今年の1月に、フィリピンで脳梗塞にやられて以来、「後遺症に負けない」「後遺症があってもがんばる」と考えてきました。私の場合、「後遺症」とは、感覚麻痺・感覚異常のことです。外見は、まるで普通です。運動麻痺がほとんどないからです。けれども、感覚がおかしいと運動面にも多少の影響が出てくるようです。いずれにしても、パッと見た感じではまるでわかりません。「脳梗塞で入院していた」と話すと、みなさん驚かれます。そして「よかったですね、軽くすんで」とおっしゃいます。
実はちっとも「軽く」なく、侵された部位はかなり大きいことを知りました。フィリピンから帰国後日本の病院に再入院して検査を受け直し、退院してからふとしたことでその事実を知りました。退院して初めての検診のときでした。何を質問していたのかは忘れてしまいましたが、先生が「実は侵された部位はかなり大きかったんですよ」とおっしゃり、MRの映像を見せてくださいました。この大きさであれば、もうちょっとずれていて運動分野になっていれば、まず完全に左半身麻痺。社会復帰もできるかどうかわからない。ということでした。驚きました。ピンポン玉くらいの大きさがあるそうです。幸い、ちょうど言語分野にもかからず運動分野にもかからないところに塞栓が起きました。そこは感覚分野でした。感覚麻痺というのは、普通は1年くらいで軽減していくのだけれども、私の場合は侵された部位が大きいため、2年か3年はかかるだろうということでした。
これが運動麻痺であれば、訓練やリハビリによってある程度「克服」することができるのかもしれません。けれども、感覚麻痺の場合は「とにかく気持ちが悪い」「痛い」「感じ方がおかしい」「しびれている」などの様々な症状が左半身全体にでます。普通は体の部分にはでず、手足に出やすく、それも先端部分へ行くほど強く出やすいらしいです。ところが私の場合は、残念ながら、全身に見事にその症状があります。背中にもおなかにも、お尻にも、もちろん足にも手にもあります。顔にも首にも、頭の皮膚にもあります。やはりいちばんきついのは、人差し指の指先です。これはあまり温度や触った感じなどを感じることができません。ときどき強く痛みます。感覚がないので、動きも悪く、パソコンで文字を打つ時に一番困ります。手が水に触れると「痛い」と感じます。ですから料理などをするのも、少し苦痛です。髪の毛が首筋に触ると、ぴりぴりと痛みます。
また、力が入りにくく、重いものが持てなかったり、ビンの蓋が開けられなかったりします。
これらの症状は、残念ながら訓練もできないし、「克服」もできません。とにかく今ある症状と付き合うしかないのです。ときどき、泣きたいくらい「体中が気持ちが悪い」ことがあります。逆に、結構快調な日もあります。日によっても違うし、一日の中でも変化します。
大きな病院にかかっていると同時に、縁あって、東洋医学???的な整体師の先生にお世話になっています。そこで教えていただいたことは、「闘う」のではなく、「付き合い方を身につける」ことが大切だということです。私にはよくわからないけれど、リンパや血流が悪くなると症状が悪化することは間違いなさそうです。少しでもそうならないためには、むやみに緊張したり、いらいらしたりせず、プラス思考で機嫌よく暮らすことが一番のようです。ここで、「病気と闘う」「負けない」とがんばってしまうと、症状はよくなるどころか、むしろ打ちのめされてしまうそうです。なぜなら「勝とう」している時点で、病気そのものを「悪いもの」ととらえています。そして、そのために自分ができなくなってしまったいろいろなことや、自分が感じているいろいろな苦しみばかりが目について、プラス思考になれないようです。いったん落ち込み始めると、あっという間にずるずると落ち込んでいきます。そうなると、ますます症状は強く出てきて、悪循環となるそうです。
ですから、自分の今ある状況を受け入れて、うまく付き合って仲良くしていくと考えたほうがよいそうです。そのほうが自分を肯定的にとらえることができて、結果的に、よい循環がうまれて、症状もそれほど強く感じられなくなるそうです。
そうはいわれても、それはなかなか難しいことです。だって、やっぱり病気になんかなりたくなかったし、なってしまった結果、「後遺症」が残ってしまい、それに苦しめられている・・だから、なんとか負けないように、前向きに明るく生きたい。後遺症なんか克服したい・・というふうに考えてしまいます。
こんなわけで、せめてこのテーマ「病気と闘う」だけでももうやめて、「病気と付き合う」??に変えようと思っている次第です。