日月神示㉞ 春の巻②
大日月大神としてこの神は一柱ですが、働きはいくらでもあるのです、その働きの名がもろもろの神様の名です、無限であるのです、この方は一柱ですが無限の柱なのです、総てが神であるのです、一神です、多神です、汎神(はんしん)です、総てが神です、喜びです、始めから全体を掴もうとしてもそれは無理と申すものです、手でも足でも良いのです、どこでも良いから掴める所から掴んでください、段々分かって来るのです、全体を掴むには全体と同じにならなければならないのです、その人民人民の掴める所から掴んでください、この方は抱き参らせてあげるのです、マツリから出直してください、天地を見てください、大きなマツリになっているのです、霊と肉のまつりが第一です、頭とハラのまつりは結構なのです、二二のマツリは出船の港です、奥から来るものは喜びです、念です、力の元です、生きの生命です、神様にはハラ(腹)を向けてください、宇宙の総てはこの神の現われであり一面ですから、そのどこを掴んで拝んでも良いのです、どこを掴んで縋っても良いのです、水の流れも宗教なのです、総てに神の息が通っているのです、一本の箸を拝んでも良いのですがしっかりと目当て、良い目当てを決めなければなりません、内の自分に火をつけてください、心を暗くしては何も分かりません、世の中は暗く見えるのです、真っ暗に見えたら自分の心に光が無いのです、心してください、自分が光れば世の中は明るいのです、より上のものから流れて来るものにまつわって行く事が大切です、それがまつりの元です、それが宗教です、宗教は生活です、生活は宗教です、裏と表です、順と区別さえ心得ておれば、何様を拝んでも良いのです、日の神様ばかりに囚われると分からない事になるので気を付けておくのです、それでは理(みち)にならないのです、父だけを拝んで母を拝まないのは親不孝です、お陰は無いのです、お陰があったらヨコシマのお陰だと心得てください、手だけを尊んではいけません、足だけを尊んでもいけないのです、一切に向って感謝してください、門もくぐらず玄関も通らないで奥座敷には行けない道理です、順序を馬鹿にしてはならないのです、いつまでも門に立っていても何もならないのです、お出直しです、川が無ければ水は流れない道理です、はじめはカタを踏んで行かなければならないのです、自分を捨てて他力は無いです、人民がいなくてはこの世の仕事は出来ないのです、人民は道具で神は心です、元です、元だけではならないのです、道具だけではならないのです、大神様は一切を幸し一切を救い給うのです、一切が神であり一切が喜びであるのです、その人民にメグリが無くてもメグリ負う事があるのです、人類のメグリは人類の誰かが負わなければならないのです、一家のメグリは一家の誰かが負って果たさなければなりません、善人が苦しむ一つの原因です、神の大きな恵みであり試練であるのです、分かりましたか、愛するものほどその度が濃いほど魂が入っているのです、先祖が大切にしていたものは大切にしなければなりません、現界だけの理屈は通らないのです、飛んだ目に遭うのです、気をつけておきます、念じてから行ってください、局部的に見るから分からないのです、文字を書くのは心ですが心は見えません、手が見えるのです、手が見えるのはまだ良い方なのです、筆の先だけしか見えないのです、筆が文字を書いていると見えるのが今の人民の考え方です、筆が一番偉いと思っているのです、信仰に入った始めは良いのですが途中から分からなくなるのです、そこが大切です、分からなくなったら神示を読んでください、キを頂いてよみがえるのです、出足の港は二二の理(ミチ)からです、真理なのです、これが乱れると世が乱れるのです、神界の乱れはイロからだと申してあるでしょう、男女の道が正されない限り世界は少しも良くはならないのです、今の世の様子を見て早く改心結構にしてください、和は力です、神に任せきると申してもそれは自分で最善を尽くして後の事です、努力しないで任せるのは悪任せです、悪のお任せが多いのです、魂の財産は金を得るより数倍難しいのです、濡れ手で粟のやり方ではカスをつかむのです、むやみに腹が立ったり悲しくなったり、くやしくなったりするのはまだメグリがあるからです、メグリの霊界との因縁が切れていないからです、愛は養わなければなりません、夫婦は命がけでお互に築き合わなければなりません、夫婦愛はあるのではないのです、築き上げなければならないのです、生み出すのです、つくり出すのです、そこに尊さがあるのです、喜びがあるのです、左には宗教、右には芸術です、八合目あたりに行くと総ての様子がほぼ見当つくのです、