自分の性癖についてアウトプットするだけ。また編集で付け足したくなったら思うがままに付け足す。

 

(注)下の方にやや過激な妄想もあるので、見ない方がよいと思う。純粋にアルミンや進撃の巨人が好きな人にとっては不快になる可能性がある。また、名探偵コナン20話、ゲゲゲの鬼太郎5期85話のネタバレも含む

 

進撃の巨人のアルミン・アルレルトというキャラは、なぜか他の好きなキャラに比べて非常に自分の性癖に刺さる。その理由を書きたくなった

 

といっても、私はシーズン3までのアルミンにしか興味ない。根はショタコン(2次元の)なので。そのため、私から見るとシーズン4以降の髪の毛を切ってからのアルミンはなんとなく生意気にしか見えない。好きな人には申し訳ないが個人的には。あれは脳内がベルトルトになってしまったから仕方ないと目をつぶる。「本当の」アルミンはシーズン3までなのだから、別にいい。

 

①「謝罪フェチ」

私は、人間が謝っているシーンに興奮する。

「ごめんなさい・・・」「すみません!」「ごめん・・・」

 

恐怖から壊れたように繰り返す「ごめんなさい」も、つい条件反射で出てしまう「ごめん」も、大好きだ。

 

特にアルミンの謝罪の仕方は私の性癖にぴったり刺さる。

そもそも私がアルミンに興味を持ったのは、第2話でエレンの代わりに「ごめんなさい!」と謝るシーンであった。

 

他にも、アルミンが人を殺めてしまった後に「ミカサもこうなったの・・・?」とついポロっと出てしまい、「ごめん・・・ごめん・・・」と泣きながら連呼するシーンなんか最高だった。オブラートに包まないけど子宮がキュっと何度も反応してしまった(笑)

 

とにかく謝罪からはエロティシズム的なものを感じる。

 

なぜ「謝罪」にエロティシズムを感じるのか、考えてみた

 

●謝罪の際、人は感情的で無防備な状態になりやすい。例えば「ごめん…」としおれた声で繰り返す姿や、涙を浮かべる様子は、「守ってあげたい」「支配したい」などの感情を引き起こしやすく、これがエロティシズムに繋がるのかもしれない。

 

●謝罪には必ず「恥」の感情が伴う。人は自分が誤りを犯したことを認め、それを言葉にすることで「自分のダメな部分」を相手に明らかする。この羞恥心こそがエロティックな感覚の核心に触れる要素なのだろう。羞恥とは、自己を守るための心理的防壁が崩れる瞬間に生じる感情で、非常に親密な感覚を伴う。この防壁が壊れる瞬間に立ち会うことで、観る側は自分だけがその人の「隠された部分」を見たような錯覚に陥り、これが性的な緊張感を生むのかもしれない。

 

●謝罪は本質的に「相手の立場を認め、自分が下になる」行為。この構造が、潜在的に支配/被支配の関係を連想させる。この主従関係の確立は、特に支配欲や被支配欲と結びつく場合があり、これがエロティックな感覚を呼び起こす要因となるのだろう。

さらに、謝罪の繰り返しや懇願的な態度は、相手への依存や服従を象徴する。この「許しを乞う」という姿勢は、相手に対する無条件の服従や信頼を表すため、それを観る側に独特の快感を与るのかもしれない。

 

 

そういえば、小学生の時に先生に怒られている同級生の男子生徒を見て、妙に興奮したのを思い出した。謝っていなくても、怒られている姿を見るだけで興奮する場合もあるらしい。

 

 

②気の弱い男の無防備さ

 

私は、「気の弱い男の子の大胆な行動」というのが好きである。勿論そのあと、我に返って自分のしてしまった行動にショックを受けて恐怖で泣いてしまうまでがセット。

 

気の弱い男の子が、恐怖からつい・・・というのも、発作を起こして無意識のうちについ・・・というのも大好きである。これも「守ってあげたい」という母性本能が働くからであろう。また、恐怖やストレスから無意識に行動してしまうというのは、人間の本性・本質・本能的な部分が露わになった瞬間とも言える。この無防備さにもエロティシズムを感じる。

 

具体的なアルミンのシーンとしては

・人を殺めてしまってショックを受ける

・ドラえもんパロディーの嘘予告で。いじめっ子から自分を守ってくれた巨人を怯えながら包丁で刺して殺める

 

この性癖は形成されたのは恐らく私が小学5年生の時にみた、ゲゲゲの鬼太郎名探偵コナンのあるシーンの影響である。

 

