めちゃくちゃ久しぶりにブログしよ。
ちょい長いけど読んでくれると嬉しい。

2020年、結構キツい年だよね。
まだ終わってないけどさ。


なんだろ、「死去」とか「急逝」とかの文字、その人の名前の後についててもピンと来ない、似合わない人が次々に亡くなって、、


心が痛い。みんな傷ついてる。


そして現実は有名人だけじゃないから。



自分から死を選んでる人、たくさんいるんだろう。


とにかくコロナが心に影響してるのは間違いなくて。



春馬くんや芦名星さん、竹内結子さんなんかは全く死に結びつかないのに。



あんなにキラキラしてる人達が向こうの世界選ぶなら、本当にココがリアルな世界なのか正解の世界なのかどうかもわからなくなったりもする。


ただやっぱり本当に本当に生きてて欲しかった。



皆さんの歳を重ねる姿を見ていたかった。



わたしは1度抑うつ状態を経験したことがある。



3人がどんな理由だったかはわからない。だけど、私も死にたいかも、、と思ったことがある。



死にたいというよりは「生きていたくない」「生きられない」ということ。



わたしは重度の鬱病にはなっていなかったから、保育園の送り迎えもするし、人と会えば笑顔で元気に話せたりする。でもそれはハッキリ言ってうわべだけ。


ただ、あの頃、ある日を境に何にも興味がなくなってた。
友達の誘いだって要らないし、心配してくれた親友の心遣いでさえ疎ましく思い、美味しいご飯だって要らないし、エステで気分転換とかも要らない、美容院だって行きたくないし服も要らない。
痩せてた。痩せたかった私はすぐに痩せた。


何にも要らないけど、唯一欲しかったのは元の自分。それだけは死ぬほど欲しかった。


抑うつ状態になるきっかけは、誰にでも起こりうるちょっとしたことだったんだけど。


乳癌検診にひっかかっただけ。
その生検の結果待ちの1週間に色々考えてしまい、パニック状態になり、自律神経がおかしくなった。
癌検診の結果はなんでもなかったのに、その1週間のせいで、脳が誤作動を起こし恐怖と不安と絶望感だけを脳だけが忘れられず、ある日憂鬱な気分の夕方、キッチンに立ってるわたしを、鬱という黒い魔物が迫って来て支配した。


「ちーーん」


という音が聞こえた。


パニック症状からの鬱だった。


何日か経って重い身体を引き摺って心療内科に行くと、年配の先生はたくさん話を聞いてくれて、結果、うつ病ではないけど、「抑うつ状態」だという。


仕事も少ししんどかったし、そろそろゆらぎ世代の年だったし、2人の育児もしんどかったのも重なったんだろう。


それまでの自分は、おしゃれも人並みにしていたし、やりたいこと、欲しいもの、飲みに行くことも大好きで、俗に言う「明るくて楽しい充実していそうな人」。

先生が言うには「今までは、何でも自分の力や他人の力でどんな困難もまあ乗り切れていた、言わば、怖いもんナシ!のような人だけど、自分だけに起きた問題、しかも自分の力ではどうにもならないことにぶち当たってしまって怖くて怖くて仕方がなくなってパニック起こした。結果、脳が誤作動起こして、放心状態になってる。誰にでも起こりうる、その症状だよ」と言われて、妙に納得した。


確かに、それまではどうしようもない困難に遭遇したことなんてなかったから。びっくりしたんだ、、って、、。


でも脳が誤作動起こしたこと、これはどうやって治るのか、わたしはわからなかった。
手術や薬で治るものではないから。(※もちろん薬はあるけどすぐ治るものではないから)


どんな感覚かって言うと、誰か暗い人が乗り移って、私は心の奥で「これは私じゃない」って叫んでるのに、暗い人が出て行ってくれない。一生このままなんだ、、って、絶望感で一杯で、家族子供に申し訳なくて、もう元の私じゃないなら魂だけ抜けてしまいたい、、子供達と離れたくないけど、こんな絶望感だらけの暗い自分がどうやって健全に子供を育てて行くんだ、、もう死ぬしかない、、いや、でも死にたくはない、、死んだら終わり、、自分に戻りたい。。


そして体感はずっと水の中にいる感じ。耳がボーっと塞がってて、人の声もボーっとしか聞こえなくて、来る日も来る日も普通に見える人が羨ましくて。どんな容姿でもいいし、10歳急に歳とってもいいから自分に戻りたいと願い続けてた。

