つづきです。

 

話は少し遡ります。

2019年1月31日に母が亡くなり、

1、2月は北海道に幾度となく行きました。

 

最後離れてはいたものの、

心は常に寄り添っていたし

出来ることはすべてやったと今も思っています。

 

母の意識が遠のき

またそれでもどうにか戻り

言葉にならない声を発して

そしてわたしの名前を何度も呼んでいました。

 

電話越しにわたしも母の名前を呼び、

そして大丈夫だよ、わたしここにいるよと

強く強く語りかけました。

 

 

言葉を上手く発することが出来なくなって、

最後にこの写真が送られてきました。

 

重々わかっているよ!

がんばれ、みか!

私もがんばるよ

 

母より

 

命が消えかけているとき、

誰しもが愛であることを

改めて知るのです。

 

もう頑張る力など

残ってはいないのに

もう頑張れだなんて

とっても言える状況じゃないのに

そんな母から出たのは

それでいいんだよ、

あなたらしく生きなさいという

メッセージでした。

 

 

 

母が亡くなってから

葬儀などで慌ただしく時が過ぎ

自宅に戻ってからも

まだ信じられない気持ちと

喪失感がどうやっても埋まらず

日常生活を送りながら

気付けば涙がポロポロ溢れて

これは一体いつになれば止まるんだろうと

コントロールなどできない寂しさを知りました。

 

 

母は私にとって

ひかりそのものでした。

 

わたしが生まれてから

ずっと愛をひかりを注いでくれた。

 

それは大人になってからも変わらず

離れていてもどれほど愛されていたのかを

いなくなって更に思い知る日々。

 

 

肉体が朽ち果てても魂はなくならないから

いつだってコンタクトを取ることが出来る、

そんなことはわかっているけど

わたし今、人間だから

あの肉体で私の母として存在していた

人間としての母が恋しかった。

 

 

 

 

 

会いたいなぁ。

 

 

 

 

今でも良く思う。

 

 

 

そして母はわたしに

ひかりのバトンを手渡していった。

 

もう大丈夫だね、って。

軽々と本当のひかりになって

還ってしまった。

 

 

 

バトンを手渡されたものの

しばらくそれを握りしめたまま

わたしはどうすることも出来ずに

自分の中にある寂しさや悲しさ

喪失感をたっぷりと感じることにした。

 

逃げることなんてできない。

だったら、もう感じきるしかないんだ。

感じながら、生きていくしかないんだ。

 

 

 

生きなさいね、

何があっても。

 

 

ひかりのバトンは

命そのもの。

 

 

つづく。