ゲゲゲの鬼太郎

ゲゲゲの鬼太郎(第5期)第85話 鬼太郎絶叫!! 妖怪城の切り札!!という話の、鬼太郎の幼少期の回想シーンであった。

 

幼少期の鬼太郎が発作を起こして、町中の建物を破壊してめちゃめちゃにしてしまうシーンである。

 

蒼兄さん 「よお、気が付いたな」

鬼太郎  「僕、暴れたの・・・??」

蒼兄さん 「ああ、まあな。成長期の幽霊族は時々こうなるんだとよ。力の制御が難しいらしいや。」

鬼太郎  「ううっ・・・ううっ・・・」

蒼兄さん 「泣くな、もしまたなったら、俺が体張って止めてやる(以下略)」

鬼太郎  「うわーーん!!」

 

この鬼太郎のシーンがいまだに強く印象に残っている。幽霊族としての発作から意図しない大胆な行動をしてしまい、我に返った鬼太郎(幼少期)がショックを受けてしまうシーンであった。

 

名探偵コナン

名探偵コナン第20話「幽霊屋敷殺人事件」

四丁目の洋館にお化けが出るという噂で、小学校はもちきり。コナンは歩美達に誘われて、お化け退治に出かけることに。その屋敷には地下があり、父親を殺めた息子を匿っている母親が実は隠れて住んでいた。勿論お化けの正体もこの母と息子。そして母親は、口封じのためにコナン達少年探偵団を襲っていく、というのが大雑把なあらすじであった。

 

これも、加害者の男が強いストレスからつい父を殺めてしまった・・・我に返ってショックをうける、という上記との共通点がある。

 

 

 


また、これだけではなく、私はこの名探偵コナンの「犯罪者を地下に閉じ込めて匿う」というシチュエーションもかなり刺さった。なぜなら、「犯罪者を匿ってあげる」というテイで好みの男を一生閉じ込めておけるから。誰の目にもさらされないから、私だけが独占できる。

 

最初は罪悪感から「自首する」と私に抵抗するだろう。しかし、罪への恐怖から毎晩毎晩恐怖でうなされるに違いない。

そんな中、私が優しく慰めてあげる。時には、快感に溺れさせてあげる。それを繰り返していくうちに、私に依存するようになる。私がいないと生きていけなくなる。私たちは共依存しながらこの暗い地下で一生を終える。


 

このシチュエーションに、人を殺めてしまったアルミンを重ね合わせて何度妄想してオカズにしたことか(オブラートには包まない)

 

アルミンは、実際に人(や巨人)を殺めてしまうシーンがあった。だから、つい妄想がはかどってしまった。

 

アルミンが巨人を殺めてしまうのは、ドラえもんをパロディにした進撃の巨人の嘘予告である。私がこの嘘予告にどれだけ興奮したことか。しかもアルミンは巨人を包丁で殺める際に、「ごめん・・・」と謝罪もする。前述した「謝罪フェチ」と相まってこの嘘予告は私の性癖にピンポイントで刺さりすぎたのである。

 

 

「気の弱い男の子が大胆な行動を取った後のギャップ」。母性本能や守りたい気持ちが刺激されるだけじゃなくて、逆にちょっとした征服欲や支配欲がわく。自分が「優位」に立ちながらも「その相手に依存される」という二重構造を楽しめる。そのような私の欲望を刺激したのがアルミンというキャラであった。

 

「罪の共有」や「逃避行の中での共依存関係」というテーマは、背徳感や閉鎖された親密さが魅力的に映るのだと思う。加害者を閉じ込めて守りながら依存させるという発想は、独占欲と母性が交差するところにあるのだと思う。

 

 

 

以上のように私は、基本的にサディズム傾向である。

 

しかし、私が「気の弱い男の子の大胆な行動が好き」というのは、私の中のマゾヒズム的要素も関係しているのかもしれない。つまり、「気の弱い人間の逆襲」というものを潜在的に望んでいるのかもしれない。「ごめん・・・」と謝罪を繰り返されながら攻められたいという願望は・・・ある。

 

 

アルミンが恥ずかしがるシーンは最高である。

 

(1)進撃の巨人のドラマCDの一つに、ミカサのマフラーが盗まれるというテーマのものがある。ここではアルミンのパンツも盗まれる。(実際にはリヴァイが雑巾と間違えて使用してしまっただけ)。ミカサには変態に盗まれたわけじゃなくてよかったとまで言われてしまっている。

 

急に書くことへの欲求が飽和したので、続きはそのうち気が向いたら書く。