
先日熊出没注意の中、宮沢賢治記念館へ行ってきた。
そこで読んだ心に残った手記について記録しておく。
写真を撮りたかったけど、先を急いでおり撮り忘れて出てきてしまった。
教え子に宛てた応援の手紙
37歳頃 宮沢賢治が病の床に伏せていた頃。
【あなたに話した事はできないかもしれないが、それに代わるものはなんとしてもやるつもりです。
咳は安定しませんが7〜8時間は座っていられるようになり、躍起になって頑張っております。
心中は、焦りと苛立ちばかりです。
家族にお金を渡すことも、話したい事を大きな声で2〜3時間話す事もままならない、大変な時代ですからあなたも充分気を付けて頑張ってくださいね。】
といった内容だったと思う。
宮沢賢治は農学校を卒業後、将来の仕事について迷っており父とも色々相談したり葛藤していたようだった。
家業の質屋、古着業は性にあわず教師になり、その後農業組合のようなものを立ち上げ地元の土に合う石灰を使った肥料の研究や宣伝をしていた。
教師の頃から、学生がいかに楽しく学べるかを考え、体験を織り込んだ新しい時間割等を作るなど、今あるものを追求していく姿勢が伺える。
スケッチも非常に上手く、石灰の粉砕図、顕微鏡でみた図など、実物図から細胞レベルの表現図との比較、詳細な植物の断面図、構造もスケッチして教材としている。
しかし、研究と開発、営業や宣伝を全て行っていたため過労もあり37歳という若さで病を発症する。
ミュージアムは、農業、宗教、日蓮宗、芸術、音楽、文学、絵、科学、アインシュタインの相対性理論と宮沢賢治の興味関心別にコーナーがわかれていて幅広い好奇心が伺われる。
人生の時間を熱く捧げた農業では、関連した観劇や音楽も作り、自身が広めたい世界に皆が楽しんで入っていけるような事まで考えたりと、新しい文化の構築にまでつながる、農業の知識の発展を目指していた。
色々な興味から得た知識を自身のフィルターで消化し、独特の世界観を、実際の行動にしていく人だった。
【感動した事】
偉人は、輝かしい功績を残した超有名人に思えるが、こうした軌跡をたどると、農業は辛く苦しい仕事です。と書いていたり、心中の焦りや苛立ち、世の中の苦しみを書いていたりする。生きていた時にはほとんど評価されず志し半ばに倒れていたりもしていた。
けれど、そのような愚痴には振り回されず自分のしたい事を真っ直ぐに行ってきた人達なのだと思った。
無縁のように思えた人が少しだけ近くに感じれて、日々の先のみえない苦しみ、苦手、嫌な事から逃げずに、私も頑張ろうと思えた。
嫌な事、苦手な事、苦しんだ事ほど先にある世界は素晴らしいもののように思う。
岩手といえば、連日活躍が放送されている大谷翔平選手の地元でもある。
大谷選手も、もう遠い世界の無縁な人に思えるけど、きっとそのルーツはこうした事の積み重ねなのだろう。
だから私も関係ない世界と思わず、エールをもらって人生を諦めずに苦しい事も乗り越えて行こうと思う。
今少しだけ、その先にはなんとなく、素晴らしい世界があるように思えるようになったから。
ありがとう宮沢賢治さん。大谷翔平さん。