家出を決行した時、私の体調&メンタル面は最悪だった

また拒食症を発症していて、水を飲み込む事すら困難
それでも口の中は乾いて気持ち悪いから、ほんの少し水を口に含んで湿らせる感じ


正直家出してしばらくの記憶は曖昧で、久々に心療内科にお世話になり、社会保険に入っていたので心療内科で傷病手当の書類を書いてもらい、子宮頸がんで下りた生命保険金と傷病手当で引きこもり生活。
何もする気が起きなかったので、一日のほとんどを寝て過ごしてたけど、寝たら悪夢でうなされてしまって寝るのも怖くなり

トラック野郎からの電話とメールが鳴り止まないから、自分名義で新しくスマホを買った。
(昔の携帯って何か操作してて着信あると通じちゃったのよね
)

トラック野郎との離婚が成立するまでは元々の携帯も解約出来なくて(支払いは私がしてたけど、元の携帯はトラック野郎名義だった)離婚調停でも何か役立つかも知れないのでサイレントにして電源は入れたままにしておいた。
離婚調停で不利になるのを知ってか知らずか、送ってくるメールは「もう一度やり直そう」「何も言わんから帰ってきてくれ」「今ならまだやり直せる」…
んな訳ねーだろ!!
今までどれだけ酷いことしてきたと思ってんだ?
ふざけんな!!
1度も「俺が悪かった」とは言わなかった。それは悪いと思ってないからだろ?
私が何も分かってないと思ってるからだろ?
(あら
ついつい興奮して汚い言葉で失礼します
)


本当はもっともっと沢山の不倫の証拠を集めてから家出したかったが、私の体が限界だった。
身も心もボロボロだったけど、早くに離婚したかったから家庭裁判所へ行き離婚調停の手続きをした。
手続きから約1ヶ月後くらいだったかな?第一回目の調停の日を迎えた。車のナンバーを変更していたし、栃木に帰ってる事になってたからタクシーで裁判所へ向かった。
顔を合わせなくて済むように、招集時間もずらしてくれるし、待合室も離れた場所にしてくれる。
特に私はDV被害があったから、より慎重にしてくれた。
それなのに…
裁判所を出ると、入り口ど真ん前に義弟の車が!
助手席には姑が乗っている!!
パニックになった私は、タクシー会社に電話をしながら気付かぬ振りをして最寄りのコンビニまで急いだ。
食べてないから体力も無くて、走る事が出来ない。
出来るだけ早く歩く。
恐る恐る振り向くと、姑が追ってくる!!
勘弁してくれよーーー(T T)
とりあえずコンビニに着いた私は、予め呼んでおいたタクシーの到着を待った。
何かあればコンビニに飛び込めばいい。
運悪くタクシー到着前に姑が追いついてしまった。
遠くから「Rieちゃん!Rieちゃん!」と呼ぶ声が聞こえていたが無視していた。
追い付いた途端
「あんた!どういうつもりなの!
今までどれだけ良くしてやったと思ってる?
何考えてるんだよ!」
もう反抗する気力もない…
こんな人に伝える言葉もない…
涙が込み上げる。
やっと出た言葉が
「もう、苦しくて…」
その後は声も出なかった。
呼吸するのがやっと。
タクシーが来た。
運転手さん、何かを察してくれて大声で「○○さん!」と呼んでくれて、私は泣きながら富山駅に向かった。
そのまま家出先のアパートに帰ろうものなら、尾行されてバレてしまうから。
富山駅に到着して、人混みに紛れてもう追って来ないだろう…と確認してから、やっと深い呼吸が出来て少し落ち着く事が出来た。
そして地鉄に乗ってアパートに帰った…
調停2回目。その日もタクシーで裁判所へ向かった。
前回の姑が追ってきた話をすると、調停員さんが「毎回タクシー使うのも大変でしょ?本当はこういうことはしては駄目なのだけど、アパートまで送ってあげるよ!」っと言って下さって、ご好意に甘える事にした。
裏口から出してくれて、周囲に人と車が無いことを確認し、調停員さんの車に素早く乗り込んだ。
念の為後部座席で身を屈めて外から見えないようにして、アパート近くまで行ってからやっと体を起こす。
アパートよりほんの少し離れた所で降ろしてもらった。本当に本当に有難かった。
これだけ厳重にしていたのに…
どんな手を使ったのか、家出先のアパートがバレてしまった!!
未だに手口は分からない…
数日後、たまたま私を心配して訪ねてくれようとした友人がアパートの外で張っているトラック野郎を発見!
スグに私に電話して知らせてくれて、怖くて怖くて警察を呼んだ。
すぐ近くに交番があったんだけど、そこに電話したのにたまたま不在だったらしく、警察署に転送されてしまい確か5人くらい刑事さんが来て下さって

(その節はお世話になりました
)

興奮状態のトラック野郎を追い払って下さいました

後日警察に行ってトラック野郎への接近禁止命令と110番支援措置の手続きをして、少しづつ気持ちも落ち着いてきて

ゴネゴネだったトラック野郎も私が沢山の証拠を出したら調停に来なくなり、(都合悪くなると逃げる奴だった
)慰謝料も何もいらないから離婚だけしてくれと頼んだらアッサリ了承した。


その後、慰謝料請求の裁判をしたんだけどね

でも、色々あって上手くいかず(これを話すとまた長くなるから端折ります
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笑笑)調停申し立てから約1年半、ようやく終わりました



それからは、友人だった今の旦那が彼氏に昇格してしばらく同棲して、懲りずに3度目の結婚をしましたとさ



チャンチャン









…なのかなぁ?(爆w)
沢山の辛い経験をしてきたRieに貴方のお悩みをお聞かせください!
今まで本当に辛かった…
でも、その経験があったからこそ今の私がいる♪
辛い過去も今では宝物♡♡
そう思えるように、笑って日々過ごせるように、悩める人のチカラになりたい✨
私のやりたい事は、たくさんの人を幸せにする事♡♡
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~Rieの略歴~
幼少時から摂食障害を患い、拒食症と過食症を幾度となく繰り返す。
中学時代に軽度の霊障に遭い、以後連日の金縛りに悩まされる。
教師になりたいという夢があったが、頑固で涙脆い父に一人暮らしを反対され、高校生になってから極度の勉強嫌いになったせいもあり簡単に夢を諦めてしまう。
運良く歯科医院の就職が簡単に決まったが、院長のイジメと原因不明の左手薬指損傷で切断の危機に追いやられ早くに退職。以後父が工場長を務める小さな工場で10年程勤務。
結婚式目前の24歳で最愛の母を亡くし、25歳の誕生日に1人目の旦那と入籍。酒・女・ギャンブル好きで莫大な借金が原因で離婚を決意し富山へ逃避行。
2人目の旦那も酒と女好きでDVもあり、姑も強烈な人格で離婚を意識し始めた頃に子宮頸がん発覚。手術後鬱状態になり水も飲めなくなって、DVが怖くて家出して調停離婚を選択。慰謝料請求の裁判をするも上手くいかず断念。
懲りずに3度目の結婚をして、子供がいなかったので体外受精に3度チャレンジするも一度稽留流産を経験して終了。人工授精も2回チャレンジして撃沈。子宮筋腫と卵管形成術で2度の腹腔鏡手術も経験。
細かく話すと悲惨な情事はまだまだ多数あり。
今日もありがとうございました♪
みんなが幸せになりますように♡♡