【史官の本懐『国語』 5】


ある日の『鬼平犯科帳』の放送の中で、

「鬼平殿は恋の指南もなさるのか?」の台詞を聞いて

ウフフと想い、『国語』には、上等の医者は国家の病気

も治すとあるを合点する。


『史記日者列伝』に「古の聖人は、朝廷に居らず、必ず

卜医の中に在り」とあり、聖人が朝廷に居ないなら、

国家の病気は治せないのでは、と思う。


『論語』の温故知新を、『尉繚子』に政治は「民をして

私なからしむるなり」とあり、中国の共産主義国となる

未来を予言していたかのよう、と知る。


小乗仏教典にも、全てを自分のものと思わない事が

悟りの一つ、とあり、その私心を凡人がなくす事は

無理だ、と思われる。


日本も基本は土地や物産を私有制度にして発達して

きた歴史あり。


土地や物産を国家のものとして国民に不平等に分配

するやりかたは、日本でもソ連でも中国でも失敗して

いる。


「民、相軽佻なれば、欲心興り、争奪の患(うれひ)

起こる」(『尉繚子』)


他人の所有物をほしがって「父兄を殺し、人の財貨を

利し、人の子女を臣妾にするは、これ皆盗なり」

(『司馬法』)


秦国のように繁雑な刑法を作り、民が「ひとたび禁を

犯せば、捕縛して刑罰で治める」のは、人君の道

ではない。


「上位者が仁にして下位者が賊し、上位者が義にして

下位者が争うものあらざるなり」、上流が清らかで

下流も清らかであれば良いのですが。


『陸賈新語』にある「戦士は耕さず、朝士は商せず」を

織田信長は読んだのか兵農分離を、また中国の

共産党員は農耕をしないものだと判断したのか?


