世界もパリもTokyoも miophotos -13ページ目

病気から逃げない

 ちょうど1週間前、パリを出発した日飛行機


          夜景

 なんだかもう遠い遠い昔の話。

仕事に毎日行っていると、こっちの世界が今の私の普通になってしまうから。

唯一、パリにいたことを実感できるのは時差ボケで痛む頭だったり、突如襲う眠気だったりショック!

 

 明日はいよいよ血液内科に行ってくる。

2ヶ月放っておいたからちょっと怖い。

でも、食べたいものを食べて、ずっと我慢してたワインも飲んで、パリの荷物をすべて片付けて、旅行もして、モネの絵も見て。

ぜ~んぶすっきりしたから(いや全部といのはちょっと嘘かな)。

この2ヶ月はかなりの栄養過多でガンがまた潜伏しているとしたら相当の栄養素だったけど・・・でもストレスはあの頃に比べて本当に減ったから。

だから大丈夫だと信じてる。


 ずっと大丈夫だと信じてる。

今朝、ふっと目が覚めて思った。

お休みの日だからお布団の中でぬくぬくと時間をやり過ごす。

こんなことついこの間はパリでしていたのに、あの腰が痛くなる折りたたみ式ベッドで寝ていたんだなあ。

そして、今のこのベッドは病気を乗り越えたベッド。


 今を生きていると感じる。


 実は、昨日ちょっと悲しいことがあった。

仕事で、精神カンケイの病気の方と接した。

その人が言っている事は本当のことかは分からない、でも隔離されて入院しているのにもかかわらず必死に連絡をしてきたのに、それなのに上司はつめたかった。

私は本当に悲しいと思った。

病人の思いや苦しみって伝わらないんだなって感じた。


 やっぱり私が伝えていかないといけない。

それが私にできるせめてものこと。

命を取り戻した私ができるせめてものことなんだと思う。

そのためなら、私は私がホジキン病であったこと、抗がん剤治療も放射線治療も受けたこと、髪の毛も全部抜けたこと、精神的にも悲惨であったこと、今も再発に怯えていること、何を伝えてもいいと思う。

だって私はすべてを乗り越えて、今も未来を信じて生きていられるのだから。


新宿とパリのあいだ

  帰国した翌日から出勤してビル一日オフでまた出勤。

パリを思い出す暇もあまりなく、飛行機の中と夜中に時差ボケで目が覚めたときに涙を流す程度で済んでいた。

でも、ちょっとだけ仕事にも慣れてしまい余裕が出るとやっぱり思い出す。


 新宿駅の私がいつも通る通勤ルートに世界時計がある。

もちろんパリ時間の時計もある。

ああ、今から寝るんだなあみんなはって出勤しながら思う。


 今朝、ビル前の木を囲って何かの作業をしていた。

何だろう?

帰りに、「パリよりも早くから外が暗くなるなあ」なんて思いながらビルを出るとイルミネーションがついていた。

そっか、日本もそんな時期なんだねキラキラ

パリでは早々とクリスマスオーナメントが売られていて、シャンゼリゼも大手デパートもイルミネーションの準備が万端に整っていた。私は11月になる前に帰ってきたので光っているところは見られなかったけど。


 何だか感傷的になった日。

新宿にもパリにも自分が居ない気がする。

でも、日本の生活がいやなわけではないの。

職場のみんなも優しく迎えてくれて、本当に幸せ者だと思う。

みんなに会えてとってもうれしい、日本に帰ってきて本当に落ち着く。


 学生の頃、上京して大学に通っている友人がうらやましかった。

実家とか田舎とか方言とかそういう響きがうらやましかった。

私は東京出身でそういう帰る場所がなかったから、ずっと憧れていた。

だから、そういうところができたと思えばいいよね。


 opera


 次回渡仏は早くも1月後半を予定。

次の検査を無事クリアーしたらね。

体のこと大切にしてあげないと、いっぱい無理したんだから。

気づけば日本

 あっという間の2ヶ月だった。

短かったけど、辛くて苦しくてでもそれよりも幸せで楽しくて、そんな濃い月日でした。

本当に行ってよかったと思う。

いろんな意味でやっと一歩を踏み出せた足あと


 自分を乗り越えたそんな感じ。


 やっと自分自身の意思でパリから帰ってきた感じ。

でも、だからこそ辛い。


 本当に不思議なもので、パリについたときはあっという間にパリ化してなじんでしまって、日本にはもう戻れないかとも思った。

それなのに、今日普通に会社に行ってみんなと仕事して、もう日本化してる私。

パリは遠い遠い所に既になっている。

どっちが本当の私なんだろう、あまりにも違いすぎて分からない。

どっちも私であって、どっちの私も必要なのかもしれない。

 

