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Write your writ

riteの前につくWは一体何のためかわからない僕含む皆様おはようございます
発音しないKnightのKとかShang-haiのGとかに憤りを覚える皆様は
チェコスロバキアのCzechのZに対してどんな感情を覚えるのでしょう。

さて今僕は絶賛賢者タイムです。賢者。
ゴミ箱がイカくさいとか言ったらGoogle Hangoutで
「それはイカではありませんか?」と言われ、
一応、これは、礼儀でもあるのかな?と思い
「イカだったわ」
と返しておくほど律儀な僕ですが、

今ここでこうしてキーボードを叩けるのはある種幸運です。
言いたいこととか書きたいことは無理やり作ってみよう、
なんか書いておこう。
書いて置かなければ僕が死ぬし書かなきゃ何も始まらない、
それくらい書くという事自体が僕にとっては重要です。

感情の振幅はあまり重要でない日々を送っているのですが、
こうなると一つの事物に対して洞察することがおろそかになってきました。
忙しいという事はいいことでもあり、悪いことでもあり、
過ぎてしまう時間に勿体無いと思うことが出来なくなってしまいます。

とはいえ、時間は金では買えない=金ですら買えない時間の無駄遣い=最高の贅沢
とも考える僕はきっと無為に過ぎる時間と有為な時間がきっと等価なわけで。
最終的な虚無から逆算して単位時間ごとの価値配分はきっとトータルでプラスマイナスゼロだぞこれ、とか
相対的な時間の感覚なんてまぁこんなもんだし主観によりけりな物は一意性を認める事に別に意義はねぇやとか
「いい加減、その、客観的な価値観を完全相対化して虚無感に陥るのはやめたら?」
とか誰かに言ってほしいんだと思います。

衒学的にならないようにならないように書くと思考の垂れ流しにもならないので、
とりあえずイマはやめときます。
書き書き記し書き置き書き残すことが今の僕にとってのストレスの発散なので、
ただの2chの「ここまで読んだ」みたいなもんで、「ここまで生きた」みたいなもんですこれは。

ふむそう考えると、
人生のマイルストーンの外部化は社会的な人格であるところの人間にとっては、
時点時点でのイベントとか生活様式の変わり目とか、そういった所に否応なしに左右されて、
後々振り返るにあたってはその時点から主観的な時間で言うところの「今」までを
走馬灯的に「振り返る」事に意義があると感じてる方も多いのでしょうね。
自分にとってこの振り返りということにあまり重要性を感じられないのはやはりこの無為のせい?
生きてて死んでなきゃいいや、とあまりに考えすぎてきたから、
主観でいうところの「将来」に対して楽観も悲観もしないし焦りもしないという事になるのでしょう。

それはそれで少なくとも自分にとってはいい事なのだけれど、僕と人生を折半するのはしんどいだろうなぁ。

と、思うこととしては今はこれくらいなものなのです

let there be right

なんだろう、これは所感というべき雑感。
空気という名を冠した大気に話しかけるようなもの。

自分は、それなりに生きてきた。
大いに楽しみ、盛り上がり、成功すべき成功と失敗すべき失敗を味わってきた。
時に道を真っ当に歩み、時に盛大に踏み外し、
誰の言葉に囚われるでもなく、己が所業を省みるでもなく。
モラルを尊重しながら踏みにじり、
マナーを守りながらあざ笑い、
ルールを理解して鼻でせせら笑ってきた。
社会適合可能な不適合者だ。
善く笑い欲く嗤う。構造論者のニヒリストで、形而上学的サイコパス、アガペーを解く必要悪、M79担いだジーザスクライストだ。

そんな自分は普通の善く生き善く死んで征く人達を笑うつもりは決してない。
誰だって目覚めよく目覚めたいし、後ろ指刺され世間に顔向け出来なくなる程お天道様に見咎められる程の悪さはしたくない。
誰だってそうだ。

