それでは、あなたの知りたい・・・今後どうすれば良いのか・・・働くことも学ぶことも・・・
というご質問に少しく答えてみよう。
美しき地も徐々に汚れと疲れが表面化し、これ以上これまでのような“普通”の活動、そして、皆様へのご奉仕が出来なくなりつつある現在・・・
それでは、この地の住民・・・永らくここを基地としたり、ここを唯一の
パラダイスのような住み家としてきた多くの動植物たち・・・ひいては、ここの王様とも言える人間は、これからどうなるのか・・・どう対処すれば良いのか・・・行き先が見えないということについて、私はこう伝えよう。
これも、すべて、皆様次第ですよ・・・と。
ここの住民が長年為してきた結果が今目の前に形態化しただけのこと・・・このものを今後どう変えていくかもすべて、あなた方次第である・・・ということに尽きるのである。
地を叩いて地を揺るがそうと・・・
海の汚れを浄化しようと、
空の、空気の汚れをざるですくうようになされようと、
すべてはあなた方次第・・・皆さまのご自由でありますよ・・・
とお伝えしよう。
つまり、これまでもお伝えしたように、あなたが為したことはあなたご自身でその結果を得る・・・のは、どの分野、何の現象に於いても・・・原理、原則が生きているのである。
あなたのため息が・・・漏れるのを感じるが、これもすべて当然の理、結果として、連帯して体験せざるを得ない。
あなたとて、お仲間の一人・・・これまで多くの利を味わい、楽しみ、地球の悲鳴にも耳を傾けず・・・というような毎日ではあった・・・と言わなくてはならない。
しかし、今は、これまでの態度を云々してもどうにもならず・・・
では、これからどうしたら良いのか、
こういう状態をいつまで耐え忍ばねばならないのか・・・とあなたは私にお尋ねである。
親の私は・・・どうすべきか、あなた方にこれまで何度も「気をつけて」とか「周りをよく見なさい」と告げてはきた。
それを耳に入れなかった自分たちの・・・遊び、行動にかまけて、これまで来てしまったツケを味合わねばならない期間はどの位なのか・・・それとも、それを跳ね除けるようなしっかりした薬、処置法はいつ見つかるのか・・・であろうか。
その薬とて、これまであなた方が努力を重ねて作ってきたものであり、すべては、あなた方の手、肩、足・・・身体を使い、この地の時間とエネルギーの中でどうご自分を表現し活動しているかにかかっている。
「そんなこと・・・もう聞きたくありません。早く結論らしいことを・・・。」
と、あなたのお気持ちが私にせっつくこの機に、私は告げよう。
「あなた方は私の子供たちであり、いわば、私が産んだにも等しい。育てたのも親の私であろう。
親の私とて、この現象に全くの責任を持たない訳でもなかろう。」と言われても反論もできない。
その点を考慮すると・・・地の論として、親の私がこの苦境を黙って見ているわけにはいかない。
私の力、私の介添え・・・私の応援は、もう既に為されている。
地の空気を整え、そして、緑の葉の美しさを蘇らせ、そして、あなた方の気持ちを和ませる風のそよぎ・・・
花々・・・そして、風の音・・・等々、私が毎日届けている。
そして、それによって、あなた方のお心も少しずつ落ち着きを取り戻し、ベストな対応が出来るようにはなっていくだろう。
それがいつなのか・・・は皆の行動力に頼るのみである。
そして、その結果をあなた方が手にするしかないのだ・・・と告げると・・・あなたはがっくりとなさる。
しかし、親は、敢えて、この教え方を選ぶしかなかったのであり、その結果を手にして初めて、ご自分たちの身を振り返ることが出来つつあるのであり、今後、どうするのか・・・
住民たち同士がどう協力し合い、
仲間同士助け合い・・・肩を組んで対応に当たるか・・・にかかっている。
心して・・・政治をとりなさい。
心して・・・食べ物を分かち合いなさい。
心して・・・弱きものに手を差し伸べなさい。
一人一人が、友を、ご自分のように・・・我先に取り合うのでなく・・・
与え合い、分かち合うのである。
もっと仲良く、そして愛持て・・・同胞を大切に扱いなさい。
米を取り合い、水を取り合い・・・でなく、分かち合い、与え合うところに光が差してくる。
あなたの、マスクの与え合い、も良いだろう。
そして多くの者の無駄を最小限にし、その余ったものを何も手にしていない者たちに与えたらどうだろう。
ミルクがなくて死を迎える赤ん坊たちに、使用せず捨てられる牛乳を回したら、その赤ん坊の生命は永らえるのを、あなたとてご存知ないはずはないだろう。
こういう当然の助け合いのお心をもう一度、行動へと少しずつ形作っていかれたい。
お前は持ち過ぎだ・・・取り過ぎだ・・・俺の方が・・・どうのこうの、の大国同士の競り合いが、どんなに多くの庶民を苦しめているか・・・を政治家たちは意に介さない。
この・・・悲惨な生活を、いつかご自分たちが身を持って体験するときは・・・もう遅い。
しっかり今、皆が・・・お互い・・・同志、仲間であり、兄弟であるのをしっかり自覚し、
少しでも差し出し合い、
助け合い、慈しみの心を持って仲良くすることでのみ、道は開ける。
何度も同じことの繰り返しとなるが・・・それしかないのである。
最後にこれだけはお伝えしよう。
しかし・・・ご心配には及ばない。
親の私とて・・・同じ心であり、何とか手を差し伸べたいと機を伺っている。
ほっとするような・・・暖かい・・・手助けを出来るチャンスを見ているのを、ここであなたにお伝えしよう。
私もしっかり手を差し延べることで徐々に収まっていくだろう。
苦しみも徐々に軽くはなっていくだろう。
しかし・・・甘えは許されない。
しっかり対応し、しっかり立ち上がりなさい。
ご自分たちの永年の結果をよく・・・身に染みて、体験することでのみ・・・あなた方の学びが遂げられる。
どうなるか、はすべて・・・ご自分たち次第である。