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真理のみ言は、
戸を開くもの、
その次は心情で、
育ててあげなさい。
----
まず、み言で心を開かせてあげて、
その土台で、
心情を投入する。
「心情」とは
「愛することを通して喜びを得ようとする情的衝動」
人(子供、大人問わず)を育てるためには
「愛」の投入なくしては成せないということを
日々、実感します・・・
戸を開くもの、
その次は心情で、
育ててあげなさい。
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まず、み言で心を開かせてあげて、
その土台で、
心情を投入する。
「心情」とは
「愛することを通して喜びを得ようとする情的衝動」
人(子供、大人問わず)を育てるためには
「愛」の投入なくしては成せないということを
日々、実感します・・・
天国は、
家庭生活の拡大である。
----
「天国」とは、
「あの世」の世界ではありません。
地上に建設するものです!
もっと簡単な言葉で表現すると、
世界中のみんな(もちろん自分自身も含めて)が
「幸せだ~!!!!」
と感じられる日々を送れる世界。
「そんなの無理っしょ!」
と言ってしまえば、そこで終わりですが、
これを本気で考えて、
考えるだけでなく、実行し続けているのが
文鮮明先生!
我らがお父様です!
そして、お父様が語られる「天国」の最小単位が
「家庭」なわけです!
まず、私の家庭が、「天国」になる努力。
そして、天国になった家庭が集えば、
天国の村ができ、
天国の村が集まれば、
天国の国家ができ、
天国の国家が集まれば、
天国世界が実現します!
では、天国のような「家庭」を築くためには・・・
独身であれば、
そのための独身期間であり、
結婚したあとも、
そこを目指して
努力し続ける。。。
これが地上生活の意義であります。
家庭生活の拡大である。
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「天国」とは、
「あの世」の世界ではありません。
地上に建設するものです!
もっと簡単な言葉で表現すると、
世界中のみんな(もちろん自分自身も含めて)が
「幸せだ~!!!!」
と感じられる日々を送れる世界。
「そんなの無理っしょ!」
と言ってしまえば、そこで終わりですが、
これを本気で考えて、
考えるだけでなく、実行し続けているのが
文鮮明先生!
我らがお父様です!
そして、お父様が語られる「天国」の最小単位が
「家庭」なわけです!
まず、私の家庭が、「天国」になる努力。
そして、天国になった家庭が集えば、
天国の村ができ、
天国の村が集まれば、
天国の国家ができ、
天国の国家が集まれば、
天国世界が実現します!
では、天国のような「家庭」を築くためには・・・
独身であれば、
そのための独身期間であり、
結婚したあとも、
そこを目指して
努力し続ける。。。
これが地上生活の意義であります。
今日まで、
天国に入ることを願った人は多かったが、
天国を責任をもって
建てようとする人はいなかった。
我々は、天国の理念をもち、
食べたり着たり飲んだりする、
その何よりもその国を先に考えなければならない。
-----
「天国を建設する」という発想は、
統一教会ならではの発想だと思いますが、
(他の教会では聞けない発想だと思います)
これが、神様を喜ばせることができる道です!
その根底には「親孝行」の精神があります!
そしてそのさらに根底には、
「親が大好きだ!」という心があります。
私たちの生きる目的は「神様を喜ばせること」だと
いきなり言われても、「なんで?」と思うと思います。
「喜ばせなければならない」(義務的)な意味ではなく、
「喜ばせたいんだ!」(自発的)とう意味です。
じゃあ、心の底から「喜ばせたい!」と思えるようになるにはどうすればいい???
実際に自分の周りにいる人で
「この人のためなら何か手伝ってあげられる」
「この人となら、がんばれる」「この人の言うことは素直に聞ける」
と思える人が何人か(一人でも)いるならば、
「なんで、その人に対しては、私はそのように思えるのか?」
それを考えれば、答えが見えてくると思います。
人間は情の生き物なので、
「愛された」「親切にしてもらった」「やさしくしてもらった」・・・
その様な対応をしてくれる人に対しては、
自然と、心が開いていきますし、信頼するようになるものです。
そうなれば、自然と、「喜ぶようなことしてあげたいなぁ・・・」
という気持ちがわいてくると思います。
神様を喜ばせたい!と思える私になること
=人生の目的を果たせる自分になる
そのためには、まず、神様の愛をしっかり実感することが必要不可欠!