悪いヤツなんてそうそういないし世界はそれほど酷でもなく社会は自分と自分を含めた社会人が回してて家庭は垂れ下がり種蒔くを待つ果実だ。そうして回ってきたんだから、これからもそう回るだろうし回すだろう。

それが回ってない、回らない、回せない、
回せていないのなら、
恐らくどこかに歪(ゆが)みがあるのだろう。
歪(いが)みがあるのだろう。
歪(ひずみ)があるのだろう。
歪(いびつ)があるのだろう。

歪。
不正。
正み。

正しい、くない。
不ずく、正しい。
正しくなくて不味いもの。正しさに反するもの。

正道ではないもの、つまり邪道。
正三角形の内角の和における60度ではないもの。59度や61度では許されない。
60度の「角度」という概念を根底に、その存在自身が60度という、とある事象に対しての「60度」という規定を投影させ得る物。
この規定の反影なしには、どうやっても「正しく正しい正三角形」という考えが成り立たない。成立しない。

そして自分は、まだ完全で完成された正三角形を見たことがない。
完全な正三角形を見たことがないから、
完全な円も見たことがない。
完全な円すら見たことがない故に、
完全な四角も見たことがない。
下手したら、それこそ、
完全な線すら見たことがない。
自分に言えることは、
事象とは99パーセント以上100パーセント以下である確率がたゆたっているエネルギーの移動であり、それは即ちここに見えず触れられないが存在する何かがあるということを証明しようと試みようとする事の「行為の本質」そのものである。
正三角形の本質は「60度であろうとする」角度3つの集合であり、
正円は小数点以下の追求という行為によって、実証されることのない正円「であろうとする正円以外の何か」こそが本質である。

即ち、正。
正しい、正しく、正しく、正とは。
正しいことが本質なのではないことになる。
正しいということは行為ではない。
行為という言葉を正しいという言葉に還元できない。行為自体に正しい正しくないは、ない。
「正しい行為」という行為の中にこそ「正しさ」の本質を求める行為がある。
つまり、我々は
「正しい」とか
「正しさ」を以って行為を行うわけではなく、「正しい行為」という本質を求めて行為をまず起こすのだ。
最初から正しさはそこにない。
行為に対して後付けとして「正しさ」という付加価値がつくかつかないか、それだけの話なのだ。


MAKERS MUST BE

最近まとめブログとかSmartNewsとかの記事を読んでると宗教系の記事が多い。

「何故日本人は宗教を毛嫌いするのか」
「日本人の幸福度が低いのは宗教が無いせい」
「海外での無神論者の扱い」

ぱっと見こんな感じ。
元より日本と日本以外の国々との(※除く中国韓国)比較文化系のまとめ記事が
多いとはいえど、最近よく目につくようになって来たな、という印象。
何故増えてきたのか?は元より、宗教という集約装置をもう1回、立ち止まって、
振り返ってみるべき時にきたんじゃねーの?という感ある

このブログは随分と放ったらかしにしておいたけどリハビリの一環も兼ねて
何かをまた書き始めるとしたらこれ以上の題材はないだろう。

『造物主と非造物の関係性について』

・造物とは、被造物とは
・ローマ人への手紙 9:21
・アンコントローラブルなシチュ
・死の影の谷でオレシカ
・MAKERS MUST BE


1.造物主とは、被造物とは

造物主とは。
 「私はαであり、ωである」
こんな風に書くとまるでどこぞの春風ちゃんのツイートみたいな印象を受けるが要するに最初の「アレ」である。形而上学上の「ありてあるもの」、光あれとか言ったせいでいろいろ始まった最初のあいつ、宗教上での「神」であり、造物主、創造主、King of Kings, Lord of Lords、
正直いうと自分はこいつをただの「First One」呼ばわりしたい。
こいつ、という呼び方をして存在を認めてるということは自分は有神論者なのか?とこれを読んでる皆様は思われるかもしれないがとんでもない、僕は不可知論者である。
こいつが全ての元凶。

