ヒトリエが現在のメンバー体制で活動し始めるようになってしばらく経ってからヒトリエやwowakaを知り、今に至る。

 

 

 

匿名コメントが仄めかす異様な雰囲気に対して嫌悪感を抱いてしまうのは、wowakaの曲を初めて聴いた時から今までずっと変わっていない。

 

私はその匿名コメントと全く同じ視点に立ってwowakaの曲を聴くことが一生出来ない。だからそのコメントに共感することが一生出来ない。

 

 

私は場違いなのかという錯覚に何度も何度も陥った。

 

しつこいくらいに音に合わせて足を踏みながら聴きたくなるような楽しい曲までも、目に悲しみの涙を浮かべて聴かなきゃならんのかと思った。

 

聴けば聴くほど気づくwowakaの楽曲の凄さや楽しさが、思い入れのある人が抱く負の感情によって小さくなっていく瞬間は、本当に本当に苦しい。

 

私だってそんな人達のように、初めて聴いた時の感動を忘れずにいたいのに。

 

自分の純粋な感動までも疑ってしまい、wowakaの曲に対して抱く感情を無意識のうちに美化しすぎていないだろうかと思ってしまう自分も大嫌いだった。

 

 

 

2024年5月11日、wowakaのボカロ楽曲初投稿から15周年を記念し発売された、wowakaの歌詞集を購入し、wowakaが作詞した全てのボカロとヒトリエの楽曲の歌詞を手にして読んだ。

 

ヒトリエのメンバーだけでなく、何名かの有名なアーティストのメッセージも掲載されており、wowakaの曲に対する想いが綴られている。

 

 

無論、私はそのどれもに共感が出来なかった。

 

同じ境遇に居たフリをして、悲しいですね~あなたの楽曲は今もなおたくさんの人に届いていますよ~なんていうのだけはマジで避けたいし、このアーティストにはこんなエピソードがあったんすね~ぐらいの心持ちで目を通した。

 

 

 

数日前、5年ほど前に投稿されたとあるボカロ曲を聴いて、今更ハマった。

 

何といってもメロディーがすごくキャッチ―で、何回聴いても飽きない、クセになる曲だった。

 

なんとなく、歌詞にじっくり目を通したい気分になり、一行一行丁寧に歌詞を読んでいった。

 

そして読み進めるたびに、歌詞の在り来たりさに驚愕した。

 

 

在り来たりすぎた。

 

多分、別の人が作る別の音楽でもこんな歌詞書かれてる。

 

よくある、「あなたと居るなんてもううんざり。今まで一緒に過ごしてきたけど、これでサヨナラよ。」みたいな歌詞。

 

もう5億回聞いたわその歌詞!!!!!!

 

もういいって!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

音楽って、比較したり優劣をつけたりすると、まあそれはそれは楽しめないものになってしまうのであまりこんなことはしたくないが、wowakaの書く歌詞に対して抱くワクワク感の貴重さを改めて実感した。

 

wowakaの歌詞や楽曲そのものに影響を受けている音楽や、wowakaというキャラクターや生涯に影響を受けてしまっている音楽はたくさんあるだろうけど、誰がどう足掻いても似つきもしない唯一無二な音楽性や歌詞は、めちゃくちゃ凄いんだなと改めて思わされた。

 

 

wowakaは既に、有名なアーティストから匿名の一般人まで、世界中のたくさんの人から評価されており、その評価も絶賛の嵐。のように見える。

 

だって私が同じようにwowakaの楽曲を語ろうとしても、「wowakaって凄い人なんだ」ってイメージが既にあるから、具体的にどこを凄いと思っているのか言語化しようとしたって、皆が凄いって言っているからきっと凄いんだろうし、仮に個人的に気に入らないなと思うところがあったとしてもそれには目を背けてしまうだろう。

 

 

音楽を比較するのは好きじゃないと言いながらめちゃくちゃ比べてしまっているが、なぜ自分がwowakaの曲を聴くとワクワクするのかを身を持って実感できた。

 

皆が絶賛しているからという理由じゃなくて。

 

絶賛しなきゃいけない曲なんてイメージを持たずに。

 

初めて目にした時から困惑してしまったあの匿名コメントを書いた人達のように、純粋な感動をようやく持てたことがとにかく嬉しかった。

 

 

前からも、そうやって純粋な楽しみ方をしながらwowakaの曲を聴いているつもりだった。

 

でも、なんとなく自分の中で構築されていた「wowakaの曲は全部凄い」「wowakaの曲は全部殿堂入り」みたいな感情にならずに「wowakaの歌詞ってこんなに凄かったのか」と思えたのは、今更ながら初めてかもしれないと思えた。

 

 

 

私のように、これからwowakaを知る人は、wowakaの曲をどのように聴くのだろうか。

 

楽曲を先に耳にしたとしても、おそらく後天的にwowakaという人についても知っていくことになるだろう。

 

ショッキングな事実を知って、思わず涙を流してしまうことに憧れを抱いてしまうだろうか。

 

音が綺麗だとか、元気を貰える歌詞だとか、そういうもっと簡単な理由でwowakaの曲を聴く機会は、それ以降減ってしまうだろうか。

 

 

 

音楽に限らず、「伝説」を遺す人はこれから先もたくさん現れることになる。

 

それでもなお、どうにかして保ち続けたいものは、初めて知った時の純粋無垢な感動と、他人の評価ごときでは決して揺るがない自分自身の感想と、これから何十年先もずっと、初めて知った時と同じようにその作品に感動し続けるという決心なのかもしれない。