出ている今なら、診断書を貰える気がして、地方から東京に新幹線で帰ってきたその足ですぐ心療内科に行った。その後診断書が無事発行され、私は休職にこぎつけた…
休職中の過ごし方
休職した直後はもう職場に行かなくていい安心感もあったが、どちらかというと無力感に襲われてずっと泣いていた。
自分なりにこの局面を乗り越えよう、職場のみんなの役に立ちたいという気持ちがあったのでそれが実現できなかったことによる挫折感を感じて泣いていた。
そして9月に入ると寝ているだけの毎日に不安がこみ上げ、頭の中がかなり忙しかった。考えたくないのに考え事をしてしまうし、心臓がどきどきして落ち着かずなんだかテレビやスマホの液晶もまぶして世界の刺激すべてに敏感だったことを覚えている。
実家に帰ってみたりもしたが、親がご飯やお風呂の用意をしてくれると自分でやることが何もなく、思考にリソースをかなり持っていかれることが分かったため結局一人暮らしの家でほとんどの時間を過ごしていた。(家事が自分にとってリフレッシュになるという発見があった)
それでも一人でいるとロクなことを考えないので家族や友人と長電話をした。これにかなり救われた。自分を責めることに時間を使わずに済んだ。
このように脳みそが忙しく外界の刺激に敏感な、自信という外装を失って柔い部分がむき出しになった自分を落ち着かせるためにやっていたことを共有する。
占い、ジャーナル
実は休職する前からタロット占いにハマっていた。タロットカードという人生の出来事を象徴する絵柄が描かれているカードを引いて、絵柄やカードの出方で意味を読み解く占いである。大きな不安に苛まれているとき、人は方向性を失って人生に迷う。何が起こっているのか、どうすれば良いのか、これからどうなるのか誰も答えてくれる人はいない。そうした時、人は大いなる存在に問うてみたくなる。だから占いは流行るのかもしれない。
私は占い師じゃないし、正直言って私の引くタロットカードに未来を予知する力は無かった。ただ、「こういう結果が出て嬉しい」「この結果は納得いかない」など自分の気持ちを知る機会になったり、何より自分を責めるだけの思考がぐるぐるループしてしまうところを方向転換させてくれた。
また1日1回カードを引いてその意味をジャーナルにメモし、それに関する自分のことを書いてみたりもした。タロット占いが上手になるにはとにかくカードを引いて占ってみることだった。ジャーナルに書き出すことはアウトプット。考えたことを頭の外に出して、少し楽になる。それに何もできず休むしかない生活に、タロットを練習するのはちょっとした日々の潤いだった。
信頼できる友人の前でカラオケでカリスマの歌を歌う
超人的シェアハウスストーリー『カリスマ』という本当にイカれたボイスドラマシリーズが出している、「カリスマジャンボリー」という本当にイカれた楽曲がある。
これを大切な友人の前で熱唱。
ある者は爆笑。ある者はドン引き。
こんなに人生の高揚感を覚えた日は、他にない。
この時交友関係を本当に絞っていた。本当に信頼できる友人としか会いたくなかった。むき出しで傷つきやすい自分は、これ以上もう傷つきたくなかった。これ以上傷ついたらどうなってしまうのか怖かった。
そんな友人と一緒にいたからこそ、久しぶりに思い切りはしゃぐことができて楽しかった。それだけでなく、友達を笑わせたということにとんでもない高揚感があった。人に頼ってばかりの自分に新しく自信を与えてくれた一日だった。
失恋、『失敗』を認めること
端的に言うと失恋した。実は休職前に好きな人に告白したのだが普通にお断りされた。
そして本当に特殊なことに好きな人と交友が続いていた。
そして休職中二度目の失恋とも言えることが発生した。
これにより、「ああ私は失敗したんだ。仕事も恋も。」と、自身の失敗に直面することになる。
うつ病とは遺伝子に関係している病気である。人を精神的に追い詰め死に追いやることもあるが、うつの遺伝子をもっている人がどんどん死んでいくならその遺伝子は淘汰されるはずだ。しかしうつ病はなくならない。うつ病は罹患者の戦意を失わせ、これ以上傷つかないようにさせて生存率を上げる一面もあるらしい。
敗北を認めないことは挑み続けることで、傷つき続けることだ。勝てなければ死に近づく一方だろう。私は今のやり方ではいけないということを切に実感し、生き残るためには敗北を認めて変化することを選ばなければならないと知った。
そして好きな人から思いっきり逃げることを選択…☆
好きな人に対して押し押し・相手に合わせることしかしてこなかった私の、新しい変化の一歩だった。逃げて逃げて、逃げまくれ!仕事からも恋からも、私を悲しませるものから全て、逃げよう。
旅!遊び!からの双極性障害へ進化!?Bキャンセル!