 本当にパリへ行ってよかった。

しあわせな時間だった。

ありがとう。

そして、また行くよラブラブすぐに。

ちょっと感心してみたり

 日本の母から電話がありました。

フランスからまた手紙が来てるって。

何だろう?また銀行の勝手なトラブルだったらイヤだなあショック!と思って聞いていると。

なんと鉄道会社からでした。


 すごいクラッカー

それは母とモンサンミッシェルへ行った時のこと、道中使ったTGVが40分ほど途中で止まり遅れたのでした。

パリへ到着すると遅延分の返金を申請する手紙が駅員さんによって配られた。

そういえば、パリに来たばかりのころにタリスでベルギーまで行ったときにも同じようなことがあって、手紙を送るとちゃんとパリの自宅まで小切手が送られてきた。

あれには感動したっけ。

でも、でもさまさか日本まで送ってくれないでしょ~と信じていなかった。

タリスのように国際電車でもないし。


 それが届いたんです手紙

驚くことに1ヶ月足らずで日本にしっかり、しかも1通の中に母の分も私が代理だということをメモ書きしておいたら、ちゃんと2人分とも私の名前で日本に送ってきた。

だって日本だよ、EU圏とかじゃなくて1万キロも向こうの。

うーん、こういうところはすごいなあと思う。

まあ、返金しないと乗客がだまっていないっていうのもあるのかもしれないけど。

でも日本では聞いたことない、そんな話。

あるのかな?

でも、まさか外国のお客様への返金引換券をお客様の国まで送ってあげるなんてことはしないでしょう。 

帰国売り

 ただいま~ねこへび

スペイン楽しかったです、じゅりあんと行って来ましたよ。

以前のブログからのお付き合いの方々、本当にやっと闘病中の約束が叶ったという感じですね!

まああの頃は、まさか!!と思っていたけど。

今は気楽に元気に行って来られたから、心からよかったと思う。


 ブログは何だかサボりすぎで申し訳ないです。

せめてお家でネットができればもう少し頻繁にアップできるのですが汗


 気がつけばパリの滞在も残すところ、1週間。

実感ゼロです。

信じられない。

このまま、あの頃のように時は流れていく感じがする。

長い長い冬に文句をいいながら、遠い遠い春を待つ気がする。

でも、違うんだよなあ。


冬?     新凱旋門

↑新凱旋門              ↑オペラ座裏


 最近、身の回りの物を売っています。

パリの日本書籍店などに、「売ります」ってビラを貼って売る。

パリの日本人学生はみんなそうやって、その掲示板を見て最初は買って最後は売って帰る。

私の持ち物も新品で買った物もあるけど、代々日本人学生に使われてきた物が多かったりする。

この間は一番大物のテレビデオが売れた。

今日は炊飯器とマットレス。

少しずつ私の物が無くなっていって、せつない。

夜なんて、物が減っていく部屋でポツンって。


 日本での生活が全く想像できない。

あれ?私本当に日本にいたのかなって。

あの苦しい2年間は夢で、あの頃から私はパリにずっといるようなそんな錯覚におちいる。

でも、夢なんかじゃない、体がしっかりと覚えている、闘った時間、苦しみ、残る傷。

ただ、そんなことも忘れそうになれるって、やっぱりまたひとつもふたつも山を乗り越えられた証拠かな。


 先日、職場の上司から11月のシフトが届きました。

あああ、現実。

東京でも楽しくがんばろうクローバー

ばら色の町トゥールーズへ

 先週末はお友達のいるトゥールーズへ行ってきた。

本当にパリにいるといいなって思う、旅行が気軽にできる。

飛行機だっていっぱい飛んでいるし、ヨーロッパ内なんて週末の温泉旅行のような感覚で行けちゃったりする。


 トゥールーズのお友達には私がパリに住んでいる頃から「おいで!」と言われていたのに、なかなか行けずにいた。

国内とは言ってもTGVで5時間はかかる場所、今回の長期滞在中に行っておかないと今度はいつになるかわからない。

そんなわけで強行日程で、金、土、日を利用して行って来ました。

飛行機なら1時間ちょっとで着いてしまう、直前の安いチケットだったので往復で140ユーロくらい。まあ今はユーロが強いからあせる日本円で考えると激安ではないのだけど。


 週間予報では天気は雨。

でも私は晴れ女、おかげでずっと晴れててくれた晴れ傘すら持っていかなかったもの(笑)

トゥールーズはパリとは違って色のある町、だからとってもきれい。

レンガ造りの家々がばら色の街と呼ばれる所以。

高い所から眺められたらよかったのだけど、この街には高い塔などがなく・・・それがとっても残念。

でもやっぱりそういうところは日本と違って、観光のためにそんなものは建てない。

景観を損ねることは絶対にしない。

あのパリのエッフェル塔だって、当時は本当に嫌われ者だったのだもの。


         Toulouse


 実は、短い滞在期間なのだけど、中世の村がみたくて友達に聞いてみると、車で1時間ちょっとくらいにラピュタのモデルになったという村(その他諸説あり)があるという。この村はフランスでもっとも美しい村のひとつと言われているらしい。