鬱を経験したことのない人は「怠けてるだけ」とか「誰でも落ち込む時ある」とか言う。

だけど、わたしもそう思ってたけど、これは絶対に違うと言い切れる。

完全に自分の意識とは違う。
暗いヤツに脳みそが乗っ取られて支配されてる。

結構辛いでしょ。これ。


でもその時点で唯一、私が出来たこと。
まだ本格的に鬱病になってない自分が出来たこと。


とにかく「わたし、今おかしいねん。頭おかしいねん。どうしようえーん」って、周りの人に「言いふらす」ことが出来た。


元のキャラも手伝ってか、それができた。


そしたら、「あたしもそんなことあったよ」
「大丈夫だよ」「時間経ったらきっとよくなるから」って言ってくれる人が意外と沢山いて、その日はなんとなく安心したり気分が良くなったりして、なんとか毎日浮き沈みしながら過ごしてた。


毎朝、目覚めは絶望感からはじまるのだけど、、。


そしてそんな絶望感の数ヶ月、最終的にはそんな私を見かねて、2つ歳下の実の妹が助け出してくれた。


彼女は過去に婚約者を突然死で亡くしたことがある。


元々仲の良い姉妹。
だけど私の方がそんな悲壮な妹を見るに耐えれず遊び回っていた。そんな酷い姉である私を助けてくれた。妹は何年も外に出られないくらいの精神状態になっていたというのに、、。


、、

ただ、自然が沢山ある所に行く事だった。


たまたま、実父の実家が、海や山、川がすぐそこにある暖かい地域にあり、今は誰も住んでいない、海の見える大きな家を所有していた。(え、、と、金持ちではありません。)

子供の頃から夏になるとそこに行き、数日間過ごしていたのだけど、姉妹共に結婚してからは中々そんな時間がなく、一緒に行くことはなかった。

妹「なあ、おねえ、ちょっとの間田舎いかへん?」

私「え、、こんなんで運転できるかな、、」
「子供らは?」

妹「夏休みやし、習い事くらい休ませたらええやん」


私「うん、、いいけど、、旅の準備とかできるかな、、行っても料理とか出来へんかもやで、、」

妹「まあ、ええやん、やるから。」


と、ちゃんと準備すら出来ないことなんかを気にしながら、半ば無理矢理に行った。


知ってはいたけど、テレビもネットもなくて、あるのは生活が出来る家とライフラインと海。


妹、妹の息子(年長)、わたし、わたしの子供小学3年と年少児。

ボーッとするはずだったそこでの生活は予想以上に忙しかった。


毎日子供達と自然の中に繰り出すのが。


毎日毎日、朝からおにぎりなどの簡単なものを作って、クーラーボックス用意して、お茶とポカリたっぷり用意して、海や川に遊びに行き、(頭はボーーっとしたまま)(暗いヤツも一緒のまま)、15:00頃に帰ったら水着の洗濯、夕飯の支度、子供たちのお風呂、喧嘩の仲裁、もうとにかく自然の中での子供達との生活がめちゃくちゃ忙しかった。


ヘトヘトになって、全員、テレビやネットがないことだって忘れていて、就寝は20:30頃。


その頃、先生に、睡眠導入剤?安定剤?だけ処方されていたのだけど、
「水みたいな中にいる感じがするのは、もしかしたら薬のせいかも??」と思っていたこともあり、「ヘトヘトだから眠れるんじゃないか」と思って、薬を1日1ミリずつくらい削ぎ落として行った。


薬やめたらとうとう鬱病になるんじゃないかって怖かったけど、体が心地よく疲れてたので、眠れそうな気がしてきてた。


私はラッキーだっただけかも知れないけど、そんな生活をたった1週間しただけで、少しずつ自分が戻ってきた。水の中じゃなくて空気の中に戻ってきた。


暗いヤツは、自然が味方してくれたのかな、海の中に引きずり込まれて行った。


今思えば、娘が産まれてからも息子が産まれてからも仕事を続けていて、家事や料理も苦手な中、そもそも子供だって苦手で。

だからか、ずっとろくに遊んであげれていなかったことや抑うつ状態の自分になって、子供たちに対して「こんなことになるならもっと子供たちを大事にすれば良かった、、こんなダメ母でごめん、」と、、


