放送大学の科目に「健康と社会」がある。これは心身の健康について、ストレスから社会問題に至るまで切り込み、学べる科目でもある。
 6回目の講義は「ストレスとともに生きる」である。ストレスを完全に無くすのではなく、ともに生きる、という事。
 少しのストレスは自らの健康や成長の為にも良いと聞く。

 さて、その講義の中で気になる部分があったので、それについて書きたいと思う。

 ライブイベントとストレス強度、である。

 以下、一部、当該科目のテキストから引用する。

「人生上の劇的な出来事のことをライフイベント(人生上の出来事)と呼ぶ。
これを重要なストレッサーとして位置づけたのがホームズ(Thomas H. Holms)とラエ(Richard H.Rahe)で、配偶者の死を100点として、離婚を73点、夫婦別居を65点、刑務所への収容を63点など、様々な出来事を列挙したうえでそうした出来事が健康に与える影響の度合いをストレス強度として点数化した。さらに、過去1年間に起こった出来事の合計得点が高いほどストレス関連疾患にかかりやすいことを検証した。」
(2023年3月20日第一刷発行/「新訂 健康と社会」/戸ヶ里泰典 編著/一般財団法人 放送大学教育振興会 発行 より、引用)

引用の通り、ストレス強度の1位となるのが「配偶者の死」であり、点数は100
以下、2位「離婚」点数73
3位「夫婦別居」点数65
4位「刑務所への収容」点数63
5位「近親者の死亡」点数63
6位「本人の大きなけがや病気」点数53
7位「結婚」点数50
といったように続いていく。
ここではストレス強度点数が50点以上のもののみ取り上げたが、これまで当たり前だった日常が当たり前でなくなるものが殆どではないだろうか。

本人の大きなけがや病気 よりも、近親者がなくなること、そして配偶者がなくなることのストレス強度がとても高い。
「亡くなること」というのは、それだけ、とても大きなことなのだ。声を聴きたいと思っても、姿を見たいと思っても、かなわない。
そして、そこから前を向いていくことも、想像しえないエネルギーを必要とするのではないだろうか。

私は未婚であるが、両親 とりわけ母親の弱り具合に、ふと不安になることがある。
家事がどうこう、ではない。今聞こえている声が聴けなくなる日が来る、と思うと、その時自分は大丈夫だろうか、とも思うことがある。
敢えてそこから目をそらしてしまいたくなることもある。
それでも、その時が来たら、受け入れ、乗り越えていかなくてはならないのだとも。

また、こうも思う。
誰かをなくすことの辛さは、周りが推し量って分かることでもないのだと。
その人でなくてはわからない辛さ、痛み、ストレス、様々な思いがあるだろうと。
だからこそ、安易に「分かる」と言ったり、決めつけ、推しはかったりしてはいけない、と。

そっと寄り添う。
言うのは簡単だが、実践するのは難しいかもしれない。
ただ、それが出来る人になりたい、と考える。