「朝士は商せず」から、失敗の責任を取らない公務員

に商売をさせてはいけない。


ちなみに食神の共産党の幹部は軍人も商人も産業人

も農民も支配して君臨。


不義・不仁で程度を知らない欲望はよろしくない。

「天の禍にかかれば後無し、妖に徳は勝ち、徳を積む

家は必ず災殃なし」。


ある覇道者は「和尚帯傘、無法無天」だったという。

中国語では「無法」と「無髪」は同じ発音で、頭上に

傘をさすと天が無い、食神に信仰心や仁義なし。


人や動物を犠牲にする覇道が好きなのか、神の化身

の万物・万象を敬愛する温良・恭敬・謙謹にして

天子の智恵を優先する王道が好きなのか。

【史官の本懐『国語』 4】


大正十年発行の『国訳漢文大成』経子史部・第十巻、

「七書・鬼谷子・陸賈新語」(国民文庫刊行会)から

『陸賈新語』を知ったのでした、ここに訂正。


「太子が善を欲せば、善人は将(まさ)に至らんとす」

と『国語』にあり。

もしも太子が覇道好きなら、王道の道徳の治政を

疎んじるでしょう。


徳が不純で福禄や天下を得ても安心して楽しめない。

暴力で国盗りをして恐怖を持つ覇道者は多い。

純粋な王道の徳治を実践して得られた福禄は、

安心して保てるものらしい。


目下の者が目上の者を殺すのを「弑」、

目上の者が目下の者を殺すのを「討」、

対等の身分以下の者に対しては「仇」と言う、

と『国語』にあり。・・・この「仇」に注目。


『陰騭録』の著者の袁了凡氏は「あに日に物命を

そこない、家畜の命を害して、我を仇とし我を無窮に

恨ませてよいものであろうか」で、「仇(あだ)」を使用

してあるから、人と動物・家畜は同等と言う思想。


また『国語』には、高位高官・高貴の身分の人が農耕、

田畑の勤労をするのは落ちぶれたこと、卑しいこと、

という思想が見られる。農民への差別意識がある。


現在の中国も貧しい農民が都会に出稼ぎに行って

中国の経済発展を支える農民工となり、しかも農村と

都会とでは戸籍が相違して身分や待遇の差別あり。


日本では天皇陛下が稲作をして神に収穫された稲を

奉納なされている。本来は農本主義の国。


四柱推命に「食神」の思想があり、中国では神を食う

ほどだから人も平気で食っていた長い歴史あり。

『国語』にも食人の習慣が記録されている。


『陸賈新語』によれば、「民人、肉を食ひ、血を飲み、

皮毛を衣(き)る」であったのを、神農さんが「百草の実

を嘗(な)め、酸苦の味を察し、民をして五穀を食せし

む」とあり。


神農さんは、薬草や毒草をなめて漢方薬を民に教示

した人と思い込んでいたら、肉食をしている民人を

五穀や根菜類や海藻などの腸内細菌が悦ぶ食物繊維

を身心の健康のために勧めた人と知る。


ちなみに、『鬼谷子』には「人を動かす十法」あり。

現代の日本語で、平静・正直・喜悦・廉潔などを何気

なく使っているが、本来の意味は。


『鬼谷子』には、平は静なり、正は直なり、喜は悦なり、

廉は潔なり、などとあり。(解釈は訳者で相違あり。)


「平は静なり」とは、心配事を安心する対策を出して

心を静める。


「正は直なり」とは、正論をそのまま述べる。

「喜は悦なり」とは、何か心のわだかまりを悦ばせて

心を晴らすこと。何か喜びのストレス解消。


「廉は潔なり」とは、わかりません。国語辞典によれば、

「欲が少なくて、いさぎよいこと。」

身の程、働き以上の福禄を求める欲深いのは危険。

【史官の本懐『国語』 3】


『鬼谷子』を読もうとして『陸賈新語』と出会う。

『国語』の精神の続きが『陸賈新語』と思われ、

前回から両方を参考にしています。


『陸賈新語』は大正十年発行の非売品、国民文庫刊行会

代表者・鶴田久作、『国語』上下2巻・新釈漢文大系の

大野峻(たかし)著(明治書院)を参考・引用してます。


自由な言論・思想・出版の弾圧をした権力者は、その

権力者は3年以内に失脚する事例が『国語』にあり。

であるならば、習近平氏は3年以内に降位している。


およそ都市は平野に造成して、その都市や街を山川が

守護して、山が崩れ川が枯れる時は滅亡の前兆、

と『国語』にあり。


NHKテレビ「真田丸」第1回で武田政権が倒壊する

前に浅間山が噴火した放映を見てシンクロを感じた。


東京都内の島や鹿児島の桜島が噴火したから、

東京都や鹿児島の政権の崩壊の危機の前兆では無い

と思われる。


「それ国は必ず山川に依る」けれど、山が崩れ川の水が

枯れる、という両方の条件があった時に、その国は

10年以内に崩壊する場合がある、絶対ではない。


天が開く政権は、十世廃れない、と『国語』にあり。

一世が30年なら、およそ300年、徳川政権が、

それに近い。


さて問題の「臣下が君主を殺すのは誰の過失か?」

の質問で里革が「君主の過失なり」と答えているのは

間違った解答である。


犯罪者と被害者がいて、その責任と過失は被害者に

あり、という道理は無い。

いかなる理由であれ、殺しと盗みは犯罪です。


里革さんには、革命の「革」の字がありますが、

君主は民を養育して邪悪を正す役目もありますが、

全国民の善導教育に成功するわけでは無い。


最近の新聞の報道でも、働き蟻さんの社会構成の

比率、2対6対2の法則ありと。


人間社会でも、2対6対2か、3対4対3の比率の

法則が知られている。


何を言いたいかというと、全員が善人、全員が悪人、

そういう百%の世界は存在しない。


社長から見て、ずっと居て欲しい社員と辞めてほしい

社員は同じ比率で存在する。それは、優秀な社員が

去っても嫌いな社員を追い出しても比率は同じ。


松下幸之助氏が辞めさせたいと思う不良社員で悩ん

でいた時に、国も、刑務所に入るような国民を養育

している現実に気が付いて、それから不良社員で

悩まなくなったという。


親が教育者や警察官で、不良の御子息を得たり、

教祖や創業者の二代目が凡庸である場合あり。

後継ぎで悩むのは仕方ないのか?

