如是我聞──語ること・聞くことの責任
こんにちは。霊感タロットと四柱推命で心の道案内をしている占い師・神藤みみ(しんどう・みみ)です。先日、お経の成り立ちについて学ぶ機会があり、その中で「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉に出会いました。とても印象深く、心に残ったので、今回はこの言葉について感じたことを綴ってみます。「如是我聞」とは?「如是我聞」は、サンスクリット語 evaṃ mayā śrutam を漢訳したもので、「このように私は聞いた」という意味です。釈尊(お釈迦さま)が入滅した後、弟子たちはその教えを忘れないよう、説法をまとめて経典としました。その口火を切ったのが、釈尊の弟子である阿難(あなん)尊者です。阿難は、実際に釈尊の教えをそばで聞いていた人物であり、経典を口伝で語るとき、「如是我聞」と語り始めたといわれています。つまり、「これは私が直接聞いた教えです」ということを、最初に明示することで、その説法の信ぴょう性と正当性を証明していたのです。言葉の重さと「しらんけど」この「如是我聞」という言葉には、「語る責任」と「聞く責任」の両方が込められているように感じます。語る者が、いい加減な気持ちでは語ってはいけない。聞く者も、ただ受け流すのではなく、自分の中に受け取っていく覚悟が求められる。この姿勢は、たとえば大阪弁の「しらんけど」のような、責任をぼかすような軽妙さとは真逆に位置するものかもしれません。もちろん、関西人のユーモアはとても素敵ですし、時には救いになります。ですが、語ることに「重さ」を持たせる姿勢もまた、現代を生きる私たちにとって大切なものなのではないでしょうか。占い師としての「語る責任」私は長年、占い師として人の悩みに向き合ってきました。その中で、いつも心に留めているのは、「どの言葉を、どのタイミングで、どのように伝えるか」ということです。ときに、「アゲ鑑定(良いことだけを伝える)」と見なされることもあります。けれど、私が言葉を選ぶのは、ただ気持ちのいい未来を語りたいからではありません。それは、相談者がその言葉を受け取る準備ができているかどうかを、慎重に見極めているからです。人は、心が傷ついているとき、「正しさ」だけでは癒やされません。たとえ真実であっても、伝え方を間違えれば、さらに深く傷つけてしまうこともあるのです。占い師は、ただ未来を語るだけの存在ではなく、相談者の心に寄り添う存在であるべきだと私は思っています。「自分が正しいことを言った」という満足のためではなく、「今、この人にとって本当に必要な言葉とは何か」を問い続けること。それが、私の中での「語る責任」です。「如是我聞」が教えてくれたこと「如是我聞」は、経典の出典を明らかにする言葉であり、同時に語る者の責任を示す言葉でもあります。そして今の私にとっては、占い師として言葉を扱うときの姿勢や心構えを、あらためて見つめ直すきっかけとなりました。誰かの心に触れる仕事だからこそ、言葉の重みを忘れずにいたい。これからも、「伝えること」「受け取っていただくこと」の尊さと向き合っていきたいと思います。今日があなたにとって豊かで幸せでありますように💫鑑定のご依頼は、プロフィールのリンクからお気軽にどうぞ🕊️神藤みみ lit.link霊感タロット占い師、SNS、画像、音楽、動画、個性とスタイルを1リンクにlit.link