それまでは誰でも良く分からないものです、これという先達があったら、先達の言う事に言う通りについて行ってください、おかしい先達は始めからおかしいのです、苦労して手をかけて金をかけるほど良いものが出来るのです、信念を越えて自分より上のものに任せきったのが理解であるのです、信念だけでは何事も出来ないのです、確信は理解からです、親子、夫婦、兄弟姉妹と生まれても逆縁があるのです、カタキ同士が結ばれる事があるのです、それは神の大きな恵みです、それに打ち勝って新しき生命を生み出して仕えまつってください、体験のないところに宗教は無いのです、神から出るものは理(みち)に決まっているのです、この平凡な理の道理が何故に分からないのですか、得心出来ないのですか、理(みち)に従えばこそ向上、弥栄えするのです、天狗だから、慢心するから、理がなくなるから行き詰るのです、一応は世界一家のカタが出来るのですが、それではならないのです、それを越えて、ねり直して誠の一家となるのです、天が上で地が下で中に・があるのです、それがミロクの世です、気長にやれと申してあるでしょう、長い苦心がなければ良いものは出来ないのです、この世で出来終わらなければあの世まで持ち続けても、やり続けても良いのです、そなた達はあまりにも気が短いのです、それではならないのです、誠の生活は永遠性を持っているのです、永遠でないものは宗道では無いのです、宇宙のすべてがつながりです、石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながっているのです、手と頭のようなものです、拝み合ってください、親しみ合ってください、和してください、和すと自分となるのです、自分が大きく明るくなるのです、豊かに嬉し嬉しなのです、赤いものの中にいると赤くなって行くのです、理(リ)に向っていると、いつの間にか神の気をいただくのです、神の光がいただけるのです、二度三度話を聞いたり拝んだりしたくらいで理は分からないのです、神は解からないのです、体験しなければなりません、一方的では何事も成就しないのです、持ちつ持たれつであると申してあるでしょう、今の自分の環境がどんなであろうとそれは事実なのです、自分の境遇に不足言わないでください、現在を足場として境遇を美化し善化して進んでください、そこにこそ神の光、喜びが現われるのです、逃げ道を作れば迷いの道に入るのです、楽に得たものは楽に失うのです、信仰の始めは感情に支配されがちです、理智を強く働かせなければなりません、人間は絶えず穢れて来るのです、穢れは清める事によって改まるのです、厄祓いしてください、福祓いもしてください、想念は永遠に働くので悪い想念は早く清算しなければならないのです、中の霊は天国に行っても、外の霊はこの世に残るのです、残る事があるのです、残ってこの世の事物にうつって同じ事や同じ所業を繰り返す事があるのです、早く洗濯してくださいと申してあるでしょう、梅の実からは梅が生えるのです、その梅に実が出来て、また梅が生えるのです、人間も生れ変わっても死に変わっても、中々悪い癖は直らないものです、悪い癖を少しづつ直して行かなければなりません、努力次第で漸次直るのです、宗教は霊、芸術は体です、新玉の真珠の波も草も木も春立ちそめてよみがえりけり、今の科学は科学のことは分かるのですが、それより上の事は分からないのです、今の科学はあるものがあるということだけしか分からないのです、良い求めには良い感応、良い感応に良い働き、良い理解となり、良い生活が生まれ、間違った求めには間違った神、間違った生活が生れるのが道理なのです、窮屈であってはならないのです、しかめっ面をして固くなっていてはならないのです、笑いの道、喜びの道にこそ神のハタラキがあるのです、宿命は宿されたものですから一つの枠に入っているのです、運命は自分で切り開く事が出来るのです、磨いて磨いてください、ミタマ磨きは結構です、信念だけでは行き詰るのです、自分は自分の意志で生れたのではないのです、その時、その環境を無視出来ないのです、その法則に従わなければならないのです、草を拝めば草が神となり、機械を拝めば機械が神となるのです、食べ物を拝めば食物が神となるのです、心してください、神は人民を根本から永遠の意味で良くしようと誠の喜びを与えようとしているのです、局都的瞬間的に見ても分からない事が多いのです、お陰はすぐには無いものと思ってください、すぐのお陰は下級霊です、眉につばしてください、考えてください、現在の環境を甘受しても甘受だけでは足りないのです、感謝してください、積極的に感謝して天地の恩に報いなければなりません、誠の真理を知らない人には神は分からないのです、念じながらやってください、神の為と念じながらやれば神のためとなるのです、小さい行為でも霊的には大きなハタラキとなるのです、自分が強くなるから発展しないのです、行き止まるのです、我よしとなるのです、調和が神の現われです、霊と調和し肉体と調和し人と調和してください、食べ物や住居と調和してください、世界と調和してください、嬉し嬉しなのです、一生かかっても良いのです、遅くはないのです、自分の中のケダモノのために直しにかからなければなりません、悪い癖を直さなければなりません、これが第一歩で土台です、良い事は人に譲り人を褒め、人を立てる事こそ人の人、敬愛の誠心に誠祈り誠行う人が人なのです、何事に向っても先づ感謝してありがたいと思ってください、始めはマネ事でも良いのです、結構と思い幸いと思う事です、そこに神の力が加わるのです、道は感謝からです、不足を言えば不足となるのです、心のままであるとくどく申してあるでしょう、病気でないと思い、弥栄えと思うのです、病治る元が生まれるのです、キが元です、何事が起きても何クソと思えば神の力が加わるのです、恐れは恐れを生むのです、一聞いて十悟らなければならないのです、今の人民には何事も平面的に説かなければ分からないのです、平面的では立体の事や次元の違う事は分からないのです、ハラで悟ってください、相手が八と出たら二と受けてください、人民と申すものは物に囚われるから何事も分からないので相手が十二と出て二十と出て三十六と出たらポカンとして分からない事になるのです、十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受け、また十二と受ける手もあるのです、二十と出たら八十と和してください、立体になればそれだけ自由になるのです、世界が広くなるのです、早く立体を悟ってください、立体から複立体、複々立体、立立体があるのです、✖と÷と和せば※となるのです、複立体なのです、さらに複々立体、立立体があるのです、⦿がその元であるのです、⦿となれば超自由、超自在、超無限となるのです、超完成であり超未完成でもあるのです、神は全智全能から超全智全能に弥栄えしているのです、難しいようですがこの事を良く分かってください、新しい段階に入る門なのです、道は三つだと申してあるでしょう、三とは参です、3(スリー)では無いのです、三は無限です、平面的に申せば右と左とだけでは無いのです、その右の外にまた左の外に道で無き道があるのです、それを善の外道、悪の外道と申すのです、外道が多いのです、中の中には中の道があるのです、中の中の・は無であるから動き無いのです、動き無いから無限の動きです、その・の外の中は人民にも動きが見えるのです、この道は中を行く道だと申してあるでしょう、中の・の道は太神の道、中行く道が神の道、中の道が人の道です、思想と申すのは広い意味で太神から出ているのですが幽界からの力が強く加わっているのです、念と申すのは神界からの直々であり、悪の気を断たなければ念とはならないのです
考察➡6月から大本神愉を掲載する予定です、出来るだけ読みやすいようにまとめています、日月神示の場合も薄めなさいとなっています、原文そのままでは誰も理解出来ないという事です、記号や数字の解読は難しいとなります、現代語にしても難解であるのですが、世に広めるという意義はあります、間違った宗教を広めて多くの人を地獄に落とすのではやらない方が良いです、イエス様信仰をして地獄に落ちるかどうかどうやって分かるでしょうか、イエス様は当時の権力者とユダヤの人々から地獄に落とされたようなものです、罪人として処罰されたのです、イエス様の教えや行動に地獄行きの要素はあるでしょうか、多くの人の病気直しや患いを直したり、悪霊を追い出す権威があるのですから信じるに値します、普通の人は何も直せないし悪霊のままです、どんな人が悪霊に憑かれているか判断するには憑かれているものを見れば分かります、イエス様が付いていないのが悪霊憑きです、イエス様を先生と言いながら裏切ったユダもいます、イエス様を売るという行為は裏切りになります、イエス様を売ってお金を得るのは裏切りです、牧師や神父は裏切りですね、もっとひどいのはパウロを先生にして地獄の子にする伝道です、イエス様が十字架で罪を身代わりに背負ってくれたという神学は学なのです、神力とは神様の力で人を救うという力です、人を救うという力は人にはありません、人には権威が無いのです、裁く権威も無い、救う権威も無い、自分のものは何も無いと日月神示の教えです