私も親の職業は拒否した。


大功を成就した人の子孫は、「王公侯伯となれり」、

「能く協風を聴きて、以て物生を成楽する」が故に。


日本国を最初に統一したのは天皇家であろうか。

そして、時の天皇が小高い山に登り、各家に炊煙が

あがるのを見て喜ぶ慈愛の和歌を詠まれてる。


『陸賈新語』によれば、聖人の恩澤は昆虫や草木にも

及ぶので、聖人は日月星辰や鳥獣草木昆虫を観察して

おられる。


昭和天皇は、すべての草には名前があり、雑草という

名前の草は無い事を御存知でありました。

すべての国民に意志、希望あり。


「善を行へば鳥獣も悦び、悪を行へば臣子も怨む」

「悪政は悪氣を生じ、悪氣は災異を生ず」


「常法を棄てて、以てその私欲に従い、巧変を用いて

以て天災を祟し、百姓を勤めしめて以て己が名を為す、

その殃(わざわい)大なり」

この文章で、毛沢東やスターリンを連想します。


民衆は、その民度に応じた為政者をいただくので

しょうか。多くの日本国民の道徳の程度が高いのは、

歴代の皇室の道徳と平和への祈りの実践が厚い故

でありましょう。


君主が公明正大、純潔仁慈であり、恩恵が民に及び、

神はその誠意を享受して、国は興隆する。


為政者が貪欲邪悪、淫乱怠惰、粗暴残虐で、秦の

始皇帝の治世のように刑罰が乱脈ならば、百姓は

離叛し、民に謀叛の志ありて、国は滅ぶ。


神にささげる芳香は、君主や国民の実践する徳。

徳に福あり、悪に凶あり、天は現象で吉凶を見せる。

【史官の本懐『国語』 2】


各国の史官は君主と国の動勢を記録するだけでなく、

理想の君主像・国家像を明記して世界の平和を念願し

永世に伝えようとする。


神の子としての本姓を持すれば、その気は天に達し、

天の意を受けることが出来る。


人は善悪の両方を実践するから栄枯盛衰の歴史が

繰り返されているけれど、聖賢は道と合して吉祥に

暮らし、愚者は禍と同して不祥に暮らす。


凡人は「目は富貴の栄に放ち、耳は不死の道に乱る」

と、『国語』の続きの『陸賈新語』にある。


また『陸賈新語』には、「強(者)は弱(者)を凌がず、

衆(多数者)は寡(少数者)を暴せず」とあり、軍事大国

が弱小国を、多数党が少数党を多数決で押し切る、

ことがない理想を述べてある。


毛髪が美しい、美顔・美声、巧文弁恵、気力と体力が

充実して、剛毅果断、それなのに不仁の人あり。

人畜・物事への愛情の不足している人が指導者になる

と危険。


「君子は小事を慎んで大患が無い」という。

上役、課長、局長を立腹させて後難を受けたこと数度。

人を喜ばせ楽しませる徳の言行を心掛けると反省。


人は常に正気で臨機応変の智恵を持って時期に適合

する行動をしたいもの。


「君子は心を労し、小人は力を労する」。

物事を考案する事や創意工夫の得意な人は頭脳労働

をして、力仕事の好きな人は肉体労働をする。

この労働の報酬は同じでありたい。


怨まれて滅亡する三つの例が『国語』にあり。

1、徳が少ないのに恩寵が多い。

2、下位の人が上位の政を欲する。

3、大功無くして大禄を欲する。


働き、活躍に応じた報酬を受けるのが安全。


「君子が心を失えば、夭昏(ようこん)せざるは

すくなし」

これは平凡人でも、定年退職前後に気が抜けて、

元気を失って早死にしたり、ウツになる人もあり。


長世の徳を立てようと思い、遠年の数を経過しても、

無事に身を終えられない事を心配します。


ピンピンコロリの最後の日まで、日々を怠偸(たいとう)