今の私からは考えられないくらいの酷い罪悪感を感じていて、それもまたストレスだったんだと思う。

色んなストレスが、ちょっとしたキッカケで一気に出てきた期間だったんだと思う。


そして娘が8歳の誕生日の時に、そんな状態だった私は、ちっさいパーティすらしてあげれなかった。


ケーキなしで、買ってきたスーパーの焼き鳥三本とサラダとご飯とギョーザ。


自分が情けなかった。その夜ご飯食べながら、必死に泣くのを堪えてた。子供達にバレないように。


わかってるのに出来ない、したくない、気分がそんなんじゃない、
動けない、、。


なんぼ育児大嫌いとはいえ、母としては辛かったなぁ。


不思議なことに、子供ってわかるんよね。3歳だった息子は少しチックの症状が出ていた。


「ん、ん、ん、」て、言うようになった。
無意識に。



テレビ観ながらも「ん、ん、」て言う。ちょっとおじさんみたいで面白かったけど、確実に私の様子がおかしかったからそうなったんや、、と思ってた。



都会の生活から抜けて、ビョーキだから「休んでていいよ」ってお墨付きもらって、ただ自分がどう見えるかとか、こうである方がいいとか、楽しそうにしてなきゃ自分じゃないとか、そういう自分を縛るものから解放されて、大事なものだけに向き合って、自然の中で海や川の音と子供たちの笑い声の中で過ごした時間が、私の脳を取り戻してくれた。


症状が酷い人は、こんな簡単には行かないかも知れない。
だけど、私の場合、確実にそれが治療になった。


そして10日経ったころ、薬は無くなってた。もういらなかった。


更に10日経った頃、くら寿司で10皿食べてた。
エステ行きたいとか、服欲しいとか、飲み会したいとか言ってた。


それがいいのかどうかはわからないけど笑笑


ただ、笑える自分、痩せたい‼️とか言える自分、楽しいことしたい自分に戻れてた。



気がついたら息子のチックも治ってた。



暗くて終わりが見えないトンネルから抜け出せた。



妹には感謝しかない。



その時の経験は、すごく役にたってる。
もう2度と戻りたくないけど。
苦しくて怖くて自分が絶望感で一杯で、、。



でも同じ人を見たら伝えてあげられる。



ありきたりやけど、


誰にでも起こること。
弱いからとかじゃない。
休もう。とにかく休もう。
そして話そう。勇気出して信頼できる人に打ち明けよう。
恥ずかしいことじゃない。
恥ずかしいことなんて大したことじゃない。



今回の有名人の死、たしかに理由は本人にしかわからない。


子供がいるんだから生きなきゃ とか、何がそんなに辛かったんだとか、相談してくれればよかったのにとか、そういう言葉聞く時もあるけど、理屈じゃないねんな。そんな、結果論やたらればでは救えない。

そして本人が1番わかってる。
だからこそ選んでしまった。


理屈で解決できなくて、何にも勝てないような、襲ってくるものがあったんだろう。
そこまで行ってしまった、、


だからもし、同じような人が居たら、なんかおかしいぞ、、って思える人が周りに居たら、どうか病院に連れて行って、もし当人が都会の生活の人で、可能ならば自然の中に連れ出してみてください。



必ずいつも近くにいて、子供のことが心配でノイローゼ気味の方には子供も一緒に連れてって、安心させて一緒に育児をしてあげてください。



仕事が心配で心配で仕方がない人向けには別の何かがプラスアルファで必要かも知れないけど、、


それはわからないけど、、。


とにかく大自然というのは、時には本当に怖いし、災害で大事な人を亡くし、それが原因で鬱になったりする人もいるのだけど、だけど、多くの場合は自然はきっと味方してくれるはず。


抑うつ状態は抜け出せる‼️




そして、芸能人の自死に関して、よく、本人にしかわからないんだから、勝手な憶測などせず、、みたいな言葉も飛び交ってるけど、勝手な憶測で公然と人を非難したり、ありもしない話をあたかも在ることのように書いたり、そんなことは絶対にダメだけど、


悲しみのあまり、深く想像して、何があったんだろう、なんでだろう、、○○が原因かな、誰のせいだ、、とか考えることは普通のこと。


思考や気持ちを押し殺す必要なんてない。


日本人は、現代人は、プライベートに口を挟まないことや気持ちのソーシャルディスタンスも美徳としているところがあるけど、それが生み出したものが意外と孤立だったりしないかな。

おせっかいな人が居て、いつも誰かのこと気にかけているという気配がして、どうしたの?言ってごらんって暑苦しいくらいの人がいてもいいと、
私は思う。


確かに直接触れてはいけないことや、踏み込んではいけないことってあるし、SNSに誹謗中傷をやたらと書き込むとか、やったらいけないこと、それが何なのかがわからないっていうのはまた違う病気で、、。


それは知らん。笑笑


でも、近くの人と十分にそのこと(例えば今年なら芸能人の自死だとかコロナでの未来への不安〕を話し合って、分かち合って、せめて自分が自分を傷つけないように、辛い日々をなんとか乗り越えて行って、少しずつ楽しいことを楽しいと噛み締めて、そして同じ悲しい出来事が自分の周りで起きないように気を配ったり、、そうしている内にいつか癒されていくと思うから。


そんなくらい、彼らは許してくれるはずだから。


長くなったけど、そんな乗り越え方もあるかも知れないよって話でした。。


やっぱり生きてて欲しかったから。