私に兄弟はいない。
そう、一人っ子。
親から与えられる食べ物を食べて、
親から与えらる洋服を着て、
親から与えらる本を読み、
自分の意志を伝える事はほとんど無かった。
自営業をしていてほとんど休みの無かった両親は、たまの休みに連れて行ってくれるのは「上野動物園」か「花やしき」、夏は「後楽園プール」。
「どこに行きたい?」
「何が食べたい?」
と、聞かれた記憶がほとんど無い。
たまに欲しいと思うオモチャがあると、
「パパに買っていいか聞きなさい。」
友達と遊びたいと言うと、
「家に呼びなさい。」
全て命令形。
特に不満もなかったし、他を知らないから、そういうものなんだ…と逆らうことも無くそれに従って幼少期を過ごした。
不満が無かったのではなく、虐待並みの叱られ方をしていたので色々と麻痺していたのかも知れない。
母には尻を叩かれ、頭を叩かれ、ビンタされ、
酒乱の父は、毎晩浴びるように酒を呑み、
私を布団でグルグル巻にして床に叩きつける。
はじめは遊んでくれているのだと思い、
キャッキャ喜んでいるのだけど、
段々と身体が痛くなってきて、「やめて!」と泣き叫ぶ。
しかし、すぐにはやめてくれない。
そんな毎日。
何なんだよ(笑)
小学校に通うようになってから少しずつ違和感を感じるようになり、母の財布からお金をくすねるようになった。
小学生が欲しい金額といったら百円とかだったけど、それが悪い事だという認識が無かった。
ただ単に、自分が欲しいお菓子を自分で払って買いたかっただけ。
商店街に住んでいたから、母からお金を預かって母に言われた通りの物を買ってくる「おつかい」は毎日のようにしていたけど、自分が欲しい物を自分で買うという行為をした事が無かったのだ。
1回百円と言えど、回数を重ねればバレるもので…
見つかった時にはこっ酷く叱られた。
その時に悪い事だったのだと初めて気付く。
小学校3年生の時に、初めて両親が私の意思確認をしてきた。
「パパとママ、どちらについてくる?」
…はい?
全然意味が分からんのですけど…
よくよく聞いたら、母方の祖母が体調が悪く、当時住んでいた家も道路拡張する為に間もなく壊されてしまうから、母は実家の栃木に行くとの事。
父は解体ギリギリまでそのまま働くけれども、その後は決まっていない様子。
いくら暴力的な母だと言っても、優しい時は優しいし、酒乱で頑固なイメージしかない父と一緒にいるなんて考えられなくて「母について行く」と即答した。
ていの良い別居の言い訳だったと知るのは小学校6年生の時だったのだけど、その時も両親は私に意思確認をしてきた。
「パパとママ…離婚してもいい?」
…
…
…はい?
母は父が居ないことを良いことに、男を取っかえ引っ変え連れ込んでいて、それがバレたのか?
いや、父は東京にいて月イチくらいでしか栃木に来ないのだから、知るはずもない…
だから、今でも真相は分からないのだけど、小6で両親の事情にまで気が回るはずもなく、「離婚」「片親」という事だけでイジメにあっているクラスメイトがいて、泣き喚いて全力で反対した。
その甲斐あってか?離婚は留まってくれて、
私が極度の拒食症になり激痩せしたら、
父は東京の生活を捨ててアッサリ栃木県民になり、
全ては丸く収まった…と言えるのか?(笑)
それからも両親の支配下で生きてきたんだけどね。
両親を責める気も無いけれど、
自分一人の意思では何も決められない、行動出来ない人間に私はなってしまった。
子育て中の方、これから子の親になろうとしている方!
どうか我が子には「自由」や「選ぶ権利」を与えて欲しい。
「教育」と「支配」を混同したり、勘違いしたりしないで欲しい。
オギャーとこの世に産まれた瞬間から、赤子と言えど立派な一人の人間なのだと認識して欲しい。
誰かしらに確認し、許可を得てからじゃないと何も出来ないって、色んな意味で想像以上に苦しいものだから…
今は自分の意思でブログを書き、自分の好きな事を学んでいるので、安心してご相談ください✨
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~Rieの略歴~
幼少時から摂食障害を患い、拒食症と過食症を幾度となく繰り返す。
中学時代に軽度の霊障に遭い、以後連日の金縛りに悩まされる。
教師になりたいという夢があったが、頑固で涙脆い父に一人暮らしを反対され、高校生になってから極度の勉強嫌いになったせいもあり簡単に夢を諦めてしまう。
運良く歯科医院の就職が簡単に決まったが、院長のイジメと原因不明の左手薬指損傷で切断の危機に追いやられ早くに退職。以後父が工場長を務める小さな工場で10年程勤務。
結婚式目前の24歳で最愛の母を亡くし、25歳の誕生日に1人目の旦那と入籍。酒・女・ギャンブル好きで莫大な借金が原因で離婚を決意し富山へ逃避行。
2人目の旦那も酒と女好きでDVもあり、姑も強烈な人格で離婚を意識し始めた頃に子宮頸がん発覚。手術後鬱状態になり水も飲めなくなって、DVが怖くて家出して調停離婚を選択。慰謝料請求の裁判をするも上手くいかず断念。
懲りずに3度目の結婚をして、子供がいなかったので体外受精に3度チャレンジするも一度稽留流産を経験して終了。人工授精も2回チャレンジして撃沈。子宮筋腫と卵管形成術で2度の腹腔鏡手術も経験。
細かく話すと悲惨な情事はまだまだ多数あり。
最後までお読み頂きましてありがとうございました♡♡