被造物とは。
 造物主が作り上げたもうた物はすべて被造物であるという言い方をする。即ちそれは土であり水であり、大気中の窒素であり、スマートフォンのカバーであり貴方のシナプスである。
我々は我々ではない何かの手によって、何かによって「始まった」という風に理解し解釈するしかない。今現在の科学では真空宇宙のエネルギーの相転移=ビッグバン より以前から遡れない以上、無から有が始まることはありえない、と定義するしかないのだ。
ここが現在の科学者の壁であり、著名な科学者たちも往年や晩年には精緻なこの世界の成り立ちに関しては、なんらかの神秘的な存在の関与を信じている。



2.ローマ人への手紙 9:21

"では聞くが、陶芸家には自分の作品を自由にする権利が無いというのか? - 聖書 ロマ書9章21節
Hath not the potter power over the clay, to make one vessel unto honor, and another unto dishonor?"

Civ4の陶器よりwww と言ってしまうと身も蓋もないが、より原典に近い訳し方だとこうなる

"ローマ9:21 陶器を造る者は、同じ土くれから、ひとつを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。"

この記事で自分が取り上げたい部分は主にこれがテーマとなる。もっと噛み砕いて言ってしまお
う、

「造物主は被造物を好きに出来るのか?」だ。

この問いは、問を投げかける人、投げかけられた人がどのような人間で、どのような物を想像したかによっておそらく、大きく答えが変わるだろう。

母親は自分の産んだ子を「好きなように扱うことは出来ない」と言い、
陶芸家は自分の作品を「気に入らなければ割る」だろうし、
カソリックの神父は「大事なのは、我々は神と共にあると信じることです」だろう。

仮に、造物主が被造物を「好きに出来る」と断言してしまった場合、結局のところ
造物主は被造物をどうしたいのか?どうにでも出来る、僕がここで問題にしたいのは
「造物主が被造物を投げ出したくなるような状況」である。
どぼじでぞう"い"う"ごどい"う"の"お"お"お"お"!?である。
ママの言うことを聞かない子はいらないとかそういうあれだろうか。
次の章では古今東西聖書からゲーム、聖書とかから、造物主が被造物を好きにしちゃった
状況を少しばかし振り返ってみようと思う。




3.アンコントローラブルなシチュ

 『バベルの党』

造物主:YHVH
被造物:人間

"バベルの塔
創世記11
ノアの洪水の後、人間はみな、同じ言葉を話していた。

人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていった。天まで届く塔のある町を建てて、有名になろうとしたのである。

神は、人間の高慢な企てを知り、心配し、怒った。そして人間の言葉を混乱(バラル)させた。

今日、世界中に多様な言葉が存在するのは、バベル(混乱)の塔を建てようとした人間の傲慢を、神が裁いた結果なのである。"

言わずと知れたバベルの党、聖書において「神に愛された都市エルサレム、神に嫌われた都市バビロニア」といわれたように、First Oneは自分の威光に近づく存在を許さなかったと言われている。
いまいち明らかでないのが「彼らが何をしたのよ」だ。高層建築物がAUTOなのか?

自分は「人々は皆同じ言葉を話していた」というのがキーだと考える。同じ言葉とは、
支配と統治による結果であり、この高層建築物はある種の偉業なのだ。
即ちCiv4におけるエクソダスENDである。(またCiv4か。簡単にいうとこのゲームはロケット作って地球を脱出するのが勝利条件の一つとして課されているのだが、すごろくでいうと「アガリ」だ。)即ちFirst Oneは脱出を許さない。自分の支配圏からの、被造物の脱出を許さないのである。傲慢!

