大阪歴史博物館のある場所は、大阪城のお堀のちょうど西南。
そう、ここは上町台地の北の端に当たります。
ご存知かもしれませんが、縄文時代は、上町台地が岬のように突き出ていて、
他の大阪平野は海の底~
こんな風に~♪ (これは大化の改新の頃の大阪)
↑ 国土交通省近畿地方整備局 大阪湾環境データベースより図をお借りしました。
だから、縄文時代、人が住んでいたのは上町台地の上。
弥生時代以降になると、水田を作るのに都合のよい、台地の下の湿地帯に
人が住み始めました。
大阪歴史博物館の立っている場所は、難波宮があった場所なんです。
その実物を、建物の地下で見せて頂ける、歴史ボランティアさんによる
無料説明・見学ツアーに参加しました!
こんな風に、「関係者以外立ち入り禁止」の地下にもぐっていきます~。
前の背広の方は一緒に見学した方です^^ 赤い上着の方がボランティアさん。
この扉を開けたら、武田鉄矢さんが「純と愛」のロケをしていて、思いっきり目があった!
でも、さすがに写真はよう撮りませんでしたわ・・・(笑)
建物の地下に、発掘されたままの姿で保存されている、当時の倉庫の柱の穴。
白い浮かんでいるのが、柱、です。
地上にはこんなにたくさん(もっとたっくさん!)の、日本各地から集まってきた
税の品々が入れられた倉庫群があったそうです。
この場所が難波宮だとわかったのは、昭和29年。
それまでは、大阪のどこに都があったのか、分からなかったそう。
上から見る景色。
大阪城を築城する時にもここに古代の宮があったことは忘れられていただろうけれど、
人間、考えることは同じなのかもしれませんね。
気持ちのよい場所っていうのは、本能的に分かるものなのかも。
東南の方角にくっきり浮かび上がる二上山。
タワーマンションの右にポコポコっと2つの頂が見えます。
下に整備されているのは、後期難波宮の跡。
この見えている範囲はその頃は海だったんですね~~
ここから大阪は始まったのですね。
11月25日まで開催の「ウクライナの至宝~スキタイ黄金美術の煌めき」も
初めて見るもの、知ることばかりの展覧会でした!
把瑠都みたいな金髪碧眼の外国人のお相撲さんが、ひとりで見に来られていました。
お名前分からないけど、ウクライナの出身のお相撲さんだったのかなあ~^^
懐かしい故郷のお勉強に来られてたのかな~
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そう、ここは上町台地の北の端に当たります。
ご存知かもしれませんが、縄文時代は、上町台地が岬のように突き出ていて、
他の大阪平野は海の底~

こんな風に~♪ (これは大化の改新の頃の大阪)

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だから、縄文時代、人が住んでいたのは上町台地の上。
弥生時代以降になると、水田を作るのに都合のよい、台地の下の湿地帯に
人が住み始めました。
大阪歴史博物館の立っている場所は、難波宮があった場所なんです。
その実物を、建物の地下で見せて頂ける、歴史ボランティアさんによる
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こんな風に、「関係者以外立ち入り禁止」の地下にもぐっていきます~。
前の背広の方は一緒に見学した方です^^ 赤い上着の方がボランティアさん。
この扉を開けたら、武田鉄矢さんが「純と愛」のロケをしていて、思いっきり目があった!

でも、さすがに写真はよう撮りませんでしたわ・・・(笑)
建物の地下に、発掘されたままの姿で保存されている、当時の倉庫の柱の穴。
白い浮かんでいるのが、柱、です。

地上にはこんなにたくさん(もっとたっくさん!)の、日本各地から集まってきた
税の品々が入れられた倉庫群があったそうです。

この場所が難波宮だとわかったのは、昭和29年。
それまでは、大阪のどこに都があったのか、分からなかったそう。
上から見る景色。

大阪城を築城する時にもここに古代の宮があったことは忘れられていただろうけれど、
人間、考えることは同じなのかもしれませんね。
気持ちのよい場所っていうのは、本能的に分かるものなのかも。
東南の方角にくっきり浮かび上がる二上山。
タワーマンションの右にポコポコっと2つの頂が見えます。
下に整備されているのは、後期難波宮の跡。
この見えている範囲はその頃は海だったんですね~~

ここから大阪は始まったのですね。

11月25日まで開催の「ウクライナの至宝~スキタイ黄金美術の煌めき」も
初めて見るもの、知ることばかりの展覧会でした!
把瑠都みたいな金髪碧眼の外国人のお相撲さんが、ひとりで見に来られていました。
お名前分からないけど、ウクライナの出身のお相撲さんだったのかなあ~^^
懐かしい故郷のお勉強に来られてたのかな~

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