自分の人生をどれだけ振り返ってみても、2019年という年は、自分にとって今までで一番辛い年でした。


4月に祖父、6月に父、そして11月は高校時代の同級生が交通事故で亡くなりました。


まさか同じ年にこれだけ身近な人達がこの世を去るなんて、考えたこともありませんでした。


4月に祖父が亡くなった事で、自分には祖父母が完全にいなくなりました。


50年以上前に父方の祖父、13年前に母方の祖母、5年前に父方の祖母が亡くなっています。


父方の祖父に関しては、父が小学生の頃に亡くなってしまっているので、写真でしか見た事がありません。


自分にとって初めて人の死を目にしたのは、母方の祖母が亡くなった時。


私はその時19歳で、専門学校に通っていました。


祖母が入院してから、学校を休んで面会に行く事が多く、主治医から今日明日がヤマと言われた時も学校を休んで祖母のところへ行き、祖父と一緒に最後を看取りました。


祖母は膵臓癌で、前日にモルヒネを打ってもらい眠るように亡くなりました。


この時に、初めて大切な人が亡くなるという経験をし、そして人が亡くなった後の流れってこういうものなんだ、というのを知りました。


祖母が亡くなった時は、もちろん悲しかったですが、そこまで塞ぎ込むことはなかったです。


しかし、あれから13年経ち、今度は父が膵臓癌になり亡くなってしまった。


父が亡くなった悲しみは、祖母が亡くなった時とは比べ物にならないくらい大きくて、半年経った今も正直辛いところがあります。


まだ私にとって、父が亡くなったことはついこの間の事のように感じてます。


父のことをブログに書いてるだけで、今も涙が出てくるぐらいです。


亡くなった最初の2ヶ月くらいは喪失感が凄くて、身体の中心がポッカリと空いているような感覚で、毎日毎日父のことばかり考えていました。


3ヶ月目くらいからは、父のことは毎日考えるものの、手続き関係がいったん一区切りしたこともあってか、悲しみの深さは少しだけ和らぎました。


4ヶ月目と5ヶ月目は、今までやりたかった自分の作業を再開し、集中していたので、父のことを考える時間は少し減りました。
それでも、父の顔は毎日浮かびます。


そして、半年経った今ですが、年の瀬のせいか今年の出来事を振り返ってしまう瞬間が多く、また少し気持ちが沈む日が多いです。


遊んだりしていても、ふと父の顔が浮かんだり、街中でショッピングしてる時も、ふいに「お父さん」という単語を目にすると、少し辛いものがあります。


親を亡くすってこういうことなんだなって日々痛感させられます。


でも、正確に言うと亡くなった事そのものというよりも、本人がどういう気持ちで亡くなったかが、自分の中で引っかかっているのだと思います。


この感覚は、時間が解決してくれるのかもしれませんが、しばらく、あるいは死ぬまで消えないのかもなぁと思ったりもします。


ただ、ずっとそこにとらわれているつもりも無いので、前には進みます。


今回の父の出来事を通して学んだことは沢山あり、自分の生き方の見直しに繋がりました。


特に、人間関係はこれまで以上に限定するようになり、本当に会いたい人にしか会わないようにして、ラインやSNSも見直し、結局残ったのは昔から付き合いのある友人や父を助けてくれた人達だけになりました。


おかげで、シンプルになってスッキリです。


やりたいことも新たに出てきたので、少しずつ実行していけるようにしたいと思ってます。


人間て、本当にいつ死ぬかわからない。


病気であっても長く生きる人もいれば、健康でも事件や事故に巻き込まれて突然命を断たれたりもする。


2019年は、人の死に向き合い、人生についてかなり考えさせられた年であり、いつ死んでも後悔がない生き方をしようって強く思った年でした。


そして、父を助けてくれた人達に改めて感謝したいと思います。


・在宅医療でお世話になった、Y会さん
→担当してくださったN先生は穏やかな方で、父が温泉療養に行くと言った時も、快く送り出してくれました。

いつも先生と一緒に同行している看護師さん達や電話の受付担当の方も優しくて、連携もしっかりされていたし、お願いした書類関係も早く届けてくださったりして、Y会さんにお願いして本当によかったと思ってます。