友人から誘われて飛行機にのり遠い地でおいしいご飯食べたり、Dハロに一人で行ってみたり、ヒトリエのライブチケット買い取って行ってみたり、近所の公園行ってみたり、10キロくらい歩いてみたり。人に逆に会いまくってみたり。ゲームに課金してみたり。
ほら仕事しなくなると体力落ちるし何より活力がなくなるし…医者からも「社会復帰はあなたの活動性にかかってる」と言われたから…さ。
ていうか気分が落ち込みすぎると何もできなくなるから、その沈みを打ち消すように楽しい予定入れてたんだよね。こう、浮き沈みは激しいけど、プラマイゼロ的な感じに持っていこうとしたんですよね。
ここでかなり良かったのは「1人で旅してみる」ことでした。Dハロに友人と行く予定だったけど友人が体調を崩してしまい、せっかくなので一人で行ってみることにしたんです。
正直友人と一緒じゃないと外食もできない私ですが、友達がいないと遊ぶこともできない自分を変えたかったんですよね。
Dハロ一人参加はむっちゃ心細かったし最初楽しくなかったけど、早朝から並んでファンタジースプリングのDPAとれてアトラクションに大興奮だったし、ベネツィアンゴンドラに乗って夕日を眺めたときは「自分はひとりでもどこへだって行ける」と思えた…。
ヒトリエのライブに行ったときはスピーカーから流れる爆音に、振動に、代わりに心臓を動かしてもらったみたいに、本当に久しぶりに音楽を心から楽しんだ気がする。
それはそれとして、心療内科の先生に「ディズニーの予定が楽しみすぎてイライラすることがある」と相談したら
「それは双極性障害の疑いがあります。次の診察までに検索して症状が当てはまるか見ておいてください。当てはまるようなら薬を出さなければなりません。」
と言われてガチ戦慄。
なになに?双極性障害は躁と鬱の二極化した症状が出て、躁の時にやらかしたことを鬱のときに後悔してひどく落ち込む???????????????
そんなん普段からやらかすことの多い俺、素質アリやんけ
今のところお薬は貰っていませんが、「いつなってもおかしくない」ということを肝に銘じ、テンションをあまり上げ下げしすぎないよう気を付けることでなんとかしています。前まで楽しい予定を入れまくっていたけど、もはや落ち込んでいる方がマシと思って予定を控えるようにしました。
人から依頼を受けて絵を描く、人のために何かが出来る、自分の夢ができる
ひょんなことから人にインテリアアートをプレゼントする機会があり、その縁で現在も色んな人から絵の依頼を貰うことができています。
これもタロットカードみたいにやることのない生活にハリを与えました。もはやタロットカードも飽きてたし。
何より人のために何かできることがかなり喜びでした。インテリアアートを始めた後に友人からパーティの仕掛け人を一緒にやらないかという誘いもあり、一眼レフで写真を撮ったり部屋を飾りつけたり自分で刺繍したテーブルランナーを誂え…本当に楽しかった。
実は働いている間はなんの創作意欲も湧かなくて絵を描く気持ちにもならなかった。でも少し休んで、人のためだと思ったら絵を描くことも写真を撮ることも刺繍をすることもできた。自分はこうやってものを作っているときが一番幸せだったんだって思い出せた。
これからもこうして生きていきたい。
そう思っていた時に思い出した。
私はずっと望んでいた、300万貯金して1年間働かずにいられる環境を。
その環境を手に入れたら、フリーランスとして生きていく為の活動をしたいと思っていたんだった。
それって休職してる今のことなんじゃないか。
私はこれを切望していたんだった。少し落ち込むのに時間を使ってしまったけど、今わたしはとても素晴らしい機会を得ている。
私はいま、夢の真っただ中。
労災申請!そして金のことで病む!でも労働で病むよりマシ
休職中は「傷病手当」というお金が給付されるのですが、直近の給与の平均の2/3の金額しか給付されません。そこから保険料も引かれるのでかなり痛いですよね。
そこで労災に申請してみることにしました。支給認定されると給与平均の80%がもらえるとのことだったので。結果は申請から6ヵ月ほどで出て、残念ながら不支給となってしまいましたが…。
でも本社の人に何があったのか話すことはできたし、労基という第三者に話を聞いてもらったり調査してもらったりして判決が下るとなんかスッキリしちゃったというか。
人との調和を大事にする余り我慢してきたことも多かったから、思い切り文句言う機会を作れたのは良かった。正直に話すときもやっぱりつらい気持ちになったけど。
こんなに休んでるのに、当時のことを思い出すと今でも涙がでる。もう二度と和らぐことはないでっけえでっけえ傷になってしまったんだろうな。
それでも不支給であれば精神疾患になった原因は職場ではなく、私そのものにあると証明されるのではと恐怖していましたが、優しい人に「原因が労働とは限らないと判断されるだけで、病気になった原因すべてがあなたに集約されるわけじゃない。」と声をかけてもらったので今はそんなに気にしていません。
それにしても労災指定じゃない病院に通ってたから労災審査の間は診療費10割立て替えてたんだけど、家計の圧迫がハンパなかったわ。
あと傷病手当の申請ミスると振り込み2か月待たされたし本当に不安な気持ちになった。仕組み難しすぎるだろ。許さないよ!?
