東日本大震災
未曾有の規模、マグニチュード、被害が予想される大震災。
私は地震が発生したとき、普通に駅ビルで勤務してました。
そこへ東京本社より電話。
「東京で強い地震があったけど博多は大丈夫?」と聞かれたので
全然揺れませんでしたよーと伝える。
その後、休憩時間に従業員休憩室にて見た映像。
開いた口が塞がらなかった。
みんな、テレビの前で呆然としてた。
なに、これ?
関東も結構大きい地震だったみたいだから、横浜の親戚に電話をかける。
しかし何度かけてもつながらない。
休憩終わって、お店の固定電話から仙台のお店に電話をかけるも、当然つながらず。
つい何日か前まで仙台のエリアマネージャーがヘルプで来てくれてたのに。
本社に聞くと、仙台の2店舗のスタッフはかろうじて無事と教えてくれた。
でも、おうちや家族はどうなってるんだろう…
その日は早番だったので、店を出たと同時に旦那に電話。
旦那の親戚が単身赴任で気仙沼にいるから、心配で聞いてみたけど連絡取れてないらしく
とりあえず、日本やばいから早く帰ろうと言って電話を切る。
…博多駅前では、地震の号外を配る一方で、新幹線開業前夜祭をどんちゃんどんちゃん大騒ぎでやってた。
相当空気読めてなかった。イライラした。
その後、夜遅くにかけて何度も気仙沼や栃木の友人に電話をかけるもまったくつながらず。
ずっと犬を抱きしめながらテレビを見ては、自分の被災経験を思い出す。
(震度6を2回経験しているから)
テレビを見つつ、被害の甚大さに身震いし、眠れなくなる。
ツイッターを更新しながらインターネットの強さを思い知る。
ミクシィ、ツイッターに登録してない人、したほういいよ。
安否確認に相当役に立つから。
結局寝たのは夜の3時。
眠れなくて。
抱きしめてもらいつつ寝た。
次の日、早番だし新幹線開業日で相当の集客数を見込めるとのことで開店時間を30分早めていたので6時に起きる。
テレビをつけたら、恐ろしいくらいの死者数。
しかもどんどん増えている。
職場に行くと、午前中はお客さんほとんど来なかった。
午後からちらちら増えてきたけど。
勤務中に旦那からメールがあって
「終わったらまっすぐ帰ってきなさい」と書いてあった。
何があったかと思って、あがったあとすぐ電話したら
「何も買ってこなくていいからすぐ帰ってきて」と。
ほんとはデパ地下で物色したかったけどまっすぐ帰った。
帰宅したとたん、がっしり抱きしめられる。
一日中、海外の報道をYoutubeで見て
日本の報道をテレビで見て
かなり日本が危機的状況にあることを理解した旦那は
家族離れ離れでいることが恐ろしくなって「すぐ帰って来い」と言ったみたい…
チェルノブイリにやたらと詳しくなっていて
福島の原発がいかにやばいかを私に教えてくれた。
そして、とりあえず私が勤務中に被災したら、博多駅から動かないからと約束した。
津波は恐ろしいし、地震も本当に恐ろしい。
被災者の人が泣いているのを見て、常に涙が出る。
私は無力だ。
一日平和にすごしてごめんなさい。
おいしいご飯も、温かいお風呂も、よく眠れるベッドも
できることなら分けてあげたい。
でも、今の私にできるのは、募金と献血くらい。
昨年した献血時期の関係で4月まで献血できないから、来月には献血に行きます。
それまでは、節電して、自分の防災管理をしっかりしておきます。
うちには犬もいるので、その件もしっかり考えておきます。
以下、すごい自分勝手に言わせてもらうが
ブログやツイッターで相当KYな発言してるやつら、いい加減にしろ。
自分が平和に過ごしている日常がいつまでも続くと思うな。
少しは人の痛みを知ろうとしろよ。
しっかりテレビをみろ。ラジオを聴け。
日本全体がやばいってこと、自覚しとけよ。
ひと
高専を卒業して約10年、曲がりなりにも専門分野の畑で働いてきた
建物が好きなわけでも
構造計算が好きなわけでもなく
ただ、あそこで必死に学んだことを無駄にしたくなかっただけ
工学系女子ってことにこだわっていただけ
ストレスまみれで、就職してから約10キロ太り
偏頭痛と肩こりに悩まされ、男性社会の卑しさを嫌と言うほど思い知り
女であることで、男性社会での限界を感じた
気付けば、自分も30歳に手が届く年齢
こだわりを捨てるのも悪くない
挑戦できるのは今だけ
ひととの出会い
大切にしなくちゃ
やっと
息継ぎできたよ
長い時間がかかった
まだ、息を止めていた後遺症はあるけど
水面に出たら、引き上げてくれる手があったから
今はそれに甘えてみるよ
サヨナラのあとにはコンニチワがあるね
大きなものを失ったと思ったけど
プラスマイナスゼロなのかもしれない
今は、そう思いたい