・ケアマネジャーのHさん
→ケアプランを立ててくれただけでなく、私が父の介護に限界を感じて困って電話した時も、迅速にショートステイ先を手配してくださったり、父が福島から帰ってくる時も、アパートの階段を上がるのは大変だろうからと手伝いにきてくれたりして、かなり助けられました。


・がんセンターの看護師さん達
→父の身体の痛みに合わせて的確に薬を調整してくださったおかげで、痛みをかなり抑えることができました。

オキノームの飲み方に対する考え方も、ちゃんと理解できるように説明してくれて勉強になりました。


・ショートステイさせてもらった介護施設
→施設の責任者の方はじめ、看護師さん、介護師さん、ケアマネジャーさん、皆さん優しくて、こちらの急な要望にもかかわらず父の受け入れをしてくださって、たった4日のステイでしたが、ケアをしっかりしてくださって本当に有り難かったです。


・終の住処に選んだ介護施設
→こちらの急な要請にもかかわらず、即日面談に来てくださって、契約から入所までスムーズにやっていただきました。

父の状態に合わせて的確に対処していただき、亡くなる最後の最後まで手厚くケアしてくださって、最終的にこちらを選んで本当によかったと思ってます。


・父が住んでいたアパートの大家さんとその友人
→父の病気のことを聞いた大家さんが、わざわざ父の自宅に来てくれて、福島の温泉のことを色々教えてくれました。

続けていた代替療法に見切りをつけ、痛み止めを飲むだけになってしまった父にとって最後の希望を与えてくれた大家さん。

行った先の福島でも、ご友人がちょうど泊まっているからと、私と父を気にかけるように言ってくださり、初めてお会いしたのに父のお風呂にも一緒に付き添ってくれました。


・福島の温泉施設の方やそこに泊まっている人達
→施設の従業員の方々は慣れているのか、特に受付の方はこちらの要望に柔軟に対応してくださって、とても助かりました。

泊まっているお客様達も、困った時はお互い様といった雰囲気で、私も父も色々な事で何度も助けてもらい、本当に感謝しています。


・伯父と叔母(父の兄と妹)、私の母と弟2人
→5人とも金銭面で援助してくれて、父の治療費や介護施設の費用にあてることが出来ました。

伯父も叔母も母も遠いのに、みんな面会にもきてくれて嬉しかったです。

叔母に至っては、亡くなる3週間前と2日前、そして危篤を知らせた当日に来てくれて、私や弟達と一緒に父を看取ってくれました。


・父の友人、知人

Nさん→父の大学時代の友人。父がまだ在宅医療にお世話になる前、気の治療に来てくれて、父の身体の痛みを和らげてくれたり、食材を少し持ってきてくれたりしました。

Sさん→父の後輩。東京から福島の温泉施設まで車で送ってくれました。遠いのにわざわざショートステイ先まで面会に来てくれたり、危篤を知らせた時も駆けつけてくれました。

Mさん→父の親友で、ショートステイ先に移動する時車で送ってくれ、ショートステイ中も毎日面会に来てくれました。

Sさん→父の親友。福島の温泉施設で、私と交代して父の付き添いを申し出てくれました。

付き添っている間、父の様子を細かく報告してくれたり、病状が悪化して動けなくなってきているにもかかわらず、温泉施設での療養を諦めきれない父を説得してくれたり、温泉施設の近くにある病院に連れていってくれたりして、かなりお世話になりました。

ショートステイ先、介護施設に移っても、ほぼ毎日面会に来てくれました。

私にとって、Sさんがいてくれたことは精神的にもかなり救われましたし、死を前にする父に向き合って経験した辛さを唯一共有できる人です。


他にも、父の病気の事を知ってお見舞いに来てくれた方や、父をごはんに誘って手土産を持たせてくれた方もいて、本当に色々な方々に支えていただきました。


父の為に手をかしてくださった方々の優しさや思いやりは決して忘れる事なく、今度は私が他の人の手助けをすることで恩返ししていきたいと思います。