才能 | ko-to-ba

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人は発するコトバ通りの人生を歩む。

才能があるからこそ、不安になります。


実力のある人を見て『うわぁ。自分はあのレベルまでは到底たどりつけない。無理だ』と打ちのめされた気分になります。


業界のトップクラスを見て、絶望します。


しかし、そもそも才能のない人は真剣に自分とプロを比較したりしないのです。


才能があるからこそ、無意識の内にプロを比較対象にしているのです。


才能とは、自分が当たり前にできることです。


自分としては、それができることは当たり前だから意識していないというものに才能は眠ります。


いつも授業中に書いていた落書きが褒められてしまいます。


いつも目分量で適当に作っていた料理が褒められてしまいます。


他人から見ると当たり前ではないのです。


あなたの当たり前は、周りからしたら立派な才能なのです。


自分では、中々気づけません。


才能があると指摘されても『え?こんなので才能があるっていうレベルなの?』となるのです。


初めは、自分では全くもって実感できないレベルです。


徐々に周りから才能を認められはじめると、『あ、才能あるんだ』と思って継続してアウトプットができるようになります。


そして、継続して評価されることで更にアウトプットを継続できるいうスパイラルに入れば、自分の才能を確信することができます。


確信というのはある意味、勘違いすることです。


究極、才能とは勘違いなのです。


『夜も昼のように明るく過ごせる』と勘違いし続けたからこそ電気は開発されました。


『人も鳥のように空を飛べる』と勘違いし続けたからこそ飛行機は開発されました。


もし途中で『目を覚ませ。現実を見ろよ』という声に耳を貸して勘違いが終了していたら、電気も飛行機もありません。


それだけではありません。


現在の生活に欠かせないものの多くは、勘違いの産物です。



才能とは、継続して勘違いをしていく能力のことなのです。