この日は晴天だったので、生憎、雲もなく空に浮かんでいるようには見えなかったけど、本当に美しい。

人も少なくて、情緒を感じられる村。

きっとこういう派手でない落ち着いた美しさを持つ村を日本人は好きだろうなあと思う。

でもこれ以上、観光地化はしてほしくない、せっかく素敵な村なのだから。


  Corde sur ciel   景色

  ↑Cordes-sur-ciel コルド・シュル・シエルの村

パリの短い秋

パリにいることが日常化してきて、本当に日本に帰るのが辛い。

でもその反面、日本に帰ったらこうしようとかああしようとか思っている自分もいる。

だって、日本に帰ったってまたパリにはいつでも来られる。

元気でさえいられるようがんばっていれば、また来られる。


   サンマルタン  ←サンマルタン運河


 サンマルタン運河へ行ってきた、ここら辺は晴れているととっても気持ちいいところ。

川べりで本を読んだり、パンを食べたり、昼寝をしたり、愛を語り合ったり。

こういう光景を見ると、いいなって思う。

それぞれが思い思いの時間を過ごしていて、東京では人目を気にしてそういうことはできなかったりするから。

公園でお弁当を1人で食べたりしていたら、ちょっと恥ずかしいもんなあ。


 パリにいて、パリらしい嫌なことにも直面する。

何でこうなの?って苛立つことが本当に多いのだけど、でもそれがだんだんと最近気にならなくなってきた。

気にならないというと、ウソになるけど、でもあまり苛立たないというか。

やっぱり私は2年も日本にいて、日本という社会・文化にどっぷり浸っていたから、だからいくらパリのことをわかっていてもイラっむかっとしてしまっていた。

それが、まあパリだもんね~って最近はだいたいのことは流せる。

と、いうことは、私はまた東京に帰って日本モードに切り替えないといけないということ?

あああ、面倒だよぉ。

どうしうよう、フランス帰りでいやな感じって思われたら・・しょぼん

いやもう2ヶ月もこちらに仕事を休んで来ているだけで十分思われているだろうからいいかあ~


 コンコルド  ←コンコルド広場


 こちらはもう夜は暖房を入れています。

短い短い秋は終わりそうです。

風の吹くモンマルトルの丘

 もう10月、新しいメトロの定期を買わないといけない。

そっか、本当にもう残りの滞在は半分より少なくなっちゃったんだなあ。

今月はトゥールーズとスペイン旅行があるから、パリにいられる時間はもう3週間もないことになる。


 今日も雨雨そして寒いパリ。

昨日も今にも雨が降りそうだったけど、週末しかいけない所に行っておかないと!

そう思い立ったら、即行動足あと

クリニャンクールの蚤の市へ行ってきた。

そういえば、フランスに来たばかりの頃に友達が皮のジャケットがほしいと言って一緒に探しに行ったっけ。

やっぱりどこに行っても思い出があったりする。

今回はひとりで行ったので、治安の悪さや汚さがやっぱり気になった、それにここは日本人が特に目立つ。

でも、かわいいスカートを5ユーロで買えたから音譜行ってよかった。


 パリの北である、クリニャンクール。

せっかく今の住まいである南から北までやってきたのだから、とモンマルトル付近まで行くことに。

治安の悪いところに行くし、雨も降りそう&風も強かったので今日は一眼を持ってきていない。

でもどうしてもサクレクール寺院の上に行ってみたかった、実はまだ登ったことがない。



   パリ1


 無理して登ってよかった、てっぺんにたどり着く頃には嘘のように青空が見え出して、風だけは強くて女性はみなフラフラしてた・・・パリがきれいに見えた。

やや高所恐怖症なので、本当に怖かったし、体力がまだまだで足の裏がつったりしてたけどあせる

がんばってよかった!