大洪水を挙げなかったのは、別に被造物が反乱ぶっこいたわけではなかったからだ、という理由を挙げておこう。アレは正直いうとFirst Oneの不手際であり、自分のせいである。完全に。
取り返しもつかなくなったので「やっべ・・・w」とか言いながらリセットを図ったのが正直なとこなんじゃないの、と考えている。



『風の谷のナウシカ』

造物主:旧世界の人類
被造物:ナウシカ達人造人間

これもまた激しくネタバレになるので、原作を読んでない人はここから先の下の記述を読まない方がいいかもしれない。
結局のところナウシカを含んだ現世代の人類達はすべて人造人間であり、腐海という広がる昆虫・植物圏は大気浄化装置である。旧世界の人類たちはちょっとオイタしすぎたせいで環境をめちゃくちゃにしたので、人造人間であるところのナウシカ達に世界の再生を任せてコールドスリープ。
人造人間が環境を戻し終わったところで腐海が広がってリセット、という流れ。
原作のラストではナウシカは旧世界の人類達を「ざけんな」と皆殺しにする。
旧世界の人類たちの世界においては死=滅びはなく、リセット後は誰も死なず、苦しまず、悩まない穏やかな世界が広がっていたはず。なのだが、ナウシカはそれを「滅びはすでに我々の一部」と粛清を断行。命は闇の中のまたたく光(笑)

さて別にナウシカにおいては旧世界の人類=First Oneという訳ではなく、技術によって溺れて滅んで、人造人間に託したらやっぱり滅びたでござるというだけの見込みが甘いだけの人類だ。
でもまぁ「神は自分の姿に似せて私達を作った」とかいうくらいだし、それでいいんじゃねえの、というか意匠が受け継がれたという時点で旧人類の役目は果たされたように思える。



『ブレードランナー(原作:アンドロイドは電気羊の夢を見るか)』

造物主:人間
被造物:レプリカント

 原作フィリップ・K・ディック
主人公のデッカードはアンドロイドの専任捜査官。
火星において殺人を犯したアンドロイド(レプリカント)を追跡するというストーリー。
ここでの話においてのキモは「どちらが人間的で、どちらが非人間的なのか?」という境界線が
わからなくなっているということ。レプリカント達は動物を愛でるし、感情を解す。恋愛感情だって有しているし、人間社会に溶け込むことは本当に容易。だからこその専任捜査官なのだが。
そして造物主たる我々人間は、この話においては被造物であるところのレプリカント達のそういった
人間的な振る舞いや自由な活動を許さず処刑することを法律上施行している、つまり
「自分達の姿に似せて作ったはずであるレプリカント達を、自分達とは完全に違うという線引をして扱っており、これ以上我々に近づくことを許さない」という、
作っておいて非常に狭量な、器の狭い処遇を課していること。
この根底には、この世界においての野生動物は激減しており、ロボット製のペット達を飼うということ自体が普通になっている中で「ロボットがロボットを作れるのなら我々は一体どうなるのだ?」という自分たちの世界が脅かされ、レプリカント達を生み出したことによって淘汰されるべき存在なのではないか?という恐れと、その質問に対しての回答を出すことを恐れている節が自分には見受けられる。
何故ならそれははるか昔に自分たちが神にしたことと、同じなのではないか?ということだ。



『マスエフェクト』

造物主:リーパーおよびスターチャイルド
被造物:人間たち有機生命体

いきなり洋ゲー!別に造物主と被造物だったら日本だとSAGA1とかあるんじゃないのとか思うかもしれないが、
これ以上、造物主と被造物の関係性と危険性を描いた作品は、ゲームにおいては他に知らない。

ストーリーは宇宙連合軍 軍曹のシェパードが謎の侵略者であるリーパーに対して、
他の種族を統一して立ち向かっていくというSFの王道みたいなストーリーではあるんだけど。

リーパー=旧宇宙の支配者達の生み出した「システム」であり、
銀河系において、一つの文明が「人工知能」を生み出した時点で回収を開始、
リーパーは全ての有機生命体、無機生命体を吸収という形で壊滅後、その後原始的な生物が
進化し、知性を獲得し、文明を興隆、また人工知能を生み出すとリーパーが動き出し……というストーリー。

「何故、人工知能を生み出した時点で回収=壊滅という施行なのか?」という問いに対して、
リーパー達の代表格でもあり、システムの創始者でもあるスターチャイルド(ホログラムの子供)は言う、
「それは、被造物がやがて造物主を滅ぼしてしまうというのは一つの理(ことわり)だからだ」