しないで、一家・一町・一国が久遠に栄えるように配慮

して一億総活躍の一人でありたいもの。


『国語』には、もし怠偸(怠けと盗み)が甚だしいなら、

死んじゃうか大咎(たいとう)有らん。


斎藤一人さんも『国語』を読んで学んであるようで、

お金があってブラブラと遊んで暮らしている人には

何か逃れられない苦しみを身に引き受けてあるらしい。

(苦しんでいるんじゃなくて学んでいる、と一人さん。)


「善に従うは登るが如く、悪に従うは崩るるが如し」。

毎日、一瞬の油断も無く、徳を成就する、

「居所は倹約、振る舞い挙動は恭敬、物腰は謙譲」、

物事は諮問する、賢人に尋ねたり調査研究して暮らす。

【史官の本懐『国語』】


中国の最古の歴史書は司馬遷の『史記』と思い込んで

いたら、実際は、国語・春秋左氏伝・史記・漢書の順番

らしい。


最初の歴史書を編集する史官の気合いが『国語』から

伝わってくる。覇道より王道の記述に力あり、星占いも

人相も霊媒の説明もあって最高の歴史書か?


「民の欲する所は、天必ず之に従う」であれば、

いいな、と想う。


精神が純粋で、物事に誠実で、神旨を理解する判断力

があり、未来を見通す賢明さのある人に、神霊が下る。


各人の心の向かう所、志の行く所に低級霊や高級霊の

応援あり。


『国語』の中に、臣下が君主を殺す説明がある、これを

覇道を望む人は革命を正当化する理論と見るが、

『国語』を作った史官の本意は王道で平和への道。


「徳栄を以て国華となす」

国家が道徳で繁栄するのが理想。


父子の間、兄弟の間、君主と臣下は互いに訴えない

のが道、と『国語』は説く。


会社側が従業員を、従業員が会社側を、国民が国家を

裁判所に訴えないのが正しい道。


熊本市の九州郵政局に訴えたり、労働基準監督署に

訴え出た行為は道に反する行動であったと知る。


小林正観さんは『国語』の思想を御存知であったのか、

指名解雇を受けたという質問者に対して、素直に退社

するのが正解ですと助言された、それで良い仕事の

川の流れに乗れるという。


親は子の邪悪があれば矯正し、長所や才能を見つけて

伸ばしてやるのが使命であるように、君主は臣下や

民を養って邪悪を正す責任ありと『国語』にあり。


親が子供の躾けや善導に失敗する事もあるように、

君主や国の適切な施策が国民に行きわたらない場合

もあり。


子が親を、臣下が君主を殺す正当な理由は無い。

親らしくなく、君主らしくなくとも、子らしく、臣下

らしくあるのが道徳。


理想の人格は、誠実で、物事への理解力があり、

果敢な行動力あって鎮静。


食い意地の張っている人、美食家の性質は

驕慢で矯正しにくい、と『国語』は教示する。


四柱推命で言う食神の人は、わがまま放題の気味が

あって、善導・正道へ行かしめるのが難しい、

ということらしい。


「虎の目(残忍)、豚の突き出た口(貪欲)、鳶の肩、

牛のような腹」の人は、財物や地位などを不当に

取り込んで罪を得て不祥にあうのか。


口をとがらす人は不平不満、食い意地があり、物事に

貪欲。食事をたらふく食べる人は豪傑で乱暴者の気

あり。


「豪傑」の「豪」の字に「豕」が含まれ、身心が丈夫で

大活躍をするのだろうが、やりすぎ。

(山犬や狼のような声を出す人がいるらしい。)


