この前、祖母の法事の話を書いた。
その折の「お経」のことだけれど、
なんとあれからそのとき「永平寺」で読まれていたお経の本をもらった。
お参りした「記念品」みたいなものに、写真集やらなんやら入っていて、
その中にちゃち~ではあったけれどお経の冊子が一冊入っていた。
近頃はお寺もやはりお客さんを大事にして宣伝も上手ですな。
ところで私としては初めて「お経の本」なるものを読んでみた。
出だしは・・・・うん、知ってる知ってる。
だいたい出だしのころはまだ聞いているからよく覚えている。
ところがだんだん「こんなんきいたことないわ」という部分が多くなり
また最後のほうになると「ああ、これ知ってる」という感じでした。
ひょっとしておばあさん、とばしとばし読んでたのかなあ。
そういえばよく、まとめてめくってたなあ。。。。
と不謹慎なことも考えたり。
でもよおくじっくり読んでみたら、
やっぱりところどころ「知ってる」ところがでてきた。
自分がおぼえてないだけなんや。
でも私が自分の中で思い描いていたものとは
まったく違っていたよ。
子どものころ聞きながら想像した世界と、
実際に文字を見たときの隔たりは大きかった。
あまり上手に例がだせないけれど、
たとえば「だいひちふじさんきたかい」という部分は
子どものころは「第七富士山北海」と思っていました。
実際は「第七不自讃毀佗戒」でした。
漢字でみてもよう意味わからんけど・・・
少なくとも「富士山」じゃないよな。
小学校6年生のときに覚えた百人一首もこれと似てます。
全く意味も分からないままに、
とにかく丸覚えしました。
自分でいろんな想像をしながら覚えました。
もちろん
ももしきや・・・の句では、
「ももひき」(いわゆるパッチ)が軒端に干してあると思っていました。
今になって改めて翻訳?本を読んでみると、
なあんだ と思うものだらけです。
納得もするけど、結構ありきたりなんやなあとがっかりしたり。
お経はきっと精読すると「う~む」とうなることも多そうだけれど
俗人にとっては耳の痛いことも多い感じでした。
またそのうちに・・・ね。