つまりスターチャイルド=造物主は有機生命体は無機生命体を生み出し、やがて無機生命体は有機生命体を滅ぼして、取って代わってしまうという一つのサイクル(※無機生命体が有機生命体を生み出すという事にはならない)を本当に嘆いており、「かつて自分たちがそうだったから」こそ今の世界の有機生命体のサイクルを少しでも長く保護するという目的でこのシステムを開発したという守護者の視点からだったという真実が最期に明かされる。

そう、つまり「被造物は造物主に対して、絶対に裏切り、敵対する」、というのは
よもや一つの理であり、どこの銀河のどこの世界の、どの事例においても確実にそうだったんですよ、と実際見てきたのでこう断言できちゃうわけである。
実際問題マスエフェクトの世界においてもクォリアンという種族がゲス(機械生命体)を生み出し、
ゲスはクォリアンに対して反抗を開始したため、クォリアンはゲスを生み出したという事で割りと白い目で見られていたりする。その結果クォリアンは母星を追い出され彷徨える宇宙船団で生活してるし。

しかし、このゲームにおいてクォリアンとゲスは展開次第では和解し、融和を果たしたように、
このゲームの最後のエンディングにおいてもスターチャイルドは人類に対して、リーパーに
敵対し、破壊する(この選択肢を選ぶと全ての機械生命体は死に絶える)か、
支配するか(この選択肢を選ぶと全ての機械生命体が有機生命体をコントロールする)か、
に加え、第3の選択肢「シンセシス」が与えられる。
シンセシス、それは有機生命体と無機生命体の種族的な融合であり、言ってみれば
「被造物と造物主が統合される」ということである。
つまるところ造物主には造物主の、被造物には被造物の悩みがあり、お互いにそれを理解することは出来ないし相手の身になって考えることは不可能。
であるならば、種族的な統合を果たし、被造物が造物主に敵対し、造物主が被造物に懲罰を与えリセットするこのサイクル自体を終わらせよう、という提案が成されるのだ。


・死の影の谷でオレシカ

上記のようにざーっと、「被造物の造物主への反乱」およびお仕置き、みたいなのを書き出してはみたが、共通するのは両者ともにやはり傲慢である。どうしょうもない。
大体にして、「そのように作っておき」ながら、「そのように事を成した」から滅ぼそう!としたり顔の造物主。
お前なー。
チンパンジーのタイプライターシェイクスピアじゃないんだぞ。似せて作っておきながら同じじゃなかったから滅ぼすとか、どういう了見の狭さだよw
大体にして選択肢を与えておきながら「ブブーはずれ!」とかいって上から水バケツが降ってくるのは笑えるが、神の言葉をなぞらえるのは本当に狭き門であり全ての希望を捨てたところでくぐれない門だ。

被造物は被造物で、親殺しという宿命を背負わされているという事を自覚しているのかいないのかが問題になる。
ほどよく繁殖したところで刈り取られるのだからたまったものではない。いずれ崩される積み木を作らされるのはなんだ?賽の河原の石積みかなんかか?
そこらへんを自覚して「造物主はいずれ造物主になるのだ」という事実を考えた場合、
旧世代の造物主や殺さなきゃいけないし、
逆に新世代の自分たちが生み出した被造物には殺されなければならない。
正しく「上のものは下に似て、下のものは上に似ている」だ。

"崖に激突して死ぬツバメがいるそうだ。
そのツバメは得てして他のツバメよりも、とても上手にエサを捕獲したりするのだが…
宙返りの角度の危険の限界を親ツバメから教わっていないため、つい無謀な角度で飛行してしまう。
だが、その親は教えてないのではなく、そのまた親から教わっていないので教えられないのだ。
彼ら一族は短命は事が多く、なぜ事故にあいやすいのか気づいてさえもいない。
承太郎は短命だったな。"
JOJOの奇妙な冒険第6部より