国民に貧乏人が多いのに、公務員の人が富を取る

のは、国民に勤労させて自分の給料袋の封筒を

厚くすることで、長生きは難しいと『国語』は言う。

政治家は民を愛護するのが任務です。


【清明か混濁か(陰騭録)2】


家族の中の一人が代表して罪の結果を背負う、そう

いう法則の事例が世間に多く見られる。その周囲の

家族の人達がその人を大事にすれば、その家族や

地域は栄える。


イエスの教えの一つは「神がお望みになるのは犠牲

(いけにえ)ではなくて愛情(あわれみ)である」。


『陰騭録』の作者の袁了凡氏は新約聖書を読んでいた

と思われる。 (天にまします)「上帝は、生を好み、

生きものは命を恋する」。


その生きもの、牛・豚・鶏・犬猫・実験用のモルモットを

「殺して己を養う、それで自安が叶うのでしょうか?」


人間の食用や薬用として犠牲になる動物達は、

「屠割を受け、種々の痛苦を感じ、恨を結び冤を含む」


牛・豚・鶏・犬猫等が人に食われる正当な理由は無く、

畜生が人に何か罪を犯したわけでも無いし、屠割され

人に食われるのは冤罪としての処遇である、という

意味の「冤(罪)を含む」でしょう。


「どうして人畜の生をそこない(損害と苦痛を与えて)

(遅かれ早かれ)己の幸福に損害を与えるのか」。


人に食べられる家畜達は種々の苦痛を感じて人を

恨み、その結果として病気・事故・自然災害・戦争の

被害などの苦難を人は受けているのかも知れない。


世界中で同時に肉食文化を廃止したら、どういう

世界が到来するのかを実験して現証を見てみたい

ものだと、いつも想っている。


およそ個人で肉食を廃止すれば、手術を受ける必要

のある病気を発症しないし、刀杖の難にも遭わない

でしょう。


人と人、人と動物は本来は一体の連動したものである

から、「動物の身の上に起こった事は遅かれ早かれ

人の身の上にも起こる」、その法則を知らない人が

肉食して何かの病気で苦しみを体験するのでしょう。


「毎日のように物命をそこない(人畜を殺生して)、

我を仇とし我を無窮に」恨ませて、それで良いので

しょうか、と袁了凡氏は記録している。


平凡人として暮らす過誤を改善して凡人を卒業した

いと願って「了凡」と号した袁了凡氏は、常に天地鬼神

に罪を得るのを恐れて暮らしたという。


【清明か混濁か(陰騭録)】


同じ現象を見て、どう判断するかで、各人の選択と

生き方が相違する。


大型書店で『戦国策』の参考書を探している時に、

西澤嘉朗著「東洋庶民道徳 『陰騭録』の研究」

(明徳出版社)を見つけた。


この本をパラパラと見ると、空中を飛行する夢の記事

があり、それは西澤氏の考えなのか原文にあるのか

と調べると、原文にあると知る。


明日香図書館の蔵書で空を飛ぶ夢を調査すると、

何か不快な現実から逃れたい、自由になりたい、

正月の水天宮のおみくじが大吉であったように

未来は明るい、理性が優勢になる、という明示。


物事には三ヶ月と経過しないうちに、吉兆や凶兆が

現われるものだと『陰騭録』にある。

(いつものように、筆者の気に入った部分のみを

引用や超訳しますので、あしからず。)


およそ善徳功徳を積む者には、心神が爽快で

ゆったりとして伸びやか、智慧は開いて、

「念に触るるものみな通じる」。


また吉兆の一つに「大虚に飛歩する」夢を見る。

「神聖」なものを何か夢見るらしい。


「人の過悪深重なるものも、また徴験あり」

(石川梅次郎著『陰騭録』明徳出版社を参照させて

いただいています。)