神様は常に「愛してくれている」のに、
それに気付いてないのは私たち・・・
『より、孝行息子、娘になっていきたいので
まずは、あなたの愛を実感できる私にしてください!』
『より深く愛せる自分になるためには、
まず、私自身が「愛された!」という実感がないと
心から愛せる私になれないので、
そうなるためにも、まず「私を愛してください!」』
というお祈りが必要ではないかと思います。
お祈りも「動機」が大切です!
天国に入ることを願った人は多かったが、
天国を責任をもって
建てようとする人はいなかった。
我々は、天国の理念をもち、
食べたり着たり飲んだりする、
その何よりもその国を先に考えなければならない。
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「天国を建設する」という発想は、
統一教会ならではの発想だと思いますが、
(他の教会では聞けない発想だと思います)
これが、神様を喜ばせることができる道です!
その根底には「親孝行」の精神があります!
そしてそのさらに根底には、
「親が大好きだ!」という心があります。
私たちの生きる目的は「神様を喜ばせること」だと
いきなり言われても、「なんで?」と思うと思います。
「喜ばせなければならない」(義務的)な意味ではなく、
「喜ばせたいんだ!」(自発的)とう意味です。
じゃあ、心の底から「喜ばせたい!」と思えるようになるにはどうすればいい???
実際に自分の周りにいる人で
「この人のためなら何か手伝ってあげられる」
「この人となら、がんばれる」「この人の言うことは素直に聞ける」
と思える人が何人か(一人でも)いるならば、
「なんで、その人に対しては、私はそのように思えるのか?」
それを考えれば、答えが見えてくると思います。
人間は情の生き物なので、
「愛された」「親切にしてもらった」「やさしくしてもらった」・・・
その様な対応をしてくれる人に対しては、
自然と、心が開いていきますし、信頼するようになるものです。
そうなれば、自然と、「喜ぶようなことしてあげたいなぁ・・・」
という気持ちがわいてくると思います。
神様を喜ばせたい!と思える私になること
=人生の目的を果たせる自分になる
そのためには、まず、神様の愛をしっかり実感することが必要不可欠!
神様は常に「愛してくれている」のに、
それに気付いてないのは私たち・・・
『より、孝行息子、娘になっていきたいので
まずは、あなたの愛を実感できる私にしてください!』
『より深く愛せる自分になるためには、
まず、私自身が「愛された!」という実感がないと
心から愛せる私になれないので、
そうなるためにも、まず「私を愛してください!」』
というお祈りが必要ではないかと思います。
お祈りも「動機」が大切です!
負債を負いながら祝福を受けようとせず、
わら一つでもみ旨の前に加えてから
祝福を受けようとする、
心情の準備をしなさい。
----
改めて正されたみ言です。。。
本当にその通りであると実感せざるを得ません。
祝福を受けるというのは
完全に「恵み」であります。
「私が受けたい」という次元ではなく、
「受けたくても受けれない」という立場です。
本来ならば・・・
そのような立場の私たちが
祝福を受けれるという事は、
誰かがその為の条件を
私たちの代わりに立てて下さっているからです。
では、一体誰が
私の代わりに
条件を立てて下さったのか・・・
それが、メシヤであり、
それが、真の父母様であります。
ですから、
「わら一本でも」
という心情で
私たちは条件を積ませてもらう立場であるという事です。
偉大な先人たちは
いくら私たち以上に条件を積んだとしても、
受けたくても祝福を受けれませんでした。
そのような先人たちの条件も合わさって
私たちが、祝福にあずかれるのです!
私一人の問題ではないのです!
