"優しい私"という生き方
メンタルケア方法の一つとして感情をノートに書き出す方法がある。日々思うことは色々あって頭の中では子供かよってくらい なんで?なんで?な私(笑)書き出すことは沢山あるはずなのにいざ書き出そうとすると書き出せない。基本的にこんな状態でできた例がないのだが定期的に気が向くときがあって、また最近久々に書いてみた。言葉を選ばずにとにかく思いのままに思いを書き殴って後で読み返して、怒りが湧くポイントや思考パターンを分析してみた。そこで改めて分かったのが優しさや思いやりに拘ってる自分がいること。幼い頃よく父から「〇〇はいい子だから。優しい子だから」と言われてたのでおそらく原因はこれかと思われる。思いやりに拘るがゆえに自分がしたことで人が傷ついてないかをよく気にするし、自分が原因でなくとも誰かが困ってたり傷ついてると何とかしたくなってしまう。それで人と正面から向き合った結果自分が注いできただけの思いが返ってこないことでなんで分かってくれないんだ!!と腹を立てているのが私のやりがちな癖なんですね(笑)私の場合は人生の一番古い記憶の時点でもうすでに周りの空気を読んでどんな自分なら人にとって需要があるかを無意識に感じ取りながら行動してた気がする。結果、小4くらいの頃から自分の中にある漠然とした生きづらさを意識するようになった気がするけどその頃にはもう「自分はどうしたい?」が分からなくなってた。その頃からの生き方の癖が未だに私を辛くさせる部分がある。幼少の自分には心を守るために必要だった方法だしそのくらい子供にとっては愛されることがすべてで愛されたくて頑張った結果なんです。ただ大人の世界に行くにつれて頭を使えるようになる分、色んな事が複雑になっていくので愛されようと頑張っても頑張り損になることが多い。だから自分の生き方を確立していかないと逆に生きづらくなる。もちろん私自身は年齢的にも大人だしそれなりの経験もあるので頭ではどう生きるべきか分かってる。けど私の中にいる子にはまだまだ寄り添うことが必要みたいです(笑)というか30年続けた生き方から自分を確立した生き方に変えていくには30年掛けて、置いてけぼりにしてきた自分の中の子に寄り添うしか方法はないんだろうなと実感した。自分と自分の中にいる子と物理的に分離してたら寄り添うイメージが湧きやすいのにこんなに難しいのは一つの物体だからなんだろうかいや、外側に意識が向いてるだけか、やはり(笑)