富を熱望した男 ①

 

バビロンの馬車職人(※古代戦争や競争などに使った馬車・二輪戦車)のバンシアーは完全にやる気をなくしていました。家を取り囲んでいる低い塀に座り、悲しそうに質素な家と扉が開けっぱなしの作業場にある未完成の馬車を見つめていました。

 

 

妻が開けっぱなしにしている扉に何度も現れました。自分をチラチラ見る妻は、食料を保管する袋がもうすぐ空になるから、馬車を完成させるために仕事場に戻るべきだと訴えています。打って彫つけをし、磨いて色を塗り、車輪に革をピンと伸ばして張り付け、馬車を渡す準備し、そしてお金持ちのお客さんからお金を受け取るようにと。

 

それでもなお、太くてたくましい体は、動くことなく塀に座ったままでした。バンシアーの鈍い頭が、答えが見つからない疑問と悪戦苦闘していたからです。ユーフラテス川流域ならではの灼熱の太陽が、バンシアーを容赦なく照りつけていました。額から玉の汗が噴き出し、毛むくじゃらの胸のジャングルにポタポタ落ちては、消えていきました。

 

バンシアーの家の向こうに、上部が空中庭園になっている高い壁がそびえ立ち、王様の宮殿を囲んでいました。近くには、青い空を切り裂いて、色あざやかなベル神殿の塔が立っていました。そのような偉大な建物の陰で、自分の質素な家と、もっとみすぼらしくて手入れもされていない家がたくさんありました。バビロンは、このような都市でした・・・偉大さとみすぼらしさ、目もくらむほどの富と悲惨なほどの貧乏が、都市を守る壁の中で計画や制度もなく混合していました。

 

 

バンシアーは振り返り見ることはしなかったが、背後ではお金持ちの二輪馬車が、人込みを分けながらうるさい音を出して走っていました。そして混雑したわきに、サンダルをはいた商人や裸足の乞食が追いやられていました。そのお金持ちでさえも、「王様の仕事」に従事している水を運ぶ奴隷の長い列に出くわすと、排水路に寄って道をあけることを強制させられました。奴隷たちはヤギの革に入った重たい水を運んでいたが、それは空中庭園にまくための水でした。

 

バンシアーは自分自身の問題に夢中になりすぎて、忙しい都市の騒がしい音は耳に入らず、気にもしていませんでした。空想からバンシアーを呼び起こしたのは、突然の聞き覚えがあるリラ(※古代ギリシャの竪琴)の弦が奏でる音でした。振り返ると、親友である音楽家のカーバイの感性豊かな顔が微笑んでいました。

 

「神々の寛大なお恵みを、親友よ」

カーバイは、丁寧な挨拶で話を始めました。

「おやぁ、どうやら神々はすでに寛大らしい。バンシアーは働く必要がないように見える。その幸運を俺と祝おう。それから、幸運を俺にも分けてほしい。バンシアーの財布は、パンパンに違いない。でなければ、作業場で忙しく働いているはずだ。2シュケル(※古代に使われた通貨)だけ財布から出して、今夜開かれる貴族の宴会が終わるまで俺に貸してくれないか。必ず返すから」

 

「もし、俺が2シュケル持っていたとしても」

バンシアーが憂鬱に答えました。

「誰にも貸さない・・・たとえ親友のきみでも。2シュケルは俺の財産だ・・・俺の全財産だ。親友でも、誰も全財産を貸さない」

 

 

「何だと?」

カーバイが心底驚いて叫びました。

「財布に1シュケルもないのに、彫像(※彫刻した像)のように塀に座っている!なぜあの馬車を完成させない?他にどんな方法で、旺盛な食欲を満たしている?バンシアーらしくない、俺の友達よ。いつものすごいエネルギーはどこに行った?何かに悩んでいるのか?神々が困難を突き付けたのか?」

 

「神々からの苦しみに違いない」

バンシアーが認めました。

「それは夢から始まった。馬鹿みたいな夢から。夢の中で、俺は資産家だった。腰帯からは、コインで重たくなった上等な財布がかかっていた。小銭を乞食に気軽に投げ与えることができた。持っていた銀貨で、かみさんに美しい服を買い、俺の欲しい物を何でも買った。将来に不安がなくて、銀貨を使うのを恐れないだけの金貨を持っていた。心からすごく満足した気分だった!そのときの俺を見ても、俺だと気づかなかったと思う。俺のかみさんにも気づかなかったと思う。顔には全くしわがなくて、幸せで輝いていた。かみさんは新婚の頃の、笑顔が絶えない乙女に戻っていた」

 

「実に、楽しい夢だ」

カーバイが言いました。

「でも、そのようなうれしい気持ちで心がいっぱいになったのに、何で塀に座った憂鬱な彫像になったんだ?」

 

「本当になぜだ!俺が夢からさめて財布がスカスカなのを思い出したら、怒りがこみ上げてきた。このことについて、一緒に話そうじゃないか。船乗りの言葉で言うと、俺たち2人は同じ船に乗った者どうし。子供のころは、知恵を得るために神官のところに一緒に行った。青年のころは、お互いの喜びを分かち合った。大人になっても、俺たちは親友だ。そして都市の住人として不満はなかった。俺たちは長時間働き、稼いだお金を自由に使う生活に満足していた。何十年もの間たくさんのお金を稼いできた。だけど、いまだに富の喜びを知らない。夢でしかない。こんなバカなことあるか!愚かな羊と俺たちは同じなのか?俺たちは世界中で一番豊かな都市に住んでいるんだ。旅人は富ではどこの都市も、バビロンに匹敵しないと言っている。俺たちの周りでは、いたる所で富が目に付く。だけど、どれも俺たちの物じゃない。生涯の半分を一生懸命働いても、親友の財布は空っぽで俺に頼み事をする。『2シュケルだけ財布から出して、今夜開かれる貴族の宴会が終わるまで俺に貸してくれないか』と。それで、俺はどうやって返事した?『ほら、俺の財布だ。この中身を喜んで分けるよ』とでも言ったか?違う。俺の財布もカーバイの財布と同じように空っぽだということだ。何が原因なんだ?なんで俺たちは、食べ物とローブ(※古代の衣装)以外に使う銀貨と金貨を手にできない?」

 

 

「俺たちの息子たちについても考えろ」

バンシアーが続けました。

「息子たちは、父親と同じ道を歩こうとするんじゃないか?息子たちとその家族も、その息子たちの息子とその家族も、皆この黄金の都市に住んでいるのに、俺たちのようにすっぱいヤギのミルクとポリッジ(※オートミールなどを水や牛乳で煮たおかゆ)をごちそうとして満足する暮らしになるんじゃないか?」

 

「バンシアー、何十年もの付き合いになるが、きみがこんな話をすることは一度もなかったよ」

 

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