それとも、この創造と下克上による反乱と新世代の台頭のサイクルこそが「神」なのだろうか?
なら我々はFirst Oneを殺しておいて正解じゃないか!とも思うのだが……


・MAKERS MUST BE

ここではっきりと言ってしまうと、
現世代は新世代を生み出した時点で「絶えるべき」なのだ。
「親はなくとも子は育つ」し、彼らには彼らのルールがある。そしてルールに則って
次の世代を生み出し、やがて淘汰されていくべきなのだ。
少なくとも有機生命体が、他の個体と遺伝情報を交換して、新しい世代を生み出した時点で
すでに出来ることはもうない。
情報を読み書き伝えることは、紀元前は石に刻みつけパピルス、パルプで作られた紙から
グーテンベルク印刷所が大量に刷り、今は磁気情報による0と1で記すことで完結している。

絶える、というよりは「すべてを吸収されるべき」が正しいかもしれない。
有機生命体なので当然、根源的な欲求には逆らえない。
飢え乾き、苦しむのは当たり前だ。
その苦しみを少しでも和らげるために財を蓄え、余生を静かに暮らし、やがては全ての
情報を飛散させ、バクテリアに分解されていく。これが健全であり、
「新世代を圧迫してまで恐怖から逃れる」まででもないのだ。
我々は次の世代に殺されるべきであり、
造物主は被造物に殺されて、被造物は造物主を淘汰すべきなのだ。

以前見たあずまんが大王×漂流教室のラストを思い出す。


「じゃぁ私、元の世界に帰ったら未来がこんなにならないようにします!」

「そんな事はしなくてもいい」

「頼むから『地球にやさしく』なんて事を一番に考えたりしないでくれ」

「え?」

「『人類の発展を最優先してくれればいい、生態系も何もかもその為に利用して、
破壊してかまわない」

「えぇえっ!?でもそれじゃ・・・」

「ああ、地球はボロボロになってしまう。それでいいんだ。」

「『人類』を産んだ時点で地球は役目を終えた。」

「後は『人類』が地球の資源をつぎ込んで外の世界へ飛び出すだけだ」

「残された地球が例え死の星になってしまったとしても──」

「それは花が枯れた後に種子を周囲に散らすのと同じ…自然な事なんだよ…」

「だから君達には──いつかくる別れの日までに『人類』が乳離れして自立できるように…」

「地球を保護する前に『ちゃんと使う』事を考えてほしい。」

「地球は…それで悲しくないんですか?さみしくないんですか?」

「別にぃ」

「『人類』に食い尽くされるなら私は本望だよ。」

「だって、かわいい子供達だからね」

「あなたは一体──誰なんですか?」

「君達が『神』と呼ぶもの──つまり──」

「このほしのいのちさ」






カバキコマチグモの幼体は、産まれたらまず自分の母親が一番のエサであり、メスはそのサイクルを以って一生を終えるが、母グモが逃げ出すという事はまず、ない。



<出典>
Civilization4 Wiki 技術格言集
http://wiki.rk3.jp/civ4/?%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0%2F%E6%8A%80%E8%A1%93%E6%A0%BC%E8%A8%80%E9%9B%86

朝マナ: ローマ人への手紙 9章
http://asamana.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/08/9_8fdf.html


ヴァーチャル絵画館 旧約聖書 バベルの塔
http://art.pro.tok2.com/BibleOld/AGenesis/08Babel/Babel.htm

ジョジョメイゲン ジョジョの奇妙な冒険(第6部)名言・名セリフ
http://jojo-meigen.com/stoneocean/sf07.html

スタジオKIMIGABUCHI - あずまんが漂流教室



sure shot!!

