すまいるチャネリング&夢アートドリームキャッチャー -2ページ目

すまいるチャネリング&夢アートドリームキャッチャー

チャネラーアーティストmimi eden(ミミエデン)みみです。
人は必ず見守っている存在がいます。
その存在にチャネリングし幸せメッセージをお届けします。
夢を叶えるお守りドリームキャッチャーオリジナルアート販売

どーもー超お久しぶりです!

全然ブログやってないガーン もうしわけございません。



さー!いよいよ月1カフェ再開です!


今回からは私mimi eden みみの店として



“mimi edenカフェ”


OPEN!



場所も大阪のオフィス街本町にて開催します!


11月28日(金) 

12:00~19:00

デイリーリパブリック

住所
大阪府大阪市西区西本町 1-9-19 名光通信社ビル2F

アクセス
地下鉄(御堂筋線/中央線/四つ橋線)「本町」駅より徒歩すぐ

駅からの目安

中央線/四つ橋線ご利用の場合・・24番出口

または27番出口より徒歩約2分
御堂筋線ご利用の場合・・5番

または8番出口より徒歩約7分







あそびにきてや!!


前回は母が病気になったときの事でした。

→前回の内容はここ をクリック


母と私について、ちょこっと触れてみます。


母と私は、たぶん友達親子かもしれません。

世間では友達親子って一緒に買い物したりお洋服を交換したりやけど

母と私の場合は幼い時から毎日話相手であって母の都合の良い人だったと思います。

はたから見たら友達のような親子だったと思います。



3人兄弟ですが私だけ超放任でした。

今でこそ感謝ですが小さかった頃はさみしかったですねー。

習い事の行きかえり弟や妹は付き添っても(ちなみに年子)

私は一人。

学校行事ごともほぼ来なかったなー。年子の兄弟のは行くのに・・って


ただ唯一私をかまってくれたのが、母の話相手でした、家の事や社会の事

大人の事情など、聞いて子供なりに考えて母に意見してた

おかげで

大人の世界は空気よんで行動すること、人との距離をとる冷めた子で

親に頼ることをやめて何があっても自分で解決すると

ある意味親に対して子供であることをあきらめていました。


病気になった母はもっと私をあてにしていたと思います。


頼るというより、なんかあったらあの子が何とかしてくれると、“あてにしている”

という言葉がぴったりやったと思います。



母が病気になって母の残りの人生について子供である私が何ができるかと思う反面

あー又面倒事は私をあてにしてるんやろなーと思ってました。


でも超放任で好きな事をさせてもらって、早いうちから同じ人間として対等に話してくれた

母だし、

どんな親であっても私には母は一人だけだし


えーーーいココは腹くくった!

やったらええんやろーーー!なんでも頼ってこい!


と深く悩むのが面倒になったのは

母が余命宣告されて3か月後でした。


次回は 完結編です、母が旅立つときの不思議話と大切な人の死について

ちょっと長いよん

母が余命わずかと知ったのは4年前。

ちょーどイベント中に携帯に妹が泣きながら「帰ってきて」と

言われた時


あーお母さんかーと思いました。あせる

母が調子悪いのはオーラの色で分かってたし、

以前から何人かのスピ系の人にお母さん疲れてると言われてたので

でも実際言われるとショックだしパニックでした。


親って不死身やと思ってるとこありませんか?親が死ぬなんて

ほんま考えませんでした。

まさか余命があと少しなんて・・



母はプライドの高い所があって弱気はみせたくない人でした。

病気になってほとんど外出しなくなったので

入院中は休んでもらって帰ってきたら、できる範囲の家事をしてもらうよう

なーんもしないのは心に不安をためるし、運動不足は病気に良くないと

思いました。


そして私も仕事はやめない、イベントも休まないことにしてました。

母の意志もあるけど、母に病気のせいで仕事を減らしたと気を使わせたく

なかったのもありました。



私は残された時間母に何をするべきかを考えました

今までと何ら変わらない態度でいること。

残された時間は母のやりたいようにしてもらおうと決意した時でした。




次回は母と私の親子関係について