心神が昏塞(こんそく)して、物事に忘れっぽくなり、

どうでもいい事に常に煩悩し、「正論を聞きて楽し」

くないという。


それらが「みな悪業を作るの相なり」とあり、

この本を若い頃から所持して全文を一度も読了して

いなくて、最近に読んで知ってビックリ。


郵便配達の昼休みに食べ過ぎると頭脳が混濁して

仕事の能率が低下して何度か苦しんだ経験あり。

食べ過ぎも罪である事は若い時から気付いていた。


体は御神殿であるから、植物中心の食物繊維で

脳より大切な腸内細菌の健康を保持して快腸を保ち

好調に暮らしたいもの。


玄米・野菜・海藻などの食物繊維を殆んど食べずに、

肉類・コーヒー・揚げ物・酒などを食べて認知症や

成人病を発症するのは、特に肉食の罪を重ねた結果

なのでしょう。


釈尊もイエスも肉食の大害を説く。小さな事に悩み、

何かクヨクヨする事も肉食と関連しているらしい。


何か御神言、正論に出会うと、喜びが湧出して、

史官に憧れる文系人間は楽しくて元気になる。

【戦国策 9】


およそ覇道の独裁政権は、反政府人と疑わしい人を

拘束したり、政府を批判する人や報道を許さず、

宗教団体や健康団体の結社や集会を禁止する。


その真逆を実践して、燕・趙・韓・魏の朝貢を受けた

斉国の事例が『戦国策』にあり。君主が布告を出す。


1、目の前で君主の失政や過失を指摘する者には、

上賞を与える。

2、上書して君主を諫める人には中賞を与える。


3、人が集まる市場や井戸端会議等で政治や君主の

批判をして君主の耳に達したら下賞を与える。


それで群臣達が進諫して、門庭は市場のごとし。

数年後には、誰も政治の文句を言う人がいなくなった

という。


国政・県政・市町村の政策に全員が満足する事態は

無いもの。政策に誰かが賛成すれば誰かが反対し、

誰かに利益があれば他の人には利益は届かない。


政治も含めて物事に毀誉褒貶する自由、思想と言論の

自由は確保されるべきもの。


物事の結果が出る前から予測や予知できる人も

あれば、現前に証拠が積み重なっても結果の意味を

理解できないでいる人もいる。


病気の早期発見と早期治療の洗脳に騙されて破壊の

治療を受けて、治療前と治療後に、健康度は向上した

のか低下したのか自明なり。

(健康法の研究は各自でやるしかない。)


『戦国策』の中に、老人が毎日を30分程度の散歩を

続けて健康を回復した話が記録されている。


また『戦国策』の時代から肉食が盛んで、それ故に

殺しと盗み(戦争)と病気が横行していた事が解る。


このシリーズの最後に、平凡社刊の東洋文庫

『戦国策1、2、3』常石茂訳と明治書院刊の林秀一著

新釈漢文大系『戦国策(上、中、下)』を参考に

させていただきました。

【戦国策 8】


亡国への道に三つあり。

1、国内の意見が一致しないで乱れているのに、

治安が良くて上下が一致協力している他国を攻める。


2、邪心や貪欲で正義の国を攻める。

3、下位の国が上位の国を攻める。


子が親を、家臣が主君を、恩義を受けた国が恩義を

与えた国を攻める。


この同じ物語の中に、日本の敗戦の予言かと連想した

記事あり。


斉国は五戦五勝したのに、一戦に負けて滅亡した。

日本の五戦五勝は、これか?

