"ゆい@億ション女のシンデレラストーリー


はじめまして。私のブログに興味を持ってくださり、ありがとうございます(^^)

私は 46歳の「ゆい」 と申します。

旦那様は 52歳、私をこよなく愛するおぼっちゃま。

子供は 二卵性の双子で、現在20歳。

東京湾岸沿いの億ションマンションに、家族4人で暮らしています。


でも、こんな生活ができるのは 主人のおかげ。

結婚する前の私は、まったく違う人生を歩んでいました——

キャバ嬢が2年で億ションを手にいれた秘密

孤独な幼少期


私が生まれたのは、東京から電車で1時間半の関東の田舎。

父方の祖父母、母方の祖母、父母、7歳上と5歳上の兄——大家族の中で育ちました。

人はたくさんいるのに、 私はずっと孤独 でした。


一番の原因は、 私の名前。

キラキラネームでも、男の子みたいな名前でも、難しい漢字でもない。

むしろ、 ごく普通の、ちょっと古くさい名前 でした。


でも——

私の名前をつけたのは 両親ではなく、宗教の教祖 だったのです。


小学校の頃、「自分の名前の由来を調べる」という宿題が出たとき、母に尋ねました。

すると、母はこう言いました。


「○○様がつけてくださったのよ!すごいわね~、あなたは神様の子供♡ 素晴らしいわ!」


私は呆然としました。

両親が想いを込めて名づけたわけではない。

宿題の答えに何を書けばいいのかも分からず、ただただ、心の中で静かに思ったのです。


「この家に生まれたのなら、郷に従え——感情を捨てて生きていこう」


私は 宗教一家に生まれた のです。


欲望を押し殺した少女時代


私は、親に「〇〇したい」と言ったことが一度もありませんでした。

・食べたいもの

・欲しいもの

・習い事をしたい、という願い


何も言えなかった。


周りの子たちは、公文に行ったり、スイミングを習ったり、ピアノを弾いたり——

私も羨ましかったけれど、親に甘えることができなかったのです。


ただ、何も習わせてもらえなかったわけではなく、

親が決めた そろばん・習字・日本舞踊・三味線・茶道 を習っていました。


周りからは 「お嬢様ね」 なんて言われたけれど、 本当は友達がいなかっただけ。

人前で話すのが苦手で、引っ込み思案。

初対面の人とは、声を発することすらできなかったのです。


——そんな私が、銀座で夜の世界に飛び込むことになるなんて、誰が想像したでしょう?


銀座とキャバクラでの奮闘


唯一、続けたのは 日本舞踊。

これが私の人生を大きく変えることになりました。


日本舞踊を続けるには、お金が必要。

そのため、私は 銀座のクラブで働くことを決意 しました。


平日は 銀座のクラブで16時~23時半 まで。

お稽古がない日は 上野のキャバクラで深夜0時~5時 まで。

土曜日は 昼にお稽古、夜はキャバクラのオープンラスト(21時~5時)。

さらに、日曜日は 北千住のキャバレー へ。


休みなし、週7勤務。


銀座では、ただ一生懸命に働き、

キャバクラでは たった2ヶ月でナンバー2に昇格。

同伴をすると3000円のキャッシュバックがもらえるため、 「土曜は必ず同伴する」 というルールを自分に課しました。


その結果——

23歳で月収7桁 を稼ぐようになっていました。


そして、タワマン生活へ——


この経験が、今の私を作りました。

幼少期の孤独な人生を捨て、東京で生まれ変わり、

今では 都内湾岸のタワーマンションで家族と幸せに暮らしています。


過去の私を知る人は、きっと驚くでしょう。


「あのゆいちゃんが?」


でも、私は 自分の人生を自分で変えた のです。


——これが、私のシンデレラストーリー。

これからも、少しずつ綴っていきます。


読んでくれてありがとう♡


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