パリで起こった同時多発テロで、多くの方々の尊い命が奪われました。

痛ましい出来事です。

犠牲に遭われた方々にお悔やみ申し上げます。

パリは大好きな街ですし、初めて1人旅をした思い出深い場所です。

フランスの芸術、特に絵画が好きで、美術館をはしごしたり、ルーブルやオルセーには入り浸りました。

歴史を感じる街並みは、初めてなのになぜか懐かしい感じがしました。

以前に来たことがあるデジャブ感があって、前世はパリジャンだったのではないかと思うほどでした。

有名スイーツ店やオシャレなブーランジェリーやブランドの本店など、食事やお買い物も楽しめて、どこでもドアがあれば毎日でも行きたい街です。

そんな思い入れのあるパリでの惨劇は、本当に悲しいです。

観光客が多い国際都市で、知名度も人気あるパリでのテロに、ショックを覚えた人は多いと思います。

関わりが深かったり、縁があったり、知り合いがいたり、憧れがあったり。

パリという馴染みのある街での悲劇に、哀悼の意を表す事は自然な事です。

世界中でタワーや建物をトリコロールにライトアップして、パリでの犠牲者を追悼していました。

日本でも東京タワーやスカイツリーなどがライトアップされました。

SNSではPRAY FOR PARISのハッシュタグが貼られ、Facebookではプロフィール写真にトリコロールを施す加工が見られました。

哀悼の気持ちや平和への祈りに偽りはないと思います。

心の中で静かに祈るのも表現するのも、表現の仕方も自由だとは思います。

ただ街やFacebookに溢れるトリコロールには、何だか違和感を感じてしまいました。

私がひねくれているのかもしれませんが、安易に国旗を飾り、写真をデコレートすることと、哀悼の気持ちに温度差があるような気がしました。

こういう事すると意識高いでしょみたいな、ファッション感覚に見えてしまいました。

パリの前日に起こったレバノンでのテロ、先月起こったトルコでのテロ、フランスの空爆、病院への誤爆の犠牲について思いを馳せているのでしょうか。

イラクやシリアなどアラブ諸国では毎日のようにテロが発生し、多くの市民の命が奪われています。

シリアやレバノンの犠牲者には関心を示さなかった人が、なぜフランスの国旗だけは飾るのでしょうか。

パリでのテロの犠牲者を哀悼するのに、なぜ誤爆による犠牲者は哀悼しないのでしょうか。

命の重みは同じなのに、パリ市民だけを悼むのはなんだかな・・・という感じです。

フランスの空爆による一般市民の犠牲は、許されるのでしょうか。

国旗を飾ることは、フランス国家の戦略を肯定しているように思えてしまいます。

もちろんテロ行為は許されざる事で、その犠牲は理不尽でしかありません。

でもテロへの報復、戦争という動きには断固として反対です。

フランスはテロの2日後にさっそく空爆をしました。

報復は負の連鎖でしかありません。

やられたらやり返す、やるからやられる。

軍事介入でテロを防ぐことはできないと思います。

アメリカフランス間の軍事連携や攻撃強化に危機感を覚えます。

武力を行使せずに、平和的に解決してほしいです。

中東諸国では毎日のように、テロや空爆で不慮の死を遂げる方々がいます。

毎日世界の誰かを追悼し、ご冥福をお祈りするのは難しい事です。

平和を願うだけでは足りない、何かしたい、だからトリコロールだったのかもしれません。
 
パリ市民の安全平和を願い、哀悼すること自体を批判しているわけではありません。

私は違う方法で犠牲者を悼み、ご冥福をお祈し、平和を願いたいと思います☆