今じゃ金がないくらいじゃ病まなくなりましたよ。生理前は情緒が不安定だからちょっとお金気になっちゃうけど。
でも銀行のローンで30万まで借りられるし。(破滅フラグ)
人と気が済むまで喧嘩!喧嘩!喧嘩!←そんなに喧嘩すな
自分が傷つくものから逃げまくるといっても、逃げることすらしんどくなってくるタイミングがやってくる。逃げる苦しみが向き合うことの恐怖を上回ったタイミングがやってきた。こうしてようやく人と腹を割って話し合うタイミングがやってきたのだった。
逃げまくってた好きな人と喧嘩みたいな勢いで話した。結論から言うと仲直りした。今でも逃げまくって遊ばなかった月のことを恨まれているけど、正直逃げないと私の心がもちそうにないくらいあの時私も傷ついた。お互い恨みを一個ずつ持ってるけど以前よりもいい関係だと思う。
そして現在進行形で、別の友人と喧嘩をしている。
_人人人人人人人人人_
> 喧嘩ばっかすな <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
休職期間が終わってしまったらどうしようとウジウジ悩んでる自分に対して「考えてばっかいないで行動しろ」とキツめに言われたり、人の相談に乗ったら遠回しに自分が批判されている気分になったり、3人で話してるときになんとなく考え方が2:1になって劣勢側の私は面白く無かったり。
相談しなきゃいいだけかとも思ったけど、不満を溜めに溜め込んで後に人間関係を破壊させる傾向がある私は、そんな自分を変えるためにハッキリ言ってみることにした。
喧嘩になった。
_人人人人人人人_
> そうだよね <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
まあでも喧嘩ってあんま良いイメージないけど、お互い思ってるところがあるなら言ったほうがええんでねーの?という構えだったのだが、残念ながら対話は実現しなかった。「話すつもりはないし、以前の会話の中でこっちの気持ちが分からないならお前の受け取り方の問題」ということだった。
お互いに気持ちをはっきりさせるということが実現しなかった今、向こうの気持ちを今すぐ理解することはできない。ということで別のアプローチをすることで事態の解決を図ろうと思った。(事態の解決とは仲直りそのものではなく、今後これが繰り返されないことを指す)
なぜ私は友達から言われたことがつらかったのか?
いち意見として受け流せないのはなぜか?
友達から批判されるなんて、そりゃつれーでしょ…。と思う部分もあるがそれにしたって自分の追い詰められ方が尋常でないと感じた。本当に許せないことだと感じた。でもそれって変だよぬぇ。友達がどんな意見を持っていようと受け入れるか受け入れないか決めるのは自分じゃん。
ここで、なぜその友人たちに相談をしていたのか思い出してみた。
私が休職した当初からずっと電話を繋いで支えて続けてくれた。
でっけえ失敗しても「そんなに落ち込まないで」って言ってくれた。
歌とかでバズろうぜ!才能あるよ!って言ってくれた。
私には自信がないけど、私よりも私のこと信じてくれている友達がいるから、大丈夫
そういう友達がいるってことを自分の自信の代わりみたいに思ってたんだよね。だから友達がわたしのこと信じてくれなかったら、大丈夫じゃなくなっちゃうんだよね。
でもそれってとてつもない依存だよね。
友達と一緒じゃないと外食に行けない、道も調べようと思わない、計画も立てない、ディズニーも諦める(以前ドタキャンで一回諦めた)、友達がいないと頑張る理由が無い、友達が信じてくれないと自分は大丈夫じゃない
ここまでくると死ぬほど哀れ
他人に世話なんかされたくないし一人暮らしは自由で最高!私は自立心が強いんだ!