1、薩長中心の政府軍は徳川幕府軍に勝つ。

2、明治政府は最大の内戦の西南戦争に勝つ。


3、日清戦争に勝つ。

4、日露戦争に勝つ。

5、第一次世界大戦に参加してシベリアに出兵して

戦勝国となる。


敗戦革命に誘導しようとするソ連の策謀もあって、

敗戦が確実な日米戦争に突入する。


そもそも英国や米国の加勢があって日露戦争に

辛勝できたのに、その恩義を忘れて英米と戦争する

なんて、と思う。


戦勝した国があやういのは、その時点で武器・弾薬

などの物資が不足しているためで、このことも

『戦国策』の記事の中にあり。


日露戦争でソ連の政府は日本側に戦争を継続する

余力が無いことを知っていたので高額の賠償金を

拒否した。


また『戦国策』に、29年間、お互いに攻め合うことが

なかったので、天下は安らかだった、とあり、日本の

戦後70年の平和が永遠に継続することを願う。


他国と軍事同盟して、日独伊の三国同盟やソ連と

不可侵条約を結んで、同盟した国が自国のために

活躍する事を期待して裏切られる実例が古今に多い、

そのような事例も『戦国策』にあり。


今日の12月24日の毎日新聞に、

尖閣諸島の争乱の際には米軍は日本を守らないと

日本の政府関係者は知っている旨の記事があり、

日米軍事同盟は有効では無い。

(そもそも米国は日本より中国と仲が良いし、中国と

日本とが戦争して漁夫の利を狙う米国。)


「驕主は必ず計を好まないし、亡国の臣は財を貪る」


戦争を始める者は、終戦や講和を予測してから、

戦争を開始するのが軍人の常識であるらしい。


日本の「内閣総力戦研究所」は日米戦争で「日本必敗」

の正確な結論を出していた。当時の日本政府内には

赤の子供(赤子)が多くいて日米戦争へ誘導される。


「廉潔にして任に勝つ」

官営であれ民営であれ、清潔に任務を実行して、

その地位に勝る働きをするのは麗しい。


また『戦国策』で「功労」の意味を知った。

「功」は、指揮・采配・口出しで成果を上げる、また、

何か発明や新規提案・改善をする。


「労」は「勞」で力の上に火が二つあって、力仕事で

沢山の発熱で体から汗を出して成果を上げる。


【戦国策 7】


『戦国策』の編者の劉向氏の本意は王道を説く事で、

覇道の謀略の事例の中に王道の説法も散り嵌めて

埋め込み、具現の士に読んでねと托したのか?


隠者の説法の続き。

「据慢驕奢であれば必ず凶に従う。

修身の内実や価値ある行動の実績が無いのに名誉や

地位を喜ぶ者は削られる。


徳行が無いのに幸福を望む者は窮し、功績が無いのに

禄を受ける者は辱められる。」


「至聖と明学の人に何か不吉な事象があろうか。」

道徳の実践が一番と、隠者も劉向氏も思う。


多くの人は万民安楽の徳の行動が少なくて万一の

僥倖「幸楽」を願う。


「狂夫(狂人)の楽しみ(犯罪的な覇道)を智者(日知り、

天・神の意向を知る者)は哀しみ、愚者の喜びの行動を

賢者は憂う。」


それはそれとして、話は変わり、孟嘗君の側室と相愛

した食客(舎人)の活躍する物語が記録されている。


「斉国と衛国の先君が馬を刑し羊を圧して盟約した。

斉国と衛国とは後世、相互に攻伐しない、もし相互に

攻伐する者がいれば、その生命はこの馬や羊の如くに」


聖書の創世記の15章にアブラムがエホバ神のために

雌牛と雌山羊と雄羊と山鳩と家鳩とを用意して、鳥は

切り裂かなかった、そして夜間に光る何かが切り裂か

れた動物の間を通過した、との契約の記事がある。


この旧約聖書と同じ契約の思想が『戦国策』に記録され

ているという事は、行方不明のユダヤ民族の一部か

ユダヤ教徒か旧約聖書が古代の中国に伝わっていた

と思われる。


「智者」と「賢者」は違うと、『戦国策』で知る。

智者は日・天神を知る者で天使の御旨を知っている、

それを知らない者・邪欲を満たそうとして災禍に遭う

者が狂夫。


物事の達成法・成功法を知らないのが愚者、何かの

問題の解決法を知っているのが賢者。


物事の実態を「聴こうとする者は、国内外の広く多くの

人々の意見を聴こうとするもので、必ずしも真実が

聴けるかどうかは不明です。」


物事の現象への各人の観察力、理解力、判断力、

考察力に左右されます。


「凡庸の主は愛好する物事を賞して、嫌悪する物事を

罰する。」物事の真実を究明する理性からでなくて、

感情の好き嫌いで判断すると間違いやすいでしょう。