耐えられる範囲でしか、苦労は与えられない

どれほどの困難な状況にあっても
あなたは絶対に乗り越えられます


人間の苦しみと言うものは
耐えられる範囲でしか
与えられないものです


今はとても
そう思えないかもしれませんが
あとで振り返ったときに
気がつくでしょう


誰の人生にも波があります
よいときと悪いとき
楽しいときと苦しいとき


うまくいくときとうまくいかないとき


悪いことや苦しいことは
長くは続きません


ヘレン・ケラーは言っています


「世界は苦難に満ちているが
それを乗り越えた事例にも満ちている」


その人が耐えられないような苦しみは
そうそう与えられるものではありません


必ず何らかの
逃げ道が用意されているものです

久しぶりに私の好きなから
以下注釈ですほっこり


この言葉を見て
考えてみて思ったのは……
もし、私が困難を感じて
毎日が労苦と辛さで苦しかった
……その時に


"えられる範囲でしか
苦労は与えられないよ"
と、例えば誰かに言われたら、、



あなたに何が分かるの?!って
……
素直にそれを受け止められたかは
分かりません。。



でも、確かに私は
毎日が困難に満ちていたときに
自分に言い聞かせていたのは



この本の言葉にもある
逃げ道=脱出口
を、必ず神様が用意してくれている!✨
ということでした



ここで言う
"耐えられる範囲でしか
苦労は与えられない"
というのは、苦労を自力で乗り越える。
というイメージより



苦労を与えられたときに
必ず脱出口も用意されている
=1人で乗り越えるんじゃなくて
ちゃんとけがあって
乗り越える術は最初から用意されている



ということなのかな?
と、思いましたうーん



そして、実際私は
"必ず脱出口がある"
という希望を信じた末に
本当にそれはあった!
と今となっては思います



私が今振り返って思う
困難だった日々の私の
脱出口は
"人の助け"の先にありました



私は、それまで
いつも自分1人で乗り越えないと
いけない。と決めて
いつも自分を奮い立たせて
頑張ってきたけど、、



誰かにること。
それは、甘える訳でも依存でもなくて
自分で出来ることはやる。
でも自分で出来ないところは
誰かに助けを求めること



そして、自分の力の限界を認めて
ねること。



これも、諦める。ではなくて
自分のできる範囲を知って
その範囲はめいいっぱい頑張るけど
自分にはどうしようも出来ないところは
委ねて、じ抜くこと✨



これが出来た時に
気づけば私は困難に満ちた日々を
乗り越えることが出来ていました



それは、考えを変える必要があり
私が思う以上にある意味しく…



でも、1人で頑張らなく
委ねるというのは
物凄いパワーになって……



結果、自分1人の時には考えもしなかった
パワーとスピードで
乗り越えることができ
ある意味、簡単でもありましたウシシ



何よりもヘレン・ケラーのような
誰から見ても
困難に思える人生を送ってきた方の
言葉のように……



確かに、世界は
苦難に満ちているけど
それを乗り越えた事例にも満ちている✨
私もそう思いますウシシ



つい、人は悪い方ばかりに
目を向けがちだけど
ちゃんとい部分に目を向けると
たくさんある!!



あれだけ、毎日息をすることさえも
苦痛で泣き叫んでいた私が
今、こうして
毎日って過ごせている✨ほっこり



だから必ず、私たちは
この困難、苦しみを乗り越えられる!!
そう、私も宣言します!✨



絶対に脱出口はある!
私たちは1人じゃない。
そう、私は信じていますウシシ



そして、これからまた
困難が訪れたときも
私は脱出口があるのことを
探すことをめずにいたいです✨
ウシシウシシウシシ


"あなたがたが経験した試練はみな
人の知らないものではありません。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられない試練に
あわせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように試練とともに
脱出の道も備えていてくださいます。"

コリント人への手紙 第一  10:13

mimipopo

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