  サクレクール寺院   パリ2


 私はパリのこういうところが好き。

嫌いなところもいっぱいあるけど、でも好きもいっぱいある。

思い立ってひとりでのんびりしに行けるところがある。

お気に入りのその場所たちで、誰にも干渉されない、そんな時間がやさしく流れるるところ。

きっと自分が外国人っていうのもあるんだと思う、開放感というか、こういう自由な感じが好き。

モネの世界

 まだ、やっぱり発作が出そうになることがある。

あの母が帰った日以来、なんか体がどうも。

でも仕方ないよね、ちょうど2年前の今頃に喉のしこりを発見して、検査に通っていたのだもの。

普段は何も考えていないつもりでも、体が勝手にあの頃をパリの風や匂いや景色だったりで思い出す。

お世話になったО先生にご挨拶に行きたいんだけど、自信ない。

あの病院までの道のりを行くのも帰るのも、そしてその日の夜をひとりで過ごすのも不安。

行けるのかな。

やっぱりもう少し待とう、準備ができるまで。


 残り1ヶ月のパリ滞在、自分の心の波を受け入れる。

自分を責めないこと。

それが楽しむ方法かもしれない。


 そんなわけで気分転換に行ってきた。

もうずっと開館を待っていたオランジュリー美術館。

ずっと行きたかったのに、開館予定が延びに延びて、私の在仏中にはついに開かなかった。

まあ、フランスらしいけどむっ


モネ2

モネ


 行ってよかった。

ビーナスの誕生を見たときのように涙が出たりはしなかったけど、でもしあわせな気持ちになれた。

もう少し人が少ないときに、またひとりで浸りに行こう。


 そして、私は「そうだひらめき電球モネの家にも行かないと!」

単純でしょうか・・・

いや、本当はジベルニーにはもうフランスに来た頃か行きたかった。

仕事でもお客様によくお勧めしていた場所。

でも、あの頃はひとりではなくじゅりあんと行きたかったから、だからずっと言えずに4年も経ってしまった。


 今の私は、ひとりで電車で行きたいビックリマークという衝動にかられ。

ある朝、サンラザール駅へ向かい切符を買って、バスに乗って、行ってきちゃった。


家 庭

 ↑モネの家              ↑絵のとおりの池


 東京の病院のベッドでジベルニーに行っておきたかったとも思っていたから。

だからまたひとつ夢が叶ったね。


 ひとりで村を歩き回って走る人疲れても歩き回って、写真も撮って。

ここまで元気になれたこと、本当に感謝しています。

パリの荷物整理

 とっても不思議なものです、東京で働いていたのが全く信じられない。

きっと、来月末に日本に戻るときは辛いんだろうなあ・・・私、社会復帰できるかなガーン


          ノートルダム  

         ↑ノートルダム寺院、バトービュス乗り場より


 実はここのところ精神的に落ちていましたダウン


 ストレスがマックス値を越えたというか・・・おかげで大食いになるし、顔はむくむし、人に八つ当たりするしで。

何で?と言われてもこれという理由は特定できない、そんなものかも心の問題って。

母が来ていた2週間は大変で、やっぱり私の中ではパリでの時間はとっても貴重なものでもあり、繊細な時間でもある。そしてちょっとしたことで、気持ちが波打ったりするから。。

そんな時にひとりにはできない母がいると、イライラしてしまったり、そうするとそんな自分に自己嫌悪、そして母に申し訳なくなる。

そんなこんなで最後の方はもうパニックになりかけて、帰りは空港まで行くのがやっと、手が震え出す始末。


 何よりも、母がいる間に荷物整理をしたことが大きかった。

これでパリに住むことはなくなるっていうことが現実的になってしまうというか・・・。

なんとも言えぬ辛さ。

物を捨てたり、箱に詰めたり、何でこんなことを汗かきながら、腰を痛めながらまでやらなければいけないのかわからなくなる。

だって、それぞれの物を持っていた理由がある。捨てられるために私の手元に来たのではないのに。


 そして母を見送ったターミナルは私にとっていろんな思い出がある場所。

仕事をしていた場所でもあり、そしてパリから緊急帰国した時に飛び立った場所でもある。

自分では思い出すつもりがなくても、映像すらよみがえってこなくても、何か目に見えない重苦しいものに自分が支配されてしまって涙が出てしまったり、恐怖心が湧き上がったり。


 やっぱり、パリ滞在で何も発症しないわけはない。

分かっていたことだから、これも乗り越えないと、これからもパリが私の戻りたい場所であるためには。

そんな自分を責めずに受け入れてゆっくりと乗り越えないといけない。

そう思う。


 今はだいぶ落ち着いて、ゆっくりとひとりの時間を過ごしています。

やっぱり夜は辛くなるけど。


 昨日テレビの天気予報で秋最初の日と言っていて、黄色い葉できれいになるリュクサンブール公園に行きたくなった黄色い花

荷物整理もほぼ終わったことだし、いつか行こうと思って行ってなかった美術館や大好きな場所にも行っておきたい。

こんなに長く滞在できることはもうないかもしれないから。

パリはあっという間に冬になってしまう、グレーの空に覆いつくされてしまう、写真も今のうちにとっておきたい。


くもり  ←霧のエッフェル塔


 今晩は最近の不摂生もあるから日本食にしよう。近所のマルシェで買ったサーモンを焼いて、母が持ってきてくれた玄米を炊いて、お豆腐の味噌汁を作ろうかなナイフとフォーク