わら一つでもみ旨の前に加えてから
祝福を受けようとする、
心情の準備をしなさい。
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改めて正されたみ言です。。。
本当にその通りであると実感せざるを得ません。
祝福を受けるというのは
完全に「恵み」であります。
「私が受けたい」という次元ではなく、
「受けたくても受けれない」という立場です。
本来ならば・・・
そのような立場の私たちが
祝福を受けれるという事は、
誰かがその為の条件を
私たちの代わりに立てて下さっているからです。
では、一体誰が
私の代わりに
条件を立てて下さったのか・・・
それが、メシヤであり、
それが、真の父母様であります。
ですから、
「わら一本でも」
という心情で
私たちは条件を積ませてもらう立場であるという事です。
偉大な先人たちは
いくら私たち以上に条件を積んだとしても、
受けたくても祝福を受けれませんでした。
そのような先人たちの条件も合わさって
私たちが、祝福にあずかれるのです!
私一人の問題ではないのです!
祝福は、
安らかな立場にいては来ない。
苦痛と十字架の峠を越えなければならない。
今までの歴史は、
苦痛は大きかったが、
祝福は少なかった。
しかし終わりの日には、
苦痛と祝福が正比例する。
-----
つまり、
今の時代が祝福の大きい
恵みの時であるということ!
このみ言を語られたのが
いつかは分かりませんが、
今は、
更に、更に、恵みが大きい時代になっていると実感します!
そして、その恵みを実感すると、
「苦労」という言葉が、「苦痛」でなくなります!
「苦労」という言葉が、「感謝!」になります!
口だけでなく、心の底からです!
それを頭に入れて読み直すと
このみ言の感じ方が変わってきます。
安らかな立場にいては来ない。
苦痛と十字架の峠を越えなければならない。
今までの歴史は、
苦痛は大きかったが、
祝福は少なかった。
しかし終わりの日には、
苦痛と祝福が正比例する。
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つまり、
今の時代が祝福の大きい
恵みの時であるということ!
このみ言を語られたのが
いつかは分かりませんが、
今は、
更に、更に、恵みが大きい時代になっていると実感します!
そして、その恵みを実感すると、
「苦労」という言葉が、「苦痛」でなくなります!
「苦労」という言葉が、「感謝!」になります!
口だけでなく、心の底からです!
それを頭に入れて読み直すと
このみ言の感じ方が変わってきます。
神様は祝福を受けた群れを糾合なさるが、
祭壇、祭物の前で糾合なさる。
それゆえに、
祭客となって祭物の惨状を感じながら、
泣きながら立たねばならない。
-----
このみ言の意味は深すぎて分かりかねます・・・
「糾合」の意味は
「ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめる」ということ。
このみ言のなかの「祭壇」「祭物」が何になるか。。。
それが具体的になればなるほど、
リアルに感じられるとは思いますが、
何を当てはめていいのかが分かりかねます・・・
トータル的に伝えたいことは
「何かの犠牲の上で得ている祝福である!」
という事を自覚し、
感謝していきなさい!
ということではなかとは感じますが・・・
祭壇、祭物の前で糾合なさる。
それゆえに、
祭客となって祭物の惨状を感じながら、
泣きながら立たねばならない。
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このみ言の意味は深すぎて分かりかねます・・・
「糾合」の意味は
「ある目的のもとに人々を寄せ集め、まとめる」ということ。
このみ言のなかの「祭壇」「祭物」が何になるか。。。
それが具体的になればなるほど、
リアルに感じられるとは思いますが、
何を当てはめていいのかが分かりかねます・・・
トータル的に伝えたいことは
「何かの犠牲の上で得ている祝福である!」
という事を自覚し、
感謝していきなさい!