そう思ってたけど、ここまで他人にもたれかかっている部分があったとは全く自覚が無かった。
友達を自分の自信の一部にすることは悪いことじゃない。自信の全てを友達に託していることは悪い。メダリストでも言ってた。「自信は他人に与えてもらうものじゃない。自分でつけていくものだ」って。ここも私が変わるべきところなんだろう。友達に信じてもらえないと自分が大丈夫でなくなるなんて、あまりにブレやすく危うい。何回でも今回のようなことが起こるだろう。
でも今回の喧嘩は私にとってあまりにも良い機会だった。あまりにもムカついて「もう一人で歩きだしちゃうよ」なんて言ってみたらフルシカトされて、『あ…本当に一人で歩きださないと』と思っていたら推しカプの漫画が描けた。今まで依頼されないと強制力がなくて描けなかったが、初めて自分の"癖"に素直な絵が描けた。これは自分の為の絵だった。ちょっとだけバズった。人気ジャンルのキャラを借りてバズっただけ、でもバズの要素にちょっとくらい私のネタが面白いとか絵が上手いとかあるっしょ。フン!!!
他にも、この喧嘩について相談してみた別の友達と、いままでにしたことがないくらい深く話し合えたり、逆になんてことない会話が本当にありがたく感じられたりして、あたらしい感覚だった。
今まで深い会話こそが高尚だと思ってたけど、なんてことない世間話に心を癒される日が来るなんて……
自分の浅はかさに反省
依存はする方もされる方も最悪だけど、自立とは依存先をたくさん用意してことだという言葉もある。依存そのものが悪なのではなく、一人あたりにかける体重を重くしすぎて共倒れすることが悪だってこと。
長いこと仲良くしてきた友達の知らない面も知れて、深く踏み込んでこない人の優しさを知って、自分の愚かさも知って、迷いとかもなくなって。
この喧嘩がどうなるか分からないけど、私は私にやれることしかできない。
未来、そして現在のこと。
結局休職が終わったらどうするのか全然決めてない。だからやりたいことしかやってない。
多分アルバイトとかするかもしれない。でもあんまり急いでない。私って急いでも上手くいかないし。
でもなんか以前の自分よりいいと思う。そう思え続けることが一番大事なんじゃねーか?
休職直後に比べたらお金の節約ができてる。自分の体だいじにできてる。本がすらすら読めるようになった。映画めっちゃ見てる。アニメも見れる。不安はある。悩みは無い。できることが増えて行って、自分を良い場所に連れていける気がする。金髪めっちゃ似合ってる。肌の調子が良い。顔のことで悩まない。恋愛もしばらくいい。また人を好きになっちゃったらその時に考える。金はない。でも親が『若いときは大抵金ない。全てローンとリボ払いでなんとかしてきた』って言ってたからたぶん血。たまに『やなせたかしも40代から画業を始めた』とか親にアドバイスされる。期待デカすぎてくすぐってーけどまあいいか。
たぶん病気は良くなってると思う。でももう無理できない。またズッコケることもあるんだろうなということ前提に生きていく。
休職の直後考えたことは、適応障害になったのは自分のことを大切にしなかった罰だ、ということだった。職場の人間関係で躓いて自分の無力さにうちひしがれた。自分は何を間違えたんだろうか?問題に対して出来る限りの対処をしてきたはずなのに。
自分の対応に間違いがなかったか、何をして何をしなかったか考えてみたが、自分がおろそかにしてきたことは「自分の気持ちにもっと素直になること」この一点だった。
置かれた場所で咲きなさいとか、転職先が決まってないのに退職するのはアホとか、そういう良くわからない格言とか一般常識を鵜吞みにして、自分はどう感じているのかを蔑ろにし続けてきた。
こんな風に自分の気持ちを後回しにし続けられしまう私の特性こそが、適応障害になった一要因だったのかもしれない。仕事をしているうえではそんなに悪い特性でも無かったんだけどね。
人にイライラしてる雰囲気醸し出さずに済んでたし、緊急事態も感情に飲まれず臨機応変に対応できたし。
でも私なら自分の気持ちをはっきり表現しつつも、他人を委縮させずに、その場を収めることが将来できるかもしれない。良いところは残していきたい。
最後まで読んでくれてありがとうございました。私のうつを聞いてくれてありがとう![]()
約13000文字くらいあったけどよく読んだね。それじゃあね![]()












