今年は、紅白をちゃんと見ました。
いつもチャンネルをザッピングするか、CATVを見るか、親とともに違うチャンネルを見てから紅白を何となくかけるか、そんな感じがほとんどだった例年とはうってかわって、真面目に見ました。
そのプランは出演者が決定された時から決めていました。
「渡辺美里がデビュー25年目にして初出場」
このためだけに、見ることにしました。
私がシンガーソングライターを目指した高校のとき、よく考えてみたら、女性ボーカリストの曲なんてほとんど聞いていませんでした。
唯一、例外だったのが、渡辺美里でした。
最初は小室哲哉が良く曲を提供しているから、という理由に過ぎなかったけれど、高い声がそんなに出ない私にとっては、彼女の音域は合っていたし、なにより、彼女が書く前向きな歌詞にいつも元気をもらっていました。
大学のとき、初めて恒例の夏の西武球場でのライブに行きました。
スタジアムになる前の野外球場での最後のライブの年でした。
彼女がマイクを通さず歌った曲がありました。
でも、2階席にいる私にも十分聞こえる声量でした。
マイクに頼っているアーティストの多い中で、彼女が本物の歌い手であることを実感させてくれた瞬間でした。
その時から、音楽を目指すなら本物にならないと!、本物とはこういうものなんだって分かった気がします。
彼女が観客のファンたちに「世界ウルルン滞在記」でお世話になった人たちに皆の歌声を届けたいから、一緒に歌って欲しい、と言った後、球場一体となって歌った曲もありました。
ワンコーラスでいいからと言われたのに、皆で続けて2コーラス目を歌った時に、ほんとうに嬉しそうに涙をしている彼女を見て、本当に心の綺麗な人なんだなあ、と感動しました。
そんな彼女だから、あんなに人に元気を与える歌詞が書けるんだなあ、と納得したものです。
このライブは、今でも私のなかではベストライブの1つです。
あれから数年、彼女は、今年を最後に恒例の西武スタジアムでのライブに幕を下ろしました。
彼女は、その後、他の番組に出演したとき、少し悩んでいたようでした。
「本当に歌を歌いたい」
そんな気持ちが強まったと言ってました。
長いキャリアのなかで、商業主義の犠牲になったことも何回もあったんでしょうね。
その一言がとても印象的でした。
そんな彼女が紅白の舞台に立ちました。
出演を決めたのは、自分の歌がスキウタにランキングされていたのを、たまたま乗ったタクシーで知ったからだそうです。
望まれているのであれば、歌わないと。
そう思って出演を決めた、と言います。
「本当に歌を歌いたいと思っていたときに出場できたことを幸せに思います。」
そう言って、彼女は代表曲である「My Revolution」を歌いました。
今まで聞いた中で、一番力強い歌声だった気がします。
彼女の中で、今年も、そして来年もMy Revolutionを起こすんだ、そんな思いを込めて歌っていたのでしょうか?
曲の途中から涙がにじみ始めたけれど、彼女は決して音程を外すことなく、声を震わせることなく、歌い終えました。
それが、彼女、本当の歌い手、渡辺美里なのです。
私が目標とした渡辺美里が健在であることが分かり、自分も頑張らなければ!というエネルギーをまたもらいました。
そういえば、私が高校の文集に書いた文章の題名も「My Revolution」だったことを彼女が歌っているのを見ていて、思い出しました。
あの頃夢見ていた未来とは違うけど、少しでも近づけるように、私も今年、「My Revolution」を起こそう、と密かに決意した瞬間でした。
いつもチャンネルをザッピングするか、CATVを見るか、親とともに違うチャンネルを見てから紅白を何となくかけるか、そんな感じがほとんどだった例年とはうってかわって、真面目に見ました。
そのプランは出演者が決定された時から決めていました。
「渡辺美里がデビュー25年目にして初出場」
このためだけに、見ることにしました。
私がシンガーソングライターを目指した高校のとき、よく考えてみたら、女性ボーカリストの曲なんてほとんど聞いていませんでした。
唯一、例外だったのが、渡辺美里でした。
最初は小室哲哉が良く曲を提供しているから、という理由に過ぎなかったけれど、高い声がそんなに出ない私にとっては、彼女の音域は合っていたし、なにより、彼女が書く前向きな歌詞にいつも元気をもらっていました。
大学のとき、初めて恒例の夏の西武球場でのライブに行きました。
スタジアムになる前の野外球場での最後のライブの年でした。
彼女がマイクを通さず歌った曲がありました。
でも、2階席にいる私にも十分聞こえる声量でした。
マイクに頼っているアーティストの多い中で、彼女が本物の歌い手であることを実感させてくれた瞬間でした。
その時から、音楽を目指すなら本物にならないと!、本物とはこういうものなんだって分かった気がします。
彼女が観客のファンたちに「世界ウルルン滞在記」でお世話になった人たちに皆の歌声を届けたいから、一緒に歌って欲しい、と言った後、球場一体となって歌った曲もありました。
ワンコーラスでいいからと言われたのに、皆で続けて2コーラス目を歌った時に、ほんとうに嬉しそうに涙をしている彼女を見て、本当に心の綺麗な人なんだなあ、と感動しました。
そんな彼女だから、あんなに人に元気を与える歌詞が書けるんだなあ、と納得したものです。
このライブは、今でも私のなかではベストライブの1つです。
あれから数年、彼女は、今年を最後に恒例の西武スタジアムでのライブに幕を下ろしました。
彼女は、その後、他の番組に出演したとき、少し悩んでいたようでした。
「本当に歌を歌いたい」
そんな気持ちが強まったと言ってました。
長いキャリアのなかで、商業主義の犠牲になったことも何回もあったんでしょうね。
その一言がとても印象的でした。
そんな彼女が紅白の舞台に立ちました。
出演を決めたのは、自分の歌がスキウタにランキングされていたのを、たまたま乗ったタクシーで知ったからだそうです。
望まれているのであれば、歌わないと。
そう思って出演を決めた、と言います。
「本当に歌を歌いたいと思っていたときに出場できたことを幸せに思います。」
そう言って、彼女は代表曲である「My Revolution」を歌いました。
今まで聞いた中で、一番力強い歌声だった気がします。
彼女の中で、今年も、そして来年もMy Revolutionを起こすんだ、そんな思いを込めて歌っていたのでしょうか?
曲の途中から涙がにじみ始めたけれど、彼女は決して音程を外すことなく、声を震わせることなく、歌い終えました。
それが、彼女、本当の歌い手、渡辺美里なのです。
私が目標とした渡辺美里が健在であることが分かり、自分も頑張らなければ!というエネルギーをまたもらいました。
そういえば、私が高校の文集に書いた文章の題名も「My Revolution」だったことを彼女が歌っているのを見ていて、思い出しました。
あの頃夢見ていた未来とは違うけど、少しでも近づけるように、私も今年、「My Revolution」を起こそう、と密かに決意した瞬間でした。