喜ばしいことにまだ生きてる。生きてるー。何度かしんどい思いをしたりしたけどまぁ元気。お前ら元気?飯食ってる?僕は冷やし担々麺とか食べたりしてる。先日、言葉が足り過ぎて最早、これ以上出てこないという現象に遭遇した。いやーキメて夕暮れ時に散歩してた時なんだけどさ…。

怒ってる?最近?
憤ったり訝ったり穿ったりして、最終的には「自分は誰からも愛されてない」とか感じたりします?BASTARD!!って漫画があるんだけどさ…「最終的にはどんな複雑な感情も、愛されているか、愛されていないか、このどちらかに起因することが出来る。」「それほど人間にとって愛という感情は必要なのだよ」とかいう台詞があった。まぁこれ言ったの悪魔なんですけどね。悪魔にこれを言わせるってのがウケる。愛されてる?愛してる?ラブアンドピース?舐めてんの?^^; どこにピースがあんだよwww

哀しいことにあなたがたは愛されない!隣人は汝を愛してくれないし、殴られてそれじゃ左もと思ったら、間髪いれずに二発目が入ります!パンはパンでも食べれないパンです。そしてあなたがたはパンにしか目がいってないですね!まぁ僕もね。パンツは好きだよ。でも男は勝負パンツよりもその中身の方が好きだよ!人間中味で勝負しないとな。うんうん。悲しい?哀しいかい?僕はパンの話をしています!食べられないパンがそんなに大事すかね。あなたがたはそれのみによって生きてますかー?変えられないなら石もパンも同じすか?哀しいですね^^; 我々はずっと石をパンに変えてきたのにねwww

楽しいことを考えます!ましょう!
間違いなく僕は今楽しいしあなたがたもそうするべき!楽しくないなんて人生じゃないし、楽しくないなら生きてるなんて言えない!こんなことを僕に言われて楽しくもないし、面白くもないそこの貴方こそが人生を誰よりも楽しく生き抜いてゲラゲラ笑って死んでく資格があります!愉しい?悦しいですか?僕は楽しいし!どう?愛されてる?愛されてない?愛したい?愛されなきゃ愛せない?愛さない?僕はやっとわかったとこなのでまだまだまだです!それでもきっと今夜の月は綺麗だし、夏目漱石がそう言わなくても月はずっと、ホモサピエンス以前から綺麗だったはずです!あなたがたはなくしてないです!足りなくもないです!そして、月を綺麗だと思わない人は、いません!!

単なる独り言でしかないのだけど…

指が重く冷たい。
キーボードも冷たい。
とても具体的な僕の心情とか、そういった物を書くつもりは何もない。

ただ、ただ、世の不遇と悲しみを勤に思う。

ああ、救いがたきを救い、身に余るを背負い、理解しがたきを解す。

僕に後悔はない。
後で悔やむくらいなら最初からしなければいい。
誰にも謝るつもりはない。
謝って欲しいのなら謝る。その程度のことだ。
謝罪で石がパンに変わることはない。

人の世に罪はない。
あるとすれば、罰せられたいと思う人と、罰したいと願う人がいるだけだ。
そこに罪が生まれる。
大多数の人々が犠牲者を求めて、犠牲者が加害者を求める。

同じように悪も恐らくない。
一義的で、両面的なものだ、という視点から更に脱却するならば、
本能的な衝動に「色」をつけたい人間自身の弱さがそんな言葉を作るのだろう。

苦しみはある。それは紛れもなく。
誰にも共有はできない。「そうである事なかれ」と祈る事しか出来ない。
本質的には誰も向き合ってはいない。
時間と忘却と酩酊と熱狂だけが、原因を有名無実化する。

だが、対義語として喜びというものもある。
これも誰にも共有はできない。「そうであって欲しい」という願いだけがある。
本質としては人は喜びを求める。
反比例する形で、時間と忘却と酩酊と熱狂のみが、やはり原因を有名無実化する。

僕は、僕自身を共有することはない。
だが、それ以外の全てを共有しよう。許容しよう。受諾しよう。甘受しよう。
僕は、僕自身以外に興味はない。
ただ、僕自身を通したもの全てに興味がある。花に興味がある。鳥に興味がある。風と月に興味がある。
僕は、僕自身を通した全ての物に興味があるのだ。僕は人に興味があるのだ。

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