昨日は久しぶりに時間が取れて、

書きたいことを書けてスッキリ。

 

昨日は年内最後の都内への外出。

もう顔がお休みモードですねぇ照れ

 

岩本先生にカラダを整えてもらって、かるーい帰り道。

お気に入りのパン屋さんで食パンを買って、



VIKINGホント美味しいですー!オススメ

からの六本木ミッドタウンにて

ソフトクリーム食べて帰りました(笑)

 

帰ってから、

旦那さんにあったかい靴下と

娘にはニットターバンを

今年もありがとうとともに手渡して。

 

ちょっとしたものだけど、

まずは自分の近くにいる人へと

(自分自身はもちろんのこと)

ありがとうの気持ちを伝える。

 

最近よく聞く、人の目が気になるということについて

今日は書いてみたいと思います。

 

私も人に見られたら、これが知られたら、

何て言われるかどう思われるかって

気にしてたんですよ。

(今、思い出したんだけど

 

しかも、3年ちょっと前まで。

妊娠、出産、育児、仕事

30歳からの流れで特にそれが強かったと思う。

 

特に私は妊娠出産が円満ではなくて

常にトラブル続きだったから、

普通の結婚だったら祝ってもらえたのに

子供が出来たのになんでおめでとうって言ってもらえないの?

まわりはみんな幸せそうなのに

わたしだけこんな不幸だしとか思っていた。

 

更に離婚してシングルマザーになってからは

ひとり親って【普通は、世間一般的には…】

ここに縛られてひとりで頑張ってたし

かわいそうな存在にしてた。

 

会社員をしていた時も

【普通だと…会社員とは…】

ここにとらわれて色んなものを背負ってた(勝手に)

 

結果的にどうなったかというと、

原因不明の自己免疫疾患で即入院。

 

私は私がどう思う?っていうよりも

【みんながどう思うのか、普通はどうなのか、

それをした時に周りが何というのか】

の方を優先していたことに初めて気づいた。

 

私ひとり、置き去りになってたの。

 

だからいざ病気になって

カラダは動かないけど

考える時間は山ほどあるから

私は何が好きなんだろう、

私はどうしたいんだろう、

私って…???

 

最初全然わからなかった。

 

好きなものもしたいことも

私という存在そのものも。

 

それまでずーっと必死だったから

娘を育てること、仕事をすること

最低限のお金を稼ぐこと

普通の生き方をすることに。

 

私にとっての普通は

【世間一般が正しいということ】だった。

 

たとえば、みんなが私を罵っても

私さえいればいいだなんて

その時は思えなかったから。

 

私の声はいつからそんなに

ちいさくなったんだろう。

いつからその声を聞かなくなっちゃったんだろう。

目立たないように、普通に普通に

誰にも迷惑をかけないように

頑張って、頑張って…

 

 

その結果、壊れちゃった。

カラダも心も限界だった。

ひとりで頑張ること、

いつまでやればいいの?

なんで人から責められるの?

私が悪いの?なんでなんでなんで。

 

こんなに、頑張っているのに。

 

そんな言葉が出てきた時、

やっとおかしいなってわかった。

私何に対して頑張ってたの?

自分じゃなくなるように

私が消えて無くなるように

誰にも何も言われないように

ずっと頑張ってた。

自分以外のなにかのために。

 

でもそれでこんなに苦しいのって

なんかおかしいよね。

 

そこに気付いたら、

ふと力が抜けたの。

 

もうだって、生きるか死ぬかの分かれ道。

私は私をみるしかなかった。

 

 

いろんな肩書があるけど、

その前に私はただの私だった。

 

私でしかないんだよ。

もう、他の誰かにもなれない。

 

勝手に背負ってきたものを

自らの手で降ろした。

もう、何もなくていい。

 

このカラダとココロと

大事なものを大事だと

胸を張って言いたい。

 

誰かの目を気にすることなく、

思いっきり表現したい。

 

上辺だけの付き合いもいらない、

それが普通ならもういらない。

世間一般的にはと言われるなら

私が私の普通を創るからもういい。

 

もう勝手に他人を私の中にいれない。

 

はじめてあんなに強く湧き出た思い。

自分以外の何かに対して、

NO!!を突き付けることは

しちゃいけないって思ってたから。

 

感謝してすべて受け取ることで、

自分を下にしていたり

かわいそうな存在にしていたんだけど

私が私を取り戻すと、

びっくりするくらいのパワーがそこにあった。

 

何の力もないともし思っているのなら

それはどこか別のところに注いでいるだけなのかもよ。

私のパワーを取り戻すと決めてみて。

 

あなたにはものすごーーーいパワーがあるから。

みて、感じて。

 

私は私として生きる。

そう決めたらすべての決断が楽になった。

どうするのか、何を選ぶのか

ぜんぶ私が私だけの思いで決めていいんだから。

 

・仕事はやめる

・彼と関東に移住する

・自分の好きなことをやる

・会社員はもうやらない

 

退院後、まだ体調も不安定だったけど

関東に引っ越した。

先はわかんないけど、好きなことをはじめた。

収入がどうとか一旦おいといた。

自分のペースで出来ることをする。

 

 

とはいえ、最初はちょっと怖くて

FBを一度退会して新しいアカウントつくったり

アメブロとリンクさせるのもドキドキで

自分の想いを表現することで

攻撃されるかもしれないと思ったりもした。

 

こんなことしたらどう思われるか?

ふとした時にこの言葉がでてくる。

 

私はすかさず、誰に?と聞きかえす。

みんな、周りの人とかでてくるから、

それって今の私に必要?と問いかける。

 

実体のない、誰か。

 

もう大事なものはここにある。

だから、いらない。

 

二度と会わないかもしれない誰か

それよりも今ここにいる自分、

そしてそれをわかってくれてる家族

もう十分だよ。

 

やっとわかった、

私には私さえいればいいんだってことが。

 

エイって踏み出したら、

そこには必ず誰かがいて

思ったよりもやさしくあたたかく

手を差し伸べてくれたよ。

 

その連続で、時には私が手を差し出したり

また次のステージに引っ張り上げてもらったり

ずっとずっと旅路は続いている。

 

いらないものはいらないと言っていい。

なんでもかんでも自分の中にいれないで。

それすら自分で選べるんだよ!!

ねぇ、知ってた?(笑)

 

何十年生きていても、

私が私に目を向けなければ

何も知らないまま。

 

ホントはもっと大きな声で語りかけてきていたはず。

いつから、その声が聞こえなくなったのかな?

カラダも、心も、魂も、いつもあなたに語りかける。

小さな声かもしれないけど、

どうか聞いてあげてほしい。

 

自分の声をまず聞いて、

そしたらもっと色んな声が聞こえるようになる。

あなたが思っているよりも

もっともっとたくさんの存在が

あなたに向けて声を発している。

 

そしてまた、出会うから。

私として生きる先に

必ず出会いがあるから。

 

だから心配しないで

さよならもしていいんだよ。

 

私たちはひとり、

みんなひとり、

そして大いなるひとつ。

自らの中に大きな輪を、

そしてまた手をつないで

大きな大きな輪をつくろう。

 

限りなどない、

限りなどどこにもないのだ。

自分で設ける以外に

限りなどありはしない。

 

あなたはどんな限りを

自らに課してますか?

 

そしてそれにいつ気付いて

いつ壊すのですか?

 

いつだって愛がそこにある。

安心して、あなたはあなたであればいい。

 

 


全部笑い飛ばしちゃお

 

 

今年も本当にありがとうございました。

ありったけの愛をあなたにも。