ということではなかとは感じますが・・・
祝福家庭は永遠なる祖先であり、
これからの誇りの条件は、
血統と実体と心情のみである。
特に実体を誇るためには首から上、
すなわち目と耳と口に気をつけなければならない。
選んでみるし、選んで聞くし、
そして口で消化させて黙っていなさい。
権威と責任的位置で判定しなければならない場合以外は、
全部黙っていなさい。
----
かなり、深いみ言ですねぇ。。。
「祝福家庭」とはメシヤから祝福を受けた家庭のことです。
もう少し具体的に説明しますと、
メシヤ(真の父母)である文鮮明ご夫妻から
祝福結婚を通して、
原罪を清算して頂き、
神様の血統(それまではサタンの血統)
に重生(生まれ変わる)させて頂くことにより、
神様の血統圏の家庭を出発させることができます。
つまり、人類歴史(自分の家系の歴史)上、
初めての「神の血統」を出発する中心家庭となるわけです。
故に、私たちには先祖はいますが、
「神の血統」という意味では、
最も最初の家庭 = 祖先
になるわけです。
「黙っていなさい」というのは、
実体で示しなさい = 行動で示しなさい
ということかな?と捉えました。
ダンベリー刑務所の中では、
文先生はみ言を語ることはせず、
神様を中心とした、真の愛の生活を送ることで、
囚人たちを真の愛で屈服させていきました。
そういう風になることが、
私の理想であり、目指しているところです!
これからの誇りの条件は、
血統と実体と心情のみである。
特に実体を誇るためには首から上、
すなわち目と耳と口に気をつけなければならない。
選んでみるし、選んで聞くし、
そして口で消化させて黙っていなさい。
権威と責任的位置で判定しなければならない場合以外は、
全部黙っていなさい。
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かなり、深いみ言ですねぇ。。。
「祝福家庭」とはメシヤから祝福を受けた家庭のことです。
もう少し具体的に説明しますと、
メシヤ(真の父母)である文鮮明ご夫妻から
祝福結婚を通して、
原罪を清算して頂き、
神様の血統(それまではサタンの血統)
に重生(生まれ変わる)させて頂くことにより、
神様の血統圏の家庭を出発させることができます。
つまり、人類歴史(自分の家系の歴史)上、
初めての「神の血統」を出発する中心家庭となるわけです。
故に、私たちには先祖はいますが、
「神の血統」という意味では、
最も最初の家庭 = 祖先
になるわけです。
「黙っていなさい」というのは、
実体で示しなさい = 行動で示しなさい
ということかな?と捉えました。
ダンベリー刑務所の中では、
文先生はみ言を語ることはせず、
神様を中心とした、真の愛の生活を送ることで、
囚人たちを真の愛で屈服させていきました。
そういう風になることが、
私の理想であり、目指しているところです!
祝福を受けた神様の家庭は、
既に、恐ろしい名前であり、
恐ろしい立場である。
それは、
実体と血統と心情に
責任もった立場であるからである。
----
ここで使われている
「恐ろしい」
というのは、
「怖い」という意味ではなく、
「驚くほどにものすごく・・・」みたいな感じだと思います。
「祝福」というのは、
メシヤ(真の父母)から結婚の許しをえて、
神様の真の愛を相続するために
神様を中心とした家庭を築いていくために
全人類が通過すべき
神様を中心とした結婚の事です。
つまり、メシヤからも、神様からも許可をもらった立場であり、
その責任はどんだけ大きいか!
という事です!
頭では理解はしていますが、
実感はまだまだ・・・
日々精進したいです!
既に、恐ろしい名前であり、
恐ろしい立場である。
それは、
実体と血統と心情に
責任もった立場であるからである。
----
ここで使われている
「恐ろしい」
というのは、
「怖い」という意味ではなく、
「驚くほどにものすごく・・・」みたいな感じだと思います。
「祝福」というのは、
メシヤ(真の父母)から結婚の許しをえて、
神様の真の愛を相続するために
神様を中心とした家庭を築いていくために
全人類が通過すべき
神様を中心とした結婚の事です。
つまり、メシヤからも、神様からも許可をもらった立場であり、
その責任はどんだけ大きいか!
という事です!
頭では理解はしていますが、
実感はまだまだ・・・
日々精進したいです!


