前回は母が病気になったときの事でした。
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母と私について、ちょこっと触れてみます。
母と私は、たぶん友達親子かもしれません。
世間では友達親子って一緒に買い物したりお洋服を交換したりやけど
母と私の場合は幼い時から毎日話相手であって母の都合の良い人だったと思います。
はたから見たら友達のような親子だったと思います。
3人兄弟ですが私だけ超放任でした。
今でこそ感謝ですが小さかった頃はさみしかったですねー。
習い事の行きかえり弟や妹は付き添っても(ちなみに年子)
私は一人。
学校行事ごともほぼ来なかったなー。年子の兄弟のは行くのに・・って
ただ唯一私をかまってくれたのが、母の話相手でした、家の事や社会の事
大人の事情など、聞いて子供なりに考えて母に意見してた
おかげで
大人の世界は空気よんで行動すること、人との距離をとる冷めた子で
親に頼ることをやめて何があっても自分で解決すると
ある意味親に対して子供であることをあきらめていました。
病気になった母はもっと私をあてにしていたと思います。
頼るというより、なんかあったらあの子が何とかしてくれると、“あてにしている”
という言葉がぴったりやったと思います。
母が病気になって母の残りの人生について子供である私が何ができるかと思う反面
あー又面倒事は私をあてにしてるんやろなーと思ってました。
でも超放任で好きな事をさせてもらって、早いうちから同じ人間として対等に話してくれた
母だし、
どんな親であっても私には母は一人だけだし
えーーーいココは腹くくった!
やったらええんやろーーー!なんでも頼ってこい!
と深く悩むのが面倒になったのは
母が余命宣告されて3か月後でした。
次回は 完結編です、母が旅立つときの不思議話と大切な